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薄味の文章でも、届けられるコンテンツを作れるようになりたい

企画や映像クリエイターとしての活動をはじめ、YouTubeで「パオパオチャンネル」としても活動されている、ぶんけいさん。

パオパオチャンネル時代から好きでよく動画を観ていて、今年から個人チャンネルも始動。その1本目の動画で「すごく薄味な動画を求めている自分がいて」とお話されていたことが心に響いた。

「最近YouTubeを見ていて、めちゃくちゃ企画が凝っているとか、すごい人が出ていたりとか、逆に『自分にできることなんてもうないやん』って思っていたんですけど。いつしか気づいたら、すごく薄味な動画を求めている自分がいて。うす塩、薄味。(中略)同じこと考えている人いるんちゃうかなと思ったんですよ。だから心配ではあるけれど、テロップとかBGMとかSEとか、できるだけ使わんとどんなことができるんやろうと思いました。

引用:https://youtu.be/Mb8Z53KtY6E

生み出すコンテンツに正解、不正解はないけれど、私も「薄味なコンテンツっていいなあ」と思った。





YouTubeに関わらず、何か自分で発信しようとするとき、見てもらうために「強さ」や「濃さ」を求めてしまうことがあると思う。

たとえば動画なら、ハラハラドキドキするようなシチュエーション、頭にガンガン響くようなBGMをつける、テロップを多くする、SEをたくさん入れるとか。

文章だと、刺激が強いネタ、言葉、写真などで引きを作る。気持ちよくなるような言葉を羅列する、とか。

きっとみんなの中でなんとなく、「刺激が強いな」「これ濃いな」「しんどいな」と思う要素を含んだコンテンツはイメージが湧くと思う。実際にそういったコンテンツはこの世にたくさん溢れている。

もちろん、濃いコンテンツは刺激になる。私もエンターテイメントとして日々楽しませてもらっている。なので、「強い」「濃い」のが好きなら追い求めていいと思う。

だた、私もぶんけいさんと近い気持ちで、「強さや濃さに関しては、私はそこまでできることはないなあ」と感じるようになった。

稼ぐとか、小手先のテクニックとか、キラキラした気持ちのいい言葉とか。濃いめの調味料をもりもりと入れるのは私はできないと思うし、そもそももう飽和している。

強さや濃さを目にする機会が多くて(私も昔は意識が高い言葉を発信していたな……)だんだんと、落ち着けるような薄さを求めるようになってしまった。


できれば私は、「強い」「濃い」に頼らず、発信者として何か生み出せるようになりたい。

いろんな経験をしていく中で、今の自分はそういった濃さじゃなくて、薄めの方が心地いいなあと感じているから。

強さや濃さがなくても、届けられるような文章、読んでもらえるような文章を生み出したいな。

インパクトに頼らずに日常を丁寧に切り取って、届けることはできないだろうか。比喩をゴリゴリに入れなくても、スッと情景が浮かぶような文章を書けないだろうか。

ぶんけいさんが、「テロップとかBGMとかSEとか、できるだけ使わんとどんなことができるんやろう」とおっしゃっていたように、私もできるだけ強い・濃いテーマや言葉を選ばずに、どこまでできるのかなと思っている。

一貫して、私はちゃんとエッセイや小説が書けるようになりたいと思っていて、そもそも目標である表現の先には「強さ」や「濃さ」は求めていない。

濃い表現で戦おうなんて一切思っていない。てゆうか、それじゃあきっと私は続かないだろう。

強さや濃さがなくても、しっかりと出来事や感情をすくい取れるアンテナを磨いて、構成を磨いて、言葉を磨いていきたいな。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪