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すれ違いを楽しむ

 無駄、余地、余白が好きだ。誤解やまわり道、寄り道も好き。効率的は好き、でも合理的は好きじゃない。
 ある人の言葉。「誤解やすれ違いはつらい。すり合わせコストが大きすぎるなら、一期一会の表面的な付き合いの方が幸せかもしれない」。受け取って、すごくさびしい気持ちになった。

 トラブルになるような誤解やすれ違いは困るけれど、言葉の意味、捉え方、使い方が異なって、共通のイメージが持てないとき、私はちょっと楽しくなる。そこにその人らしさを感じるから。
 やり取りの中で生じたすれ違い、最初は「、、?」くらいのものだけど、数回繰り返すうちに「あれ?」となる。最初の小さな違和感で、「いや、これってこういうことだよね?」と問い詰めてもいいけれど、そこはどっちへ転んでもいいかなと思う。
 何も違和感なかったのに、途中で「あれれ?」となるときもあって、そんなときはどこからすれ違い始めたのか探す。自分と相手と、言葉、表情、状況、つなぎ、ひとつずつたどっていく。
 その作業が、相手への理解を深めると思っている。
 もしひとつも誤解なく、すれ違うことなくやりとりが終わったなら、きっと私はその人に興味を抱かない。単なる事務作業にすぎなくなる。
 生じたズレは、私とその人とのこれまでの差。そこを考えることで、その人を好きになっていく。好きだから知りたい。知るからもっと好きになる。

 そんなふうに一見無駄なズレを埋める作業が、実は効率的だと思っている。次のとき、別なとき、ほかの人でも、その経験が生きるから。
 毎回、すべてにおいてズレずに終わることはない。誰かとは、どこかでは「あれ?」という場面が訪れる。そのとき、「あのときこの人はこう言っていた」「こういうことを言う人もいた」、それを思い出して応用すれば、なんとかなることが多い。
 私が得意とする事務作業と同じ。間違いやまわり道した経験が、次にどうすればいいのかのヒントとなる。そうやって最短ルートと、万が一の絶対安全ルートを確保する。
 でも、もちろんズレを埋める作業は楽しいことばかりではない。「なぜわからないのか」と相手を不愉快にさせることもあるし、「私の言いたいことがちっとも伝わらない」と心が折れそうになるし、「ちっとも進まない」と焦ることもある。仕事の場合は特に。

 一期一会も大切。一度しか会ったことない人、いっぱいいる。だけど、もしその場の出会いを楽しめたらなら、次もあるといいなと思う。私の中にその人のデータは入ってるから。
 結局のところ、人の気持ちがわからず、人付き合いが苦手な私は、誰のこともデータをとっている。それを引き出してきて、その場をしのぐ。しのげないときも、失敗するときもよくあるけれど、そこはもう「人見知りだから仕方ない」と自分に言い訳をする。
 よい印象を持たなかった人だと、そりゃデータすらとらずに、ただ適当にその場を乗り切ることもある。その場合、多くは黙り込んで放っておく。できないことはしない主義。
 それはたぶん、私が放っておかれても平気だからというのもある。相手が困っていると感じたとき、「私のことは放っておいても大丈夫」と伝えたりもする。相手もどうしたらいいか悩んでるだろうなと思うから。

 言葉のズレや誤解は、実は余地のなさからくるのではないか。
 端的に、ミスなく、間違いなく届くよう、みっちりとすき間のなく詰め込まれた表現にこそ、誤解する”余地”があるような気がする。
 ひとつには、端的だという自負。自分の言葉に自信があるあまり、相手の言葉や思考を軽視したり、自分の枠内に納めていたりしないか。
 そして、間違えようのない表現でも、見間違う、読み間違うこともある。私なんて「アステルパーム(アスパルテーム)」「うらまやしい(うらやましい)」「ヌルンガ(ルヌガンガ)」と毎日のように間違えている。
 さらには、自分が相手の言いたいことをわかっているという過信。どれだけ端的な、間違えようのない表現をしたとしても、相手の捉え方が違う可能性はゼロではない。

 余地のない会話は、対になった会話だと思う。これにはあれ、という凹凸がきっちりはまるようなもの。だから凸の出っ張りが、たとえば人によって丸かったり、小さかったり、あるいは大きかったりするとき、凹にぴたりとはまらなくなる。
 ぴたりとはまると思っているから、ほんの少しぴったりではないことに気づかない。ズレがあるかもしれないという想像力が抜け落ちてしまう。
 もし端的ではありながら、相手の揺れを収める余地を残しておいたらどうだろう。相手への譲歩、というほどでもないが、そもそも余白を残しておく。互いに相手への余白を設けて言葉を渡し合う。余白を活かすも、使わないも自由。発した側は、「余白を使うかもしれない」と思っておくだけ。
 その余地や余白があって、その中で揺れることで、言葉のやり取りによる世界は広がるんじゃないだろうか。話が思いがけない方向へ転がっていくかもしれない。予定していた着地点とは全然違うところへ、しかも着地しないかもしれない。私も、相手も、想像する楽しさを味わえる。

 余地余白がなく、想像するスイッチが入らないコミュニケーションに、私は価値を見出だせない。
 せっかく出会って、一期一会で終わらなかったのであれば、あなたを知りたい。あなたとのコミュニケーションを楽しみたい。と思うのは私だけ?

  

  

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タナカアキ
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす