人間と世界
私が子どもの欲しないのは、ふたつ理由がある。
ひとつは、人様に迷惑をかけないような人間に育て上げる自信がないから。だって、私だよ。私みたいな社会から片足踏み外した者に、社会の内側で真っ当に生きられるようにできるわけがない。
そもそも「子ども、好きー」とか「子どもってかわいいよね」と思ったことがないので、一ミリも子どもなんて欲しくない。万にひとつ間違えて、妊娠してしまったのであれば生んだかも知れない。でも育てはしなかったと思う。たぶん、ちゃんと育てられそうな人にお任せする。
子どもは社会の宝、みんなの宝などと思っていない。でも、死ぬまで共同体の一構成員として、少なくともその益を享受して生きるのであれば最低限の義務は果たさなくてはならないと思う。それは税金を収めるのようなものから、他者(とその持ち物)を物理的にも精神的にも傷つけないというところまでを含む。
私はかろうじてこっち側に踏みとどまっているけれど、いつかあっち側へ転落すると思っている。友だちがいるこっち側にいたいけれど、無意識のうちに破滅を指向する性質ゆえ、社会的な死を迎えるときが来る。そんな私が共同体の一員としてやっていけるような、真っ当な人間に育てることなど不可能だ。
私が子どもの欲しない理由のもうひとつは、これからの世界を生きることが不幸だと思っているから。
今、ウクライナがロシアから攻撃を受けている。戦争。Twitterを見ていても多くの人が戦争に反対している。ところで、戦争って久しぶりに起こったのだと思う? 否、戦争というか、武力による攻撃や衝突はずっとどこかで起こっていた。
実は、パンデミックが始まったとき、こう考えた。「今回は戦争じゃなく、病なんだ」。
パンデミック以前から世界が行き詰まってるように感じていた。閉塞感というか、飽和状態というか、「これ以上」がない感じ。人間、特に集団となった人間は「もっと」を求める。「もっと」が手に入らないとき、世界はご破算となるのではないか。そして富める人たちの一部が滅び、残りの人たちがそれを手にする。
リセットボタンを押すときが近づきつつある気がしていた。一番簡単で一番広く大きく改変できるのが戦争だから、きっと10年20年のうちにふたたび世界は戦火にまみれると思った。
なのに起こったのは、パンデミック。疫病は静かにゆっくりと世界を壊していく。一気呵成とはいかないけれど、確実に人間を駆逐する。弱いところを飲み込み、時間をかけて世界は変容していくのではないか。
私はそんな気がするという話を、2年ほど前に人生で一番信頼した人と話したっけ。そうしたら「『銃・病原菌・鉄』を読んでください」と渡された。分厚くて、パラ見だけしてそっと閉じたことを覚えている。
パンデミックや戦争だけじゃない。自然環境は確実に破壊され、いずれきれいな空気も珍しいものになるだろう。植物も動物も保護施設に行かなくては見られないものとなり、目にするのはカラスかゴキブリか。
エネルギー、原発、汚染、開発など、先行きは真っ暗だ。私が生きている間に悪い方向へどんどんと進み、よくなることはないだろう。小さなユートピアがひっそりと点在するかもしれないけれど、そこに自分がいられる保証はない。それが続く保証もない。
そんな汚れた中で生きよと、世界に自分が差し出されたら。私は生きていく自信がない。よりよくなる未来が描けない私は、ネコたちと自分と、それらが死ぬまでなんとかこの世界が続きますようにと願うだけ。
それより未来、30年後、40年後が生きたいと思えるものであるのか。その中で「生きよ」と子どもを生み出すことが、はたして子どもにとってよいことなのか。
でも毎日子どもは生まれる。身近でも生まれた。その子に特別な感慨はないけれど、大変だなぁと遠くで思う。
私のような人間が親でなければ、世界は子どもたちによって変わっていくのかもしれない。ひどい世界を生き抜く力のある、ひどい世界を変える力を持つ子どもたち。
私にはちっともそうは思えないけれど、たぶんどうにか何かなるのであろう。あるいは、自分の子どもが幸せに生きれるように、その親ががんばってよい世界へと変えるだろう。
私はそれを見るとはなしに見ている。よい兆しを感じるか、それともリセットされるのか。ただひとつ確実なのは、人間が滅ぶのは大したことじゃない。何かしらの生物は生き残るか、生まれい出て、新しい世界が始まる。ただそれだけのこと。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす