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ざわつく夜

 なんだかざわざわした気分で落ち着かない。
 たぶん、きっかけは知人がSNSに投稿した「明日夜、野宿するけど遊びにこない?」を目にしたこと。
「あ、行きたい!」と思ったのだが、平日のうち4日はバイトで出社せねばならず、行けそうにないとあきらめた。明日は出社、でも明日「明日(あさって)休みます」と言えばおそらく休める。そうすれば、明日ちょっと早めに退社して現地へ向かえば21時半頃には到着できるし、あさっては休みだから体もつらくない。
 でも、休めるかお伺いをたてなくてはならない、自分の思いつきでぱっと行動できない、その不自由さに息苦しくなった。勤めている時間を売ってお金にしているだけでなく、それ以外の時間の過ごし方さえも自分の思い通りにできない。前職を辞めてから2年ちょっと、自由気ままに暮らしてきた私は猛烈なストレスを感じた。

 午前中の会話も引っかかっている。違いと否定問題が勃発。
 おじさんふたりと私、3人でお酒の話をしていたときのこと。私が「黒龍が好き」「黒龍の垂れ口が石田屋(や”しずく”)よりおいしい」と言ったら、「山田錦はもうあかん」「黒龍は甘すぎる」「黒龍はちょっと…」とふたりそろって否定した。
 一方私は、「ワンカップ大関でもいい」「常山がいい」「なんとかの青ラベルがいい」「五百万石を使ったあれがいい」というふたりの言葉に「へーそうなんですか」「それは知りませんでした」「ふーん、辛口がいいんですか」などと適当な相づちを打つ。「まあ、私、お酒詳しくないので」「華やかな香りの、お料理が必要ないお酒が好きなので」と言いながら、面倒くさくなった。
 詳しくて一家言あるなら、それはそれでいい。でも、だからといって人が好きだというものを否定するのはどうだろう。少なくとも私はしていない。否定してないのに否定されるという悲劇。
 この年齢で「えー、すごーい、私、お酒詳しくないからわかんなーい」「うわー、詳しいですねー、今度、お酒のことおしえてくださーい」なんてバカっぽいこと言わないよ。思ってもないこと言って、年上の人を持ち上げることもしないよ。でも、そうすればよかったかも。そうしたら否定されずに済んだろうから。
 違いがそこにあるということ。それだけのことなんだけど。

 思いつきで行動できるようであるためには、フリーランスとして自立するしかない。バイトせずとも、フリーランスの収入だけでやっていけるようにならなくては。でも、ライターとして稼げる気がしない。昨日会った人は朝日新聞系のメディアに持ち込みするような人で、うちのシェアハウスには家主絶賛の書き手もいる。
 人と比較してはいけないけれど、でも私にはなにもない。営業力も、文章力も、感性も感受性も、賢さも学歴も人脈も、要領のよさもない。まあ、原因は自分なんだから仕方ない。
 本当は田舎フリーランス養成講座でサイト制作を学ぶはずだったんだよなぁ。そのために17万払ったんだよなぁ。なのにライティングにしろって言われて、結局サイト制作もライティングもしなかったんだよなぁ。なんて愚痴も出てきてしまう。
 嫉妬と自己憐憫が、頭の中でぐるぐるかけっこしている。バターになっちゃうよ。

 カフェで閉店後に立ち寄った、店主夫妻と親しい人が「この人がもしかして」と私を見た。「前に来てほしいと思ってる人がいるって言っていた…」「そう、その子」。
 なんと、本当に私をご指名だったのか。働いて、働きぶりを見て「社員に…」とは何度か声をかけてもらったが、どの程度仕事ができるかわからないのに、一緒に働きたいと思われたのは初めて。
 うれしい一方、そう思ってくれるのに9月には鳥取へ行こうとしていることが申し訳なくなった。現状、手伝いがいないと肉体的にきついことが見えている。わかっていながら、時期が来たら「おいとまいただきます」とは去れない。
 去りたいわけではないけれど、一旦、この地を離れたい気持ちは強い。嫉妬や自己憐憫を手放すためにも、よそへ移りたい。でも…。

 

 そんなこんなで、ざわざわざわざわしている。あー明日、野宿というあり得ないことやって、心も頭も空っぽにしたいーーー!(野宿にそんな効果があるか知らんけど)

  

  

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす