死について考える【29日目】

今日は久々に死にたくなった。

というよりは、すべてを投げ出したくなった。

面倒なことを人生でやる必要はあるのかと。経験?まぁ、それなりに必要だと思いますが、好きなことをやって経験したいですよね。嫌なことを、面倒なことをやって経験なんてしたくありません。

ただ、そういうプロセスの方が金になるということはあります。例えば、下水の掃除。ふつうはやりたくないですよね。あんな臭い仕事。家を訪問して回って下水を掃除するわけです。2、3日汚物の臭いが取れなくなることもあるそうで。でも、そういう誰もやりたがらない仕事ほど、お金になるわけです。誰もやりたがらないから。

お金のために人生を費やすというのであれば、正解のルートでしょう。しかし、お金のために生きていない人からしたら、それは正しい道とは言えないでしょう。

そもそも、お金のために、といいますが、その先には何があるのか。豪遊なのか、安定した暮らしなのか。豪遊であれば、お金が必要かもしれません。心の持ちようで全ては変わりますが、たいていの豪遊はお金が必要です。安定した暮らし、こちらはお金があってもなくても実現できそうではあります。その人の暮らしぶりにもよるとは思いますが。

私はお金のために働きたくはないと最近考えるようになりました。もちろん、お金は多いに越したことはありませんが。給与の差で転職だって考えます。それは今の会社が給与で能力を査定しているからです。もちろん、自分自身の能力を過信しているわけではありません。こういうのはただの愚痴になりやすいですね。私も気をつけなくては。

では、何のために働くのか。死ぬとは関係ないと思いきや、死ぬまでの人生、ほとんどを仕事に費やすのですから、考えたっていいのです。

自分のために働く、これが今の私の考えですかね。自分のスキルアップのためです。スキルアップをしてどうするのか。できれば、独立したいですね。起業も考えています。

なぜ起業したいのか。週4日の会社を作りたいからです。もうただそれだけです。ひたすらそれだけです。週4日の会社を作って安定した暮らしができるなら万々歳だとは思いませんか?そもそも週5日も行かないといけないくらいに会社が労働力不足なのもどうかと思いますがね。残業なんてもっとです。人手が足りないといいつつも給与をあげない会社。もうこういうのをいい始めたらキリがありません。

人生において、仕事はステップアップの場でもあります。人間、成長することがすべてですから、仕事において成長しないといけません。成長しなくなったとき、それは単純作業に変わり、それは至極つまらないものになります。

工場で単調な作業をしている人は成長しているでしょうか?最初はしているかもしれません。素早くこなすように、と。しかし、しばらくすると、慣れてきます。それがピークにきて、成長の度合いが少ししか見えなくなると、成長が感じられなくなり、つまらなくなってくるのです。

話の途中かもしれませんが。10分なので今日はここまで。あでゅー

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