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死について考える【47日目】

死までの活動時間は限られているけど、どこを削るかという考えに至って、睡眠時間を削ることがよくある。しかし、睡眠時間を削るのはあまり得策ではない。

睡眠時間を削って活動時間を増やしても、活動の質はよくないので、結局はプラマイゼロ、むしろマイナスであることが多い。

睡眠時間もただただ増やせば良いと言うものではなく、睡眠時間ということがそもそも間違いで、睡眠が正しい表現か。

睡眠の質さえあれば、時間はそこまでなくても良かったりする。逆に、質が悪くて、時間だけたっぷりなのも頭が働かなくなる。つまりは質なわけだ。睡眠の質を良くするために、いろいろな方法が、ネットを探せばあるわけだが、どれが自分にあっているのか、しっかり見定める必要がある。見定めるには結局は全部試さなくてはならないわけだが、それもまた面倒だ。そして、質がよくなったかどうかはそんなハッキリとはわからない。やっても意味がないのではないだろうかと思う次第だ。しかし、どれかしら試す価値はあるだろう。

死んだら永遠の眠りに入るのだ。そこで最高の睡眠をすべく、今のうちに睡眠の練習をしておかねばならない。

小学生の頃はスッと寝れていたはずだ。それがなぜ大人になるにつれて寝れなくなるのか。その1日に全力を出せていないからじゃないのか。やはり。

コロナの影響もあるけれど、最近体を動かせていないなとつくづくと思う。準備体操など、小学生の頃は必要ないと思っていたが、今になると、準備体操だけで疲れるのだから。体が強張り、思うように動かない。準備体操だけで痛みが走る。こういう大人にはなりたくないと思っていたけれど、なってしまった。であれば、改善していかなければならないだろう。

毎日思考も少しずつ変えて、行動も変えて、そうやって進んでいかないと。こう思っているということは今できていないということでもあるから。そんな自分に何度嫌気をさしたであろう。何か変化をと、突然を求めるのはもうダメなんだ。突然なんてない。きっかけは今この瞬間なのだ。いや、意外ときっかけは運命だったりするわけで。運命のいたずらに今ボコボコに負けているのだろう。どう倒せばいいのか。どうやったら抗えるのか。突き詰めていくしかない。もやもやと一人で悩んでるのもまた頭がおかしくなりそうだ。

梅雨をいいわけにしているわけではないが、梅雨は早く終わって欲しい。

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