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田村潤「キリンビール 高知支店の奇跡」読書感想文

矯正指導日の前日に官本で借りた本。
なにかサクッと半日ほどで読める本が欲しい。
新書サイズだったらちょうどいい。

矯正指導日とは、自身の犯罪と向き合って反省文を書く日。
月に2回ある。

しっかし、いっちゃあわるいけど、刑務官らが振りかざす矯正教育の中身のなさ。

そりゃ、悪いことをしたという自覚は十分にあるので、刑が執行されたときは、しっかりと反省しようと思った。

が、受刑生活をしてると、反省しようという気も失せる。

社会から隔離された中で勤めている刑務官というのは、やはり言うことも社会から大きくかけ離れているからだった。


この本を選んだ理由

題名に “ 高知支店 ” とあるところで選んだ。
高知支店でなければ、手に取らなかった。

行ったことはないし、縁もゆかりもないけど、高知県に興味がある。

興味を持たせたのは、司馬遼太郎の『歴史を紀行する』を読んでから。

豊臣秀吉が天下統一したときに、大阪の人々は初めて土佐人というものを見た。

降伏した長宗我部元親が、50名を連れて、大阪へのぼってきたのだった。

沿道には見物がひしめいて、人々は土佐人の風体に驚いた。
髪型も異なる、衣類も異なる、刀も異なる、馬も異なる。
海外からきた蛮族か、というような印象を人々は抱いた。

大阪と土佐は距離的には近いが、土佐は四国山脈で囲われているから、これほどの独自さを持ったのだった。

で、現代の高知県人は、議論好きの酒好き。
人口比率に対して多い職業は、弁護士だという。
司馬遼太郎が調べてみると、ずばぬけて日本一らしい。

高知県人は、白黒つけたがる気質がある。
説得するのは並たいていのことではない、とも。

国税庁の統計によると、1人あたりの酒の消費量も日本一。

検察庁の統計でも、酒を飲んでの刃傷沙汰の事件数が日本一だが、当の高知県人は恥ずべきとは思ってないようだ。
そこまで飲んだのかと称える、と司馬遼太郎は書いてある。

そんなところの、高知支店の奇跡とはなんだろう?
キリンビールはなにをしたのか?
田村潤とは何者なのか?
気になるではないか!

矯正指導日の憂鬱もやわらぐ気分で借りた。

2016年発刊|192ページ|講談社

読感

読んだ直後の感想

よかった。
読み出すと止まらなかった。
わかりやすくまとまっている。

仕事のヒントに溢れている。
凝縮されている。
娑婆に出ても、手元に置いて、2度3度と読み返してみたい。

けっこう熱い。
熱い漢、田村潤ではあるが、それだけではない。

ひとつひとつのエピソードが現場の体験。
リアリティーがある。

こうして奇跡というのは起きるのだな、というすっきりさがある読書だった。

田村潤さん、邪推してすみませんでした

著者の田村潤は、キリンビールの元副社長とある。
読む前には、自画自賛かもな・・・という気もした。

大企業の上から目線たっぷりの、キレイごと満載の、大企業の役員だから言える内容の本かも。

おそらく、アメリカ式のなんとかという理論だとか持ち出して、なんとかというカタカナ戦略を説くのだろう。

キリンビールの副社長にもなるデキる田村潤だ。
となると、恥ずかしげもなく内輪のヨイショを紹介したり、関係者への美辞麗句を散りばめているかも。

ひょっとして、キリンビールの宣伝も兼ねているのか?
大体にして、大企業の役員の本なんて、そんなものが多いではないか?

勝てば官軍なのだ。
奇跡というのだって、本の題名にそう入れれば売れるというだけで、実は大したことないのかもしれない。

どうせ田村潤なんて、スケベそうでチン○がデカそうでネチネチしたようなオヤジだろう。

そう思いながらページを開いたが、あとは止まらない。

上記はすべて邪推であった。
獄中にいると、なにかと文句が出てくるものだった。
懲役病の一種である。

21時の消灯後の布団の中でも読んでしまった。
ちなみに、消灯後の読書は規則に反する。

15分ごとに刑務官が巡回するので、見つかれば懲罰である。
足音が聞こえるたびに、さっと寝たふりするのを繰り返して、だいぶ読んでしまった。

あとがきには、人柄がにじんでいた。

ビジネスマンである田村は、今までのすべての文章はA4用紙2枚までにまとめるように書いていた、という。
そのため、おもしろく本を書けなかったとある。

いや、十分におもしろかった。
高知支店の奇跡、という題名はまちがいなかった。

内容のまとめ

キリンビールが国内シェア1位に

1954年に、キリンビールは国内シェアNo.1の座につく。

1970年からはシェア60%となって、営業しなくても売れる時代がつづいた。

そのために営業は、売る苦労や工夫を知らない部署となっていた。

企業風土も、官僚主義、形式主義となっていく。
実行よりも手続きに時間がかかり、役所以上に役所とまでいわれた。

現場よりも会議が重視されて、本質の把握よりも細かな分析こそが大事にされた。

アサヒビールの追い上げ

1990年代に入ると、スーパードライをヒットさせたアサヒビールが追い上げてくる。

シェアの逆転は時間の問題に思われた。
が、キリンビールは、なにも手を打てない。

スーパードライに寄せるようにして、以前からの主力商品の味を変えるという、現在ではマーケティングの教科書に失敗例として取り上げられる施策もする。

2001年には、ついにアサヒビールにシェアNo.1の座を奪われた。

高知支店での営業方法

そのような状況で、東京本社勤務だった田村は、支店長として高知支店に赴任した。

人員12名の支店。
ライバル会社の工場もあり、キリンビールは不人気な地域。

飛行機で向かう田村は、暗い気持ちしかなかった。

売上が悪いと、東京本社からは管理を強化しようと、様々な施策と指示が届いた。

しかし田村は、本社の意に沿わない営業を開始した。
すべてが手探りで行なわれた。

まずは、売上の大きい量販店ではなくて、小さな飲食店に狙いを定めた。

2度や3度くらい断られても、かまうことなく足を運ぶ。

狙いは広がっていく。
農家のビニールハウスまで飛び込んで「キリンです!飲んでください!」と営業に回る。

果ては、出航前の漁船に「キリンです!」とビールを抱えて乗り込む。

なにがあってもキリン、かにがあってもキリン、なんでもかんでもキリン、と田村も走り回る。

これらは根性論ではない。

お客さんの目線を大事にするという戦略に基づいていた。
田村には「現場に本質がある」という信念があったのだ。

支店の意気が変わると、売れる流れも変わってきた。

宴会が大好きな高知県人なのだ。
田村は年間に270席の宴会に顔をだして、高知県人の気質も知っていく。

花見の翌朝には、ゴミ箱をひっくり返してビールの空き缶を調べてもみた。

キリンビールの空き缶は、年々と増えてきていた。

不可能ではなかった。
高知支店は、奇跡といえる結果を出したのだった。

キリンビールが首位奪還する

高知支店の奇跡によって、田村は東京本社に戻される。
複雑な気持ちではあるが、今度はキリンビールそのものを、まるごと立て直す営業をするためだ。

営業本部長となった田村は、まず会議を廃止した。
それまでの営業の方法も変えていく。
企業風土も変えていった。

そうして2009年、ついに今度はキリンビールがNo.1の座を奪還したのだった。

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