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栗原景「東海道新幹線の車窓はこんなに面白い!」読書感想文

東京駅だった。
今から新幹線で、関西の警察署にいくという。

手錠をかけられたまま、腰縄のまま、こんなにも人がいる駅を歩くのか。
躊躇したが、今さら騒いでも、どうなるわけでもない。

腰縄の持ち手は短くされて、上手い具合に服で隠された。
くっついて歩けば、ほとんどわからない。

A4のクリアファイルが、刑事のバッグから取り出された。
手錠の手を隠すようにして、それを持つのだった。

なぜ、クリアファイルなのかわからないが、このくらいがいいのかもしれない。
上着などかけられたら、かえって目立つ。
「わたし、逮捕されました!」とアピールしてるようだ。

実際は、そこまで気にする必要もなかった。
これから出発する人に、いま到着した人たちが行き交う東京駅の構内では、手錠の移送者など誰の目にも入ってない。
誰も気にしてない。
東京から追放される気持ちがした。

新幹線の車内で、トイレに向かったときには油断した。
小さな女の子が、手錠に腰縄を目にしたのだった。
行儀のよさからすると6歳くらいか?
車窓は弟に譲っていた。

トイレから席に戻ってきてからは、女の子は通路を何度も行き来して、チラチラと見てくる。
『ほら!つかまっちゃったぁ!』って、手錠を見せてふざけたいけど、そうもいかない。

両側に座る2人の刑事も『むこういけ』ともいえず。
せめて怖がらせてはいけないと、3人そろってアホみたいにニコニコするしかできない。

が、女の子は怖がってはない。
ただ、不思議そうな目で見てくる。
『あのおじさん、なんで手錠してるんだろ?』というような目で、ただ不思議そうに見てくる。

まだ彼女は、いい人とわるい人の区別がつかないのだ。
というよりも、彼女の日常には、いい人しかいない。

小さな彼女から向けられた目で『悪いことはするもんじゃないな・・・』という素直な反省が沸いてきた新幹線だった。

それから釈放されるまでの4年間で、いちばんに反省したのが、この新幹線だったかもしれない。


きっかけ

官本で借りたのは、刑執行になってすぐのころ。
はじまったばかりの受刑生活に、心が慣れてないころ。

いつもの鉄格子の窓からは、いつもの風景。
いつもの日課に、いつもの所作に、いつもの服に、いつもの作業に、いつもの食事。
同じことが、キチッと繰り返される。

あと何月続くのかと、毎日のように指を折って数えるが、少しも変わらない。

感情が少しずつ干乾びていって、自身で払い落とすことができれば、もう、無理に欲求を抑えこむ必要もないと気がついていく。

無味乾燥な受刑者となる直前に読んだ本となる。

単行本|2016年発刊|207ページ|東洋経済新報社

感想と内容

著者の鉄道愛が伝わってくる。
写真や図解が、オールカラーで多数ある。

著者のプロフィールには、旅と鉄道、韓国をテーマにしているとある。
フォトライターとして、雑誌、書籍、ウェブに記事と写真を寄稿している。

著作には鉄道関連が多い。
東海道新幹線は、日本でも屈指の「面白い」車窓を誇る路線だと著者は本書で断言する。
「乗り鉄」というのか。

『自然風景から名所旧跡、工場、謎の看板?ルート選定のエピソードまで、全82ヵ所の謎に迫る!』とカバー裏にある通りだった。
海側も山側も、まんべんなく取り上げている。

車窓からの風景だけではない。
通過する地域の歴史も書き込んである。
風土の特徴も解説されている。
不思議な建物の理由も調べてある。
新幹線計画のルート選定のいきさつや、工事の状況もまとめてある。

車両については、N700系と700系の2種類が使用されているが、700系のほうが窓が広いと、鉄道マニアのこだわりもある

さらには駅弁の買いかたもあるし、座席の選びかたもあるし、途中下車してからの散策案といった車窓とは直接関係ないことも書き込んである。

ごちゃごちゃ感が、さほど鉄道の興味がないくても、読むのを飽きさせなく楽しくさせる。

新幹線に乗ったときに、この本を開いてみたら楽しそう。
1回目は東京発がいい。
で、山側の窓際に座るのがベストな印象はある。

ただ残念なことに、残念といっても著者には全く関係ないことだけど、この本は、実際に車窓から眺めることで完結する。

いつでも自由に新幹線に乗ることができる状況で読むから、楽しさが膨らむ。

おもしろい本には間違いないけど、受刑者にとってはキツイ読書となってしまった。

内容の抜粋

いちばん多い野立て看板は「727」

野立て看板とは、新幹線の車窓から見えるように野原に立てられた看板。
著者は実際に目視して、細かくチェックしている。

いちばんに多い野立て看板は「727」となる。
セブンツーセブン。
美容室専門の化粧品メーカ。

ただ、これらの野立て看板は、自治体の条例強化で、年々と減少していると、著者の残念さが伝わってくる。

東海道新幹線の敷設が奇跡に感じた

いかに新幹線の敷設が大変だったのか。
なにがなんでも、東京オリンピックに間に合わせなければならない。

1959年(昭和34年)に工事が着工。
1964年(昭和39年)に開通する。

走行試験をしたのは、開業予定の1年半前。
250kmの高速走行、カーブ走行、トンネルや橋梁の通過、すれ違い、非常停止、などのあらゆる試験をすべて行い、現在の新幹線技術の礎を築く。

開業してからも、無事故となっている。
大袈裟ではなくて、奇跡に感じてくる。

東海道新幹線のルートは早さを重視した

驚くことに、開通の2年前まで、用地確保の目処すら立たない区域もあった。
有楽町と浜松市だ。
ギリギリで間に合っている。

最短ルートではなく、遠回りしている区間も多々ある。
ひとつ挙げると、名古屋から大阪のルート。
その間にある鈴鹿山脈にトンネルを掘ると、東京オリンピックに間に合わなくなる。
10km以上迂回する「関が原」を通過するルートとなった。

仮釈放の日に

次に新幹線に乗ったのは、仮釈放の日だった。
逮捕の日から、4年が経っていた。

身元引受人が迎えにくると思っていたら、釈放の前日になって手紙が届いて、コロナ感染のピークだから迎えなどいけないと書いてある。

1人で帰ってきてくれだ。
帰住地までは、バスと電車を乗り継いでいくことになる。
半日かかる。

不安ではあった。
仮釈中は、たとえ相手からぶつかってきたとしても、足を踏まれたとしても、カラまれたとしても、こちらから「すみませんでした」と謝らなくてはならない。

こちらに非がなくても、もし警官に咎められたら、その場で犯人扱いされて引っ張られるぞ、仮釈取り消しだぞと、さんざんと刑務官からは言われている。
気をつけるしかない。

朝の9時に釈放された。
今日中には、居住地に帰らなければならない。
そして、明日の朝イチに、指定された保護局に出頭しなければ、仮釈はあっさりと取消しになってしまう。

門を出て、坂を下りたところにバス停はある。
やがて来たバスを乗り継いで、地下鉄に乗って、新幹線のホームについた。

その間、少しの戸惑いがあっただけ。
4年くらいの懲役では、浦島太郎にはならないと聞いたとおりだった。

踵に「739」と記入された運動靴は、新幹線のホームのゴミ箱に突っこんだ。
コロナ渦のピークだったから、車内は空いていた。

新幹線は動いた。
それからの車窓からのスピード感には、驚くばかりだった。
この4年間、速く走るものを見てなかったし、乗ってもなかったから。

止まっていた時間が、ぐいぐいと動くのを感じる。
これからは、このスピード感がある世界に住むのだ。

今朝まで入っていた刑務所でのことが、かなり昔のようだ。
しっかりと浦島太郎になっている。

窓に張り付くようにして、流れる景色を見ていた。
これほど新鮮な気持ちで、車窓を見たことはなかった。

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