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有吉佐和子「青い壺」読書感想文

読書の “ コツ ” を掴んだ気がする。
1冊で1つ得ることがあればいい。
なにか1つを得ればいい。
そんな気持ちで読んでみる。

本当は『1を知って10を知る』がいいのだけど、自分には無理だろうなというのはわかっている。
1冊で1つを知って、心にメモする。

2つ知ることができたら、儲けものというか、かなり上出来。
3つだったら、けっこう忘れてしまう。
だから読書録を書く。

4つ以上だったら知りすぎだ。
これはというものを1つを選んで、心にメモする。
1つだったら、なかなか忘れない。
でも、せっかくだから、残りは読書録に書いておく。


この本を読んだきっかけ

瀬戸内寂聴の「いのち」に、有吉佐和子が紹介されていた。
瀬戸内寂聴とは、同世代の作家仲間だという。

有吉佐和子は「恍惚の人」がベストセラーになる。
“ 恍惚(こうこつ)” は流行語にもなった。

ところが、その後の有吉佐和子は、ニューヨーク沖の島を買って、そこで女王になると言い出したりするなど、奇行が目立つようになる。

直後に53歳で死去。
そのせいで高名が守られたと、読書録には抜書きしてある。

すると、官本で、有吉佐和子が1冊だけあるのを発見する。
不思議だ。
今までは、目にも留まらなかったのに。

手にとってみる。
ずいぶんと古びている。
紙などは茶色くなっていて、今すぐ読みたい気が失せる。

本の貸し出しカードを見ると、なんと、衛生係の743番の佐々木君が読んでいる。
なんとというのは、まだ彼は若いからだ。

昼休みに、佐々木君に訊いてみた。
地元の和歌山のことが書いているからと、先輩に手紙で薦められ読んだけど、この本には書いてなかったとのこと。

感想としては「嫁と姑のあれこれが、ちょっとクドいかなって感じでした」というもの。
要は、おもしろくなかったらしい。

が、寂聴さんが紹介した作家は、ぜひ読まなければだ。
どんな本だって、1つは得るものが見つかる。

文庫本|2011年発刊|345ページ|文藝春秋

初出:文芸春秋 1976年1月~1977年2月 掲載

※ 筆者註 ・・・ 読んだのは、1977年発刊の300ページの単行本のほうです。絶版になっているのか、ネットでは見当たりませんでした。

感想

めずらしく、古さを感じてしまった。
昭和の小説が好きなのに。

本の紙が茶色すぎるからか?

昭和51年に「文藝春秋」に掲載とあるので、なんのかんの50年近い前の小説となる。

若い佐々木君が、嫁と姑のあれこれがクドいと感じるのは無理がないとは感じる。

でも、5年前であっても、古さを感じさせる小説もある。
50年前であっても、古さを感じさせない小説もある。

なんだろう、このちがいは?
やはり年齢のちがいなのか?

話の展開は、おもしろくて飽きない。
ページは茶色いが、文章は詰まることなく読める。

京都の陶工が青磁の壺を焼いた。
その青い壺は、次から次へと人の手に渡る。
10年が経つころに、その青い壺を再び目にした陶工は、思いがけない評価に驚く、という内容。

ラストには含みがあって、考えさせられもした。

人物がリアルに伝わってきた

古さを感じたのは、登場人物が妙にリアルだったからかも。
懐かしさがあるリアルさがある。

たぶん、嫁と姑のあれこれがクドいと感じたのも、そのせいだと思われた。

青い壺が次から次へと人の手に渡っていくので、その分だけ登場人物は出てくる。
大半が高齢者となる。

この小説が掲載されたのは、1976年(昭和50年前後)だ。
そのころで、年齢が60代から70代だとすると、生年は明治の後半から末となる。

昭和では高齢者となっているその世代の言動が、青い壺と共にふんだんに描かれている。

これが、いってみればクドい。
エネルギッシュだし、わがまま。
偏屈だし、文句ばっかり。

明治生まれというと、人間がしっかりしている印象があるのだけど、だからといって、皆が皆、人格者ではないのだなとわかるようだった。

昭和10年までは豊かだった

昭和の戦前というと、暗くて貧しいイメージがある。

が、それは重税にあえいだ農村部だけで、都市部では昭和10年ころまでは割合と豊かな生活だったと、誰だったか、たぶん磯田道史だったと記憶しているけど、以外にそういうことらしい。

一気に暗く貧しくなったのは、昭和10年から終戦の20年までの間のことで、この小説の登場人物もそんなようなことを言っている。

だからなのか。
明治の後半から末の世代に、悪印象が残ったようだ。

だって、案外とエグい人だ。
実は贅沢にも慣れているし、戦争では若者を送り出しているし、戦後は文句ばかりだし。

よくいえば、それほど人物の雰囲気が伝わってきた。
これが “ 筆致 ” というやつか。

そして「恍惚の人」を読みたくなった。
発刊が1972年で、すでにそのときで、介護と認知症をテーマにした小説だという。

おそらく、明治生まれの高齢者がクドく描かれているに違いないと、1つを得れた読書だった。

ネタバレあらすじ

すごくいい青磁の壺が焼けた

牧田省吾は、デパートや寺の配り物の陶器を製作している。

死んだ父は、名声がある陶工だった。
その反発から、名を売るのは避けて、一家4人が食えていくだけの陶器を製作してしいる。

が、ある日のこと。
自分でも驚くような青磁の壺が焼けたのだ。

父親が残していた土を使ったからもしれない。
試しに使ってみただけだった。

それに、窯で焼いたときには、古材を使ったのもよかったかもしれない。
知人が家屋を解体したときに、譲ってもらったヒノキの古材だった。
偶然が重なったのだ。

しかし、その青い壺は、デパートの担当者に渡ってしまう。
牧田が留守をしている間に、妻が勝手に持ち出したのだ。
今さら取り返すのもできない。
牧田はあきらめた。

東京のデパートで20,000円で

その壺は、東京のデパートで2万で売られた。
購入したのは、定年退職した会社員。

お世話になったお礼の品として、壺は会社役員に贈られた。
役員はうれしくもなかったが、一応は家に持ち帰る。

その妻は、言われた通りに、誰かに譲り渡すことにする。
考えた末に、お花教室の知り合いに譲られた。

そしてまた、知り合いの母親が壺を譲り受ける。
白内障の手術が成功したお礼にと、医師に贈るためだった。

箱ごと受け取った医師は、ウィスキーだと勘違いして、銀座のバーに置いていく。
バーのママは、忘れ物として自宅まで届けた。

それを受け取った医師の母親は、箱を開けてみた。
一目で壺が気に入る。
花を生けて使っていたが、1年後に他界する。

しばらくしてのある日。
医師と妻が外出から帰ると、泥棒に入られていた。
その青い壺も盗まれていたのだった。

京都の東寺の縁日で3,000円で

次に青い壺があらわれたのは、東寺の縁日だった。
毎月21の弘法さんの縁日では、骨董品が安く売られる。

その壺を3000円で買ったのは、女学校の同窓会で京都を訪れていた婦人だった。
東京の自宅に帰ってからは、孫にプレゼントされた。

孫は、ミッション系スクールの栄養士をしていた。
ある日、お世話になったシスターが、スペインに一時帰国するという。
その青い壺は、シスターにプレゼントされた。

800年前の南宋の作品

青い壺を焼いてから、10年が経つころだった。

牧田は、自身の作品に納得できることも多くなってきていた。
東京で展覧会を開いて、名を売るようにもなっていた。

その日、牧田は、古美術評論家の家にお礼に伺った。
展覧会のために尽力してもらったのだ。
日本で、1、2といわれる評論家だった。

評論家は、体調を崩して寝込んでいた。
バルセロナにいって急性肺炎になって、死にかけたという。
しかし、バルセロナの骨董屋で見つけた壺を抱いて飛行機に乗って帰ってきたという。

掘り出しモノの壺だと、評論家は満足気だ。
鑑定するには、800年前の南宋の作品だという。
その壺は披露された。

牧田は驚いて声がでない。
どう見ても、あの青い壺なのだ。
10年前に自身で焼いた、あの青い壺だったからだ。


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