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クロード・ブラウン「ハーレムに生まれて」読書感想文

1971年発刊の本。
ハーレムとは、あっちのハーレム。
ニューヨークのハーレム。

50万人の黒人が住んでいて、アメリカで最も人口密度の高い地域だったハーレム。

著者のクロード・ブラウンは作家ではない。
1935年ころに、そのハーレムに生まれた。

5歳ほどの記憶から22歳で大学に進んで、しばらく経ったころまでの実体験の手記となる。

その後は、大学院に進んで法律を勉強したとまでしかわかってない、と訳者の小松達也のまえがきには書き添えてある。

この本が出版されてからのエピソードが、ひとつ紹介されてもいる。

著者は、上院の雇用問題委員会の参考人として証言する。
そのとき、居並ぶ議員たちは、彼の言葉(スラング?)を理解ができずに通訳をつかわなければならなかった、とある。

副題には『黒人青年の戦慄と感動の手記』ともある。

『出版されると100万部を超えて、黒人ものの三大ベストセラーという評価を得た』と訳者は紹介もしている。


本の雰囲気

セリフが多い少年の口語体で書かれる
クロード・ブラウンは、作中では “ ソニー ” と呼ばれる。

ソニーは小学校には通わずに、仲間とハーレムの通りをうろついて悪事をする。

少年の目で見たこと、話したこと、仲間たちとのこと、それらがとりとめもなく口語体で書かれる。

2段組のページで、文字は小さめで多量。
書きなぐるような文章。

もうちょっと文章を整えたほうがいいとは正直いって思うのだけど、少年の気持ちが現れている。

深刻な社会の背景について知りたいところだけど、それについては書かれてはない。

主張があったり、鼓舞したり、正当化があったりもない。
怒りや不満がぶちまけられたり、批判をしたりもない。

あったとしても、少年のものである。
真っ直ぐで、どことなく無邪気でほほえましい。

著者まえがきは、本編とタッチが異なる
まず本を開くと “ 著者まえがき ” が2ページある。

ここに手記の背景が書かれている。
本編とは異なる文章のタッチで、成年になった著者の文章で書かれている。

『私は、北部の都市で生まれ育った第1世代の黒人について話したい。』とはじまる。

まとめると以下である。

著者の親世代が、南部から移り住んだ。
南部でもっとも貧しい “ 小作人の子女 ” である。

大恐慌のあとの10年間に、ニューヨークに移入してきた。

ニューヨークにいけば “ 豊かな生活への無限の機会 ” があり “ 人種差別 ” なんてものもない。

そこでは黒人でも、バスルームと電気と水道とトイレがある家に住める、と先行した移入者たちは伝えてくる。

南部にいる彼ら彼女らにとっては、それは何年も綿畑で歌っていた “ 約束の地 ” だった。

“ ニューヨークにいく ” ということは、日の出から日没までの奴隷労働へのサヨナラを意味した。

背中の重荷をおろすのに、天国へ行くまで待たなくていい。
ニューヨークにいけば下ろせる。

こうして彼ら彼女らは、摘み取られた綿花畑をあとにして、ハーレムにやってきた。

しかし、先の移入者たちは急ぐあまりに、もっとも重要な一面を言い忘れていたようだ。

そこはスラムだった。
人々は、押し込まれるようにして住んでいた。

これら移入者の子供たちは、失望と怒りをそっくりそのまま受け継いだ。

そのうえ、彼らには救出の望みもなかった。
なぜなら、すでに “ 約束の地 ” にいる以上、そこからどこに行けるのだろう。

そのような、まえがきがあってから本文に入る。

原題は『 Manchild in the Promised Land 』となる。
“ 約束の地の子供 ” と訳される。

単行本|1971年発刊|262ページ|サイマル出版会

訳:小松達也

■ 原本 ■
1965年 アメリカ発刊
『 Manchild in the promised land 』

ネタバレあらすじ

※ 筆者註 ・・・ こういった話は短くすればするほど、どこかで聞いたような話になってしまうことに気がつきました。それもあって長めとなってしまいました。だいぶ省いてはあります。

1940年代の前半、9歳までのこと

学校のサボリを教えてくれたのは、デニーだった。
4つほど年上になる。

街をうろついて、食事は店先から盗む。
家先からシーツを盗んで売って、街頭で新聞を盗んで売って、映画館にいく。

キッド、バッチ、バディ、も仲間になる。
バッキー、ノクシー、ブルドックも加わる。

仲間と組んで店主の目を反らして、その隙にレジを開けて現金を掴んで逃げた。
靴磨きの連中を脅して金もとった。

いつもポケットには10ドル以上があったし、俺たちは子供だとは思ってなかった。

同い年の連中を子供扱いしていたし、そうする権利があると思っていた。

とはいっても、年上の連中みたいに野宿できる年齢ではなかったので家には帰らならければならなかった。

その前には、ポストは確かめなければだった。
学校にいかないと、家に通知がくる。

その通知が父親に見つかると「根性を入れかえてやる!」とベルトで死ぬほど引っ叩かれて、弟と妹が泣き叫ぶからだった。

9歳になるまでに、3つの学校から放校された。

警察にも補導員にも何度か捕まったが、どこの保護センターもいっぱい。

裁判所で注意を受けてからは、母親が迎にきて、すぐに帰されるだけだった。

母親は「いったい、お前はどうして、こうも手に負えないのだろう」と心配する。

そんなことでは20歳まで生きられない。
そのうちに、警官に撃たれて死ぬともいう。

信心深くもある母親は、悪魔に取り憑りつかれたと泣いたりもした。

でも、学校よりも、仲間と通りにタムロしているほうが楽しかったから変わることもなかった。

・・・ 本文はセリフが多い。
生き生きと描かれている。

家庭環境が複雑というのはない。
父親は厳格で、母親は優しくて信心深い。
弟が1人に妹が2人いて仲はいい。

本文では、パパとママになっているが、あえて『父親』と『母親』に変更してみた。

本編は、13歳のときに撃たれた場面からはじまっているが、ちょっと整理されてなくて、前後に飛んでいてわかりずらいので、時系列に沿った “ ネタバレあらすじ ” とした。

11歳ころ、ウィルトウィック少年院で

11歳のときの盗みで警察につかまった。
今度は少年院に送られるという。

送られた先は、ウィルトウィック少年院だ。
100名が収容されている。
知っているヤツは1人もいなかった。

ここでの生活は、少なくとも1人の仲間が必要だった。
仲間となったのは、ブルックリン出身のK・B。

チトー、ホース、J・J、スタンピーも仲間に加わった。
仲間とは、食事や差入れを盗んで山分けした。

一時帰宅にもなる。
ハーレムの通りにいた皆は、ワリック感化院か、どこかへ送られていた。

ウィルトウィックでは、2年半を過ごした。
ハーレムに戻ったときは13歳になっていた。

デニーやキッドもいた。
最初はおもしろかった。
でも、皆も変わったし、俺も変わった。

今の皆は、流行のクスリやって、ダンスをしたり、邪魔をされればピストルを撃ったりする。

盗みやケンカをするのは、子供のやることなんだそうだ。
3週間もするとつまらなくなって、ウィルトウィックの仲間たちと会うほうが多くなっていた。

ジョニー・Dと知り合ったのは、この頃だった。
同じアパートなのに、それまで知らなかったのは、17歳から刑務所に入っていたからだった。

21歳で大人のジョニー・Dだった。
なんでもやっていた。

誰かが盗んできたものを売っていたし、近所のクスリの売買は一手に引き受けていたし、ピストルも売っていた。

ヒモは一流だった。
女を上手にひっかけては立ちんぼをさせて、いつも金を取り上げていた。

殴ってでも残らず金を取り上げるのがコツで、そうすれば表に出て稼いで戻ってくるという。

ジョニー・Dから教わった通り、ジャッキーをひっかけることができた。
美人の13歳で、近所でも評判の立ちんぼだった。

教わった通りのことをジャッキーに試すと、すぐに表に出かけていって稼いできてくれた。

このころから、ヘロインをやるのがヒップだと、流行のようにして急速に広まってきた。
インフルエンザみたいに広まった。

やってはみたが、体質に合わなかったようだ。
意識が朦朧として、いつまでも具合がわるかっただけで、死にかけたようだ。

デニーには頬を引っ叩かれて「今度やったらぶっ殺す」とも兄貴づらされたが、本当に怒っていたので腹も立たなかった。

・・・ 50年以上も前の発刊なので、現在では聞かない語句もある。
その表記もバラバラとなっている。

スケ、商売女、という語句はどうも昭和チックなので、単に『女』と変えた。

ビッチ、売春婦、娼婦、という語句は出てこないので『立ちんぼ』とした。

ポリ公、サツ、というのも単に『警官』とした。

13歳のころ、撃たれてから

とうとう撃たれた。
盗みに入った店で。
13歳だった。

死ぬ怖さよりも、すぐに飛んできた母親が泣いて叫ぶほうがうっとうしいくらいだった。

その事件で、マック、バッキー、ターク、チトー、ダニーも捕まった。

退院してからは、ワリック感化院に送られた。
500名収容のワリック感化院は、刑務所と同様だった。

窓も小さく、どこにも自由に動けない。
殺人者、強姦魔、変質者がいる棟もある。

銃で撃たれたことで名が上がっていて、入所したときには狙われていた。

初めこそは、メキシコ人にケンカをふっかけられもしたが、K・Bと再開したことで身の安全は保てた。

1ヵ月ほどでグループとなり、ほかの者から保護料を取るようにもなる。

ワリックは、ニューヨークのあちこちから、いろんなワルが集まっていた。

自動車が盗みかたくらいは全員が知っている。
ヘロインの錠剤の作りかたも全員が知っている。

生活に慣れてくると、居心地もよくなってくる。
2ヶ月ごとに3日の帰宅できるから、常に誰かが街の情報を持ってくるから不自由しない。

それどころか、街で悪事もしてから戻ってくれば警察も探しようがない。
ワリックにいたほうが安全といえた。

1952年になってワリックを出ることになる。

ハーレムに戻ってからは学校にも通ったが、マリファナを売ったり、インチキのサイコロ賭博で稼いでばかりだった。

2度目にワリックに行ったのは、父親に殴られて、家を出てけと言われたから。
所長にも会いたかったし、仲間にも会いたかった。

ハーレムにあるワリックの事務所にいって、職員に事情を話すとワリック行きのバスに乗せてくれた。

でも、しばらくして出されて家に戻った。

それからも学校には行ってなかったから、また父親にも殴られたが、ある日に2人とも何かがわかった。

いつまでも小さな子供ではない、ということだった。
もうこれで最後なのだ。
実際に、その日が父親に殴られた最後だった。

3回目のワリックとなったのは、毛皮の故売だった。
家にいると警官がきて、あっさりと逮捕された。

半年してハーレムに戻る。

デニー、バッチ、キッドは、すっかりとヤク中になっていて、通りに座ってウトウトしているばかりだった。

ジョニー・D、アレー・ブッシュ、ダニー、ターク、チトー、バッキーたちは刑務所に入っていた。

入れ替わるようにして、レノが刑務所から出てきていた。
「お前もギャングになるなら、もっといろんな商売を覚えないとだめだぞ」といろいろと教えてくれた。

マリファナの売人を本格的にはじめた。
常に300ドルは持つようになり、身なりをよくした。

100ドルの服を着て、35ドルの靴を履き、5ドルのネクタイを締めた。

レノは “ キャッチ ” のやり方も教えてくれた。
タイムズスクエアの近辺で、キョロキョロしている観光客に「いいコ、いるよ」声をかける。

あることないこと言って小芝居もして、前金と引き換えに盗んできたホテルのキーを渡して逃げる。

3日間もやればプロ級になった。

売人は待ちの商売となる。
キャッチとの組み合わせはよかった。
ちょっと300ドルくらいは欲しいときやればいいのだ。

16歳になってから1人暮らしをはじめることにする。

父親はブツブツいうだけだったが、母親は泣いて反対する。
まだ16歳は、家族と一緒に住まなければというのだ。

だけど、グリニッジ・ビレッジに部屋を借りた。

・・・ ハスラー、やくざ、とあるが『ギャング』とした。
とはいってもギャングという語句は使われてない。

映画で観るような、結束して武装して抗争したりといった描写も一切ない。
それはもっと後の時代のことかも。

マーフィー、篭脱け、ポン引き、とバラバラなので『キャッチ』とした。

おもしろいのは、街路で相手に声をかけたり、うまいこと騙したりする言葉は、現在の歌舞伎町のキャッチとほぼ変わってないこと。

この本の発刊から50年も経っているのに、ニューヨークと東京なのに、男が騙される状況は変わらないらしい。

17歳になりかけるころに

たしか「ベイビー」という言葉は、このころから皆が使いはじめた。

最初は気恥ずかしかった。
が、使ってみると男らしい気がしてくる。

すぐにハーレム中が使うようになって、やがては弁護士までもが口にするようになった。

「ソウル」という言葉が流行りだしたのもこの頃だ。
教会やナイトクラブで使われていたのが広まった。

同時に、ハーレムが全体が黒人風になってきた。
黒人の自覚がはじまりだして、新しい時代がきたようだった。

そんなある日。
アパートから出たときに名前を呼ばれて振り向く。
銃を持った手が見えた。

リンピーというヤク中だ。
「クスリを全部だせ」と早口でいう。

クスリが切れている。
こういうときに、からかったりすると殺される。
銃を突きつけられながら、手持ちのクスリは全部とられた。

これはマズい。
話が広まってしまったら、ほかのヤク中が脅しにくる。
このままにしておくようじゃ、もう売人はやれない。

やりたくはないが、とにかく銃を手に入れて、リンピーを撃たなければだった。

デニーが銃を持っていた。
すぐさま家にいくと、渡さないと言い張る。

「ソニー、俺はヤク中でおしまいだ。でも、お前にはまだ先がある。見込みがあるんだ。リンピーのことは俺がなんとかするから放っておけ」

デニーがそんなこというなんて思わなかったし、そんな話もしたことなかったからびっくりした。

今度はロビー・オハラの家へ走った。
ホールド・アップ(路上強盗)の専門家だ。
銃も売っていた。

金を払おうとすると「あんなヤツはやっちまえよ」と一丁を回してくれた。

でも、気持ちはどんよりしていた。
殺人はしたくなかった。

これで刑務所にいくのか?

悩みながらもリンピーを探したのだったが、やがて医者の家に押し入って4発ほど撃たれたという話が回ってきた。

ほっとした。
でも売人からは足を洗う。

連中がわるいのではない。
クスリがわるいんだ。

17歳になっていた俺は、恐怖のために考えるようになったのだと思う。

昼間は時計修理店で働いて、高校の夜学に通いはじめた。

・・・ 薬物についても、名称がバラバラとなっている。
麻薬、ホース、ヤク、とか。

コカインは全編で数回しか登場しなのは、まだ時期が早いからと思われた。

常用者、中毒者は『ヤク中』に統一した。
ジャンキー、という語句は使われてない。

あとになって652番の小泉君に聞いてみると、ヘロインは中毒性が強いという。
切れると幻覚や痛みが伴うらしい。

裸になって電柱に登って叫んだり、パンツ一丁で包丁を振り回してわめいたりするのはヘロインの中毒者。

覚醒剤はそうなりませんというが、特に最近の中国産は質がわるいのでやめれますともいうが、その辺は詳しくなるつもりもないし、脇から見れば一緒である。

18歳のころに

バッチが死んだのは突然だった
屋根から落ちたのだ。

盗みに入ったとか、突き落とされたとかいうが、クスリが原因だったのは確かだった。

ついに、クスリをやめられなかったのだ。
ここ2,3年はつき合ってなかったが、気分は近かった。

夜になってからバッチの家にはお悔やみに行ったが、悲しみに満ちていた。
1人息子だった。

バッチの母親には「どうして、お前さんはクスリをやらないんだい?」と聞かれた。

『一緒にわるいことしていたのに、どうして、お前さんも死なないんだい?』と言われている気もした。

母親というのは、自分の息子が死ぬと、ほかの男の子が憎くなるのかもしれない。

デニーに会いたくなる。
その足でデニーの家まで行くと、部屋で荷造りをしていた。
俺の肩を掴んで言ってきた。

「ソニー、俺の顔を見てくれ、俺は今度こそわかったんだ。バッチの死は神さまのお告げだっておふくろがいうんだ。俺はヤクはやめる。ケンタッキーにいく」

気でも狂ったのかと思った。
今までクスリをやめようとして、病院にもいったがやめれてないのだ。

軍隊に入ろうとしたが、注射跡で帰されただけだった。
が、今度こそやめると真剣に言う。

デニーとは、タクシーのところまで歩いた。
歩きながら、バッチやキッドと遊んだことを話した。

デニーが行ってしまうと、ひどくさみしくなった。

バッチもいなくなった。
デニーも行ってしまった。
キッドだって、そのうちに後を追うに違いない。

ヘロインの猛威

グリニッジビレッジでの1人暮らしは続いた。
ハーレムには、週末の楽しみたいときに行いくだけ。

2週間も行かないと、ハーレムはすっかり変わっていた。

ヘロインが原因だった。
まるで疫病のようだった。

ヘロインがハーレムにはびこり出してから、もう5年ほど経っていたけど、1回中毒になると、そこから抜け出たという話はなかった。

仲間のことをきくと「ああ、ヤツも中毒だよ」という。
それは、質問に答えるというよりも、死んだ者に対する言葉のようだった。

たくさんの者が死にかけていた。

1952年ころには、誰かがクスリのために、親の服などを持ち出して売ってしまうこともあったが、まだそれは珍しかった。

1955年ころから、ヘロインが流行りはじめると、街の様子が一変した。

今では、ヘロインがきれている息子が包丁をもって、父親の金を取ろうとする。
父親のほうも、本気でピストルを持つ。

ヘロインを買うための金をめぐって、バラバラになる家族も出てきた。

ヤク中は、クスリがきれて苦しまないように、なんとしてでも金が必要だった。

クスリを覚えさせられて、立ちんぼになる女も続出した。

ハーレムには、トラックも荷を下ろしにこなくなった。
すぐにヤク中が、すべて持っていってしまうからだ。

切羽詰ったヤク中は、どこかのアパートに押し入る。
街の人は恐れて、銃を買い込んだ。
撃たれて死んだヤク中も多くいた。

このころから、警官もすぐに撃つようにもなった。
警察本部の命令で、ヤク中を撃ち殺しているんだという話もあった。

ヘロインでハーレムが変わった証拠だった。
以前だったら、そんな警官は、すぐに誰かに殺されていた。

ブラック・モスリムの成功

アレー・ブッシュ、ダニー、チート、マック、ブルドック、みんな3年してから刑務所から出てきた。

が、すぐさまクスリの売人をやりはじめている。
時期がわるい。
片っ端からアゲられていた。

チートとマックは、半年も経たずに捕まる。
刑務所に戻ってしまった。

デニーは、ケンタッキーから帰ってきた。
クスリをやめれたというが、少し心配だった。

ケンタッキーではクスリが手に入らないから、やりようがないからだった。

しかも、デニーはクスリの売人をするという。
本当にやめたというのは、クスリが手に入る状況でもやらないことだという。

絶対にそんなことは無理だ。
やめることができた者なんていないのだ。

だけどデニーはやってのけた。
いつまで経っても、クスリをやることはなかった。

今までそんな者はいなかった。
クスリをやめられるという、皆の希望となった。

が、デニーがいうには、母親の白髪を目にすると、クスリなどやる気にならないということだった。

そのころ、ハーレムの街角には「ブラックは団結しなければならない!」と演説をする連中がいた。
ブラック・モスリムだった。

どうせまた、宗教などすぐになくなると思っていた。
ガーヴェー派だって、コプト教だって、もうハーレムからなくなっていた。

が、彼らの演説には、多くの人が集まるようになっている。
「そうだ!」と声を出して呼応している。

警官は遠巻きに見ている。
演説者は、壇上から警官を指差してからかう。

しかし警官は、苦笑いをするだけ。
演説許可をとっているし、暴力もないし、それをけしかけているのでもない。

モスリムは「白人の店をボイコットしろ!」と「黒人の店で金を使え!」と言っているだけだった。

ハーレムで黒人がやっている店というと散髪屋しかなかったのに、モスリムは食料品店とクリーニング店を開いた。

レストランも開いた。
豚肉以外はなんでもあるし、安くて、なかなか旨い。
そのうち、すべてが黒人の店になるのではないのか。

演説が名物になってきて、人数も増えていく。
モスリムは新聞も出しはじめた。

これほど、モスリムの勢力が大きくなったのは、地元の者が指導者となって、地元のことを話すからだった。
身近なことを話すから、皆、信じた。

それに、ハーレムの人たちは、知っている者が人前で話すということを経験したことがなかった。

昨日まではヤク中や泥棒だった者が演説しても、街中が応援していた。

この街の黒人が怒っているということを、国に知らしめたからだった。

演説する中には、アレー・ブッシュの姿もあった。
真っ先に刑務所に戻るだろうと思っていたやつだった。

21歳で高校を卒業してから

時計の修理屋で働きながら、21歳で夜間高校を卒業した。
それからは、ペンキ屋で働いたがすぐにやめて、ローズ・モーガン化粧品のセールスをした。

空いている時間にはピアノの練習もして、ジャズミュージシャンのグループに入ったりもした。

俺はハーレムから逃げ出して隠れていたが、彼らミュージシャンは強くて犯罪に負けない自信をもっていた。

ハーレムにいながらクスリをやらないことが逆に目立つという、新しい世代となっていた。

化粧品のセールスでは、1件1件ドアをノックして回る。
路上の立ちんぼは、いいお客さんで、多く買ってくれた。

アムステルダム通りにいくと、まだ立ちんぼをしていたジャッキーが多く買ってくれもした。

久しぶりに会ったジャッキーは、えらく懐かしがる。
部屋に招いてくれたが、会話がときどき止まった。

2人とも大人になっていたのだ。
なんだか奇妙な感じがした。

あのころのことは、本当は夢だったんだじゃないのか。
どうして仲間が一緒にいないのだろう。

なんだかわからなくなってきた。

大学にいくと決めたときは、トニーが死んだときだった。
傷だらけになって路上に倒れていたという。

一緒に高校を卒業したトニーだったが、片っ端から仕事をやめていて、通りをうろついてヤク中になっていた。
なんとかしようとしていたが、どうにもならなかったのだ。

弟のピンプもヤク中となっていた。
何度もクスリをやめるといっても、やってしまう。
とうとう刑務所に入ってしまったことも、それに重なった。

でも、大学にいく金なんてない。
奨学金を受け取れる成績でもなかったが、教会の牧師が支援してくれそうだった。

ラストの第14章『ハーレムこそわが家』

ニューヨークから離れて4年が経った。
ときどきは、ハーレムに戻ったりしていた。

8番街でクスリを吸っている連中に見覚えがある顔がいるか、連中が使うスラングがまだわかるかどうか、知りたくもなったからだった。

ハーレムは、以前よりも激しく変わっている。
高級マンションも建つようになっていた。
しかし惨めさだけは前と同じだなんて、想像もつかないと思う。

デニーに会うたびに、いつも過去のことを振り返って、それが現実だったのか、本当に起こったことなのか考える気分になってくる。

このまえ会ったときには、3つくらいの男の子と、4つか5つくらいの女の子を連れていた。

日曜日には、子供を連れて教会に行くとデニーはいう。

「おふくろは日曜にやってきては家族を見て、いつも、ありがとう神さまっていんうだ。まったくわからないよ。昔はバカバカしいとおもったけどな。だけど、このごろは、ホントにそうかもしれないって思うこともあるよ」

子供には、学校はサボらないように、ひっぱたいてでも連れていくとも言ってもいた。

それから、一緒に育ってきた仲間の話になった。
たいていが死んだか、刑務所だった。

だけど、俺たちの世代にとっての悪い時期は、もう過ぎた感じがした。

クスリの嵐にも襲われたが、それも過ぎようとしていた。
たくさんの人間を連れていったけど。

あのころの両親も、時代が変わったということに気がついていたに違いない。

だけど、その後に来るものがなんなのか、よくわからなかったから、俺に話すすべもなかったのだ。

俺はハーレムが人間をどういうふうにしてしまうのか、その恐さから逃れようとしていた。

逃げたのだったが、ひとつの新しいことを意味していた。
恐さから一歩進んで、もっと積極的な怒りへ、すべての若者が感じるべき怒りへの前進でもあった。

それ以前でも、俺は怒っていると思っていたけれども、その怒りは押し殺されていた。

押し殺されていたから無力だった。

ハーレムの皆は、なにか夢を持っていた。
だけど、俺は別になんの夢もなかった。

宝くじを当てたり、大きな車を買ったり、すごい服を着たり、いちばんの悪党になったりという夢は持ってなかった。

確かにわかっていたことは、恐れていたということだった。
ただ病的に。

俺はいつも、ハーレムの通りが家だと思っていた。
たとえ家がめちゃくちゃでも、通りへ出ればよかった。

保護センターから逃げ出したあの頃も、家よりも通りに戻ることを考えていた。

どんなことが起こっても、誰もここから連れ去ることはできないと信じていた。

そういう風に思っていた連中は、たくさんいたに違いない。

まだ小さかったころ、いつも入口の階段に座って、通りを眺めていたものだった。

誰かか切られたり、殺されたりするのを見たこともあった。
家に帰ってからは、その話を何時間もしたものだった。

すると父親が「ソニー、いい加減にウソいうのをやめろ、誰も、そんなことするはずないじゃないか、そんなにもいろいろ見たはずないだろ」といった。

だけど俺は、たしかに、みんな見てきたのだ。

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