相対的顧客戦略[2]
過剰な対応を供する側と求める側
[1]では、日本人なら自然体でCS(顧客満足)活動できる理由を述べた。
要するに、日本人は暗黙の価値を共有しており、他人を含めて八百万を大切にする心優しき風習を持ち、善きにつけ悪しきにつけ、団結力がある。
価値を共有し、優しく、団結しやすいがゆえに、顧客満足などを叫ばなくても丁寧に顧客対応できる。たとえば、
「つり銭を投げつけて返してはならない」
と訓示しなくても、アルバイトでさえ、つり銭を投げつけることなどなければ、
「いらっしゃいませとお迎えしなさい」
と教わらなくても、自然に挨拶できる。
それが当たり前の国であることは、対応のみならず、製品にも現れている。
日本製品が高品質な理由を分析するとき、日本人の勤勉さや、技術の高さ等が論じられやすいが、もともと日本人は、価値を通有しているため、どのような製品を作れば喜んでもらえるか自然体で考えることができた。
その結果、作って終わりだけの製品にとどまらず、高度に磨き上げられた製品へ高めることができた。
こうした日本人特有の傾向や文化が、戦後わずか20年で、東京オリンピックを開催するまでの奇跡的な発展を遂げるに至った。
夢殿を模したといわれる日本武道館や、流線型のフォルムが美しい国立代々木競技場など、現在の建築物に勝るとも劣らない構想の建物を、半世紀前に、たった一年間で作りあげた。
かように日本人は世界へ誇るべき特殊な民族であるためCustomerSatisfactionの直訳は語弊を植え付ける。
憂うべきは、顧客満足なる直訳によって、顧客の肩を揉むような、過剰な対応へ走りかねず、それを暗に明に求める顧客も現れる。それが危険。
お尻を触られてまで?
顧客の肩を揉むような一例を。
横浜の販社の社長が、まだ営業部長だった頃の話である。
部下の女性社員が「お客様の会社へ伺って、商談している時、お尻を触られた」と泣いて帰って来たという。
営業部長は、真偽を確かめるべく、客先へスッ飛んでいって、事実だと知ると、そこの社長へ対し、
「社長!ウチの会社は、商品を売っていますが、女は売ってません!」
と、どやしつけたらしい。「その理屈が通じなければれ、こっちから願い下げます!」と。
客先の社長は「申し訳なかった」と、その場で女性社員へ電話し、陳謝した。
それで、その後、どうなったかというと、以前にも増して気脈を通じるようになり、発注額が増えたという。
1)事実関係を確認する
2)すぐに対応する
3)正すべきことを正す
という3つの行動を的確かつ即時に行ったということは、日頃から顧客対応について深く考えていたのであろう。
社長業を継いだ今でも、社員を可愛がっている様子が言葉の端々に表れている素晴らしい二代目経営者である。
もしも、仕事ほしさに、
「ええやないか、減るもんやあるまいし」
と理不尽な顧客を庇い、身内を売るような一言があったら、どうだろう?
顧客は増長し、また愚行を繰り返すであろう。増長させるほうにも責はある。
そして、社員の信頼を失ったであろう。社員という一人の人間からの信頼を。
さらに、自らの男を下げたであろう。また男を磨き直すには時間がかかる。
余談だが、任侠の世界や、演歌や映画や書籍で使われがちな「男を磨く」とは、どういう意味か、お考えになったことがあるだろうか?
身だしなみを整えるとか、会話術を上達させるとか、いろいろな解釈はあるが、筆者の考える「男を磨く」とは、
信じられる男になるよう勉めること
で、これは、個人にも法人にも当てはまる。
正論が正しいとは限らない
もちろん、いつも正論が正しいとは限らない。
「そんなことしたら、即座に取引中止。出入り禁止になる」
という会社関係もあれば業界慣習もある。ハニートラップを仕掛ける業者(というか担当個人)もいる。
たとえば(関係者が読めば業界を特定されてしまうが)運転手付きの社用車を提供しなければ仕事が来ない業種業態もある。
はたまた、女で繋がった絆は強いと風俗接待する業者もいれば、暗に要請する顧客もいる。
もはや、営業戦略とは程遠い営業活動で、何とか受注・経営できている会社の営業活動を、いち従業員は、知る由もない。
それが現実であるにせよ、それらは例外として考えよう。前述の、二代目社長の顧客対応が正しく、美しく、正々堂々。
私事の余談で恐縮ながら、筆者は接待が苦手。というより接待もゴルフも薄ら寒い交誼だと思っていて、そんな時間があるなら、仕事の話をしたほうが充実していて楽しい。
が、講演後の打ち上げ等は無碍に断るわけにもいかず、同席させて頂くことが多い。先日も、講演後の打ち上げに誘われて、会員制クラブへ連れて行ってもらった。
地方のクラブのママさんらしく、ざっくばらんな一面と、接客業の慇懃無礼さを兼ね備えていて、
「先生は、ルックスがいいから、おモテになるでしょ?」
と、あさっての方向を見ながら褒めて頂いたので、
「妻帯者がモテたらマズイでしょう」
と応対したところ、
「バッカじゃねーの?」
と吐き捨てられた。つい本音を漏らしてしまうところが気に入った
後日譚。
「そういうことがあったんだよ」と家内へ話したところ「バカね」と吐き捨てられてしまった
販売側の絶対的な価値観
ここまで「基本的に日本人は顧客満足活動に向いている。顧客満足活動できる」という肯定論を述べてきた。
それを歪める落とし穴がCustomer Satisfactionの直訳である。その直訳による危険性も何度かのメルマガにわたって書いてきた。
人間の欲求は際限なく高まっていくため、基本的に、顧客が満足することなど有り得なければ、顧客を満足させようなど不遜にして不敬。ただただ、顧客の喜ぶ顔を心に思い描き、一意専心に顧慮することである。
顧客満足できるからこそ、マニュアル通りの対応を顧客は嫌う。ある飲食店の調査によるとマニュアル通りに対応されたくないとの意見が第一位。どういうことかというと、
「できません」
の一言で切って捨てられる対応に強い不満を覚える。たとえば、飲食店で、
「大盛りにして下さい」
「できません!」
という会話があったとする。
一般的な顧客は、心の中で「少し大目に盛ってくれるだけでいいのに」と思いつつ、何も言わず、飲食店が作ったルールに従って諦める。
諦められなければ(関与度が高ければ)「なんで?なんで、できないの?」と問う。その返答はだいたい、
1)規則優先型「それが当店の規則です」「そんなメニューありません」
2)事情説明型「大盛り用の什器を用意していません」「材料が足りません」
3)問答無用型「できないものは、できません」「ムチャ言わないで下さい」
以上の3つに収斂されよう。どれもこれも気持ちは分る。忙しい時など猫の手も借りたかろう。
これは、販売側からすれば、クレーマーの卵のような顧客に非があるのだろうか?それとも、販売側の改善努力が必要だろうか?
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