【感想】忘れられた俳人 河東碧梧桐(正津勉)【評価・D】


 自由律俳句に興味を持ったので、その創始者と僕が思っていた河東碧梧桐について知りたくなり、本書を手にとった。
 しかし、本書はひどく骨が折れる本であり、読後感もひどい。
 本書には、自由律俳句の解説がなければ、人間ドラマもない。あるのは、主観的で感情的な碧梧桐への賛辞だけ。本書の著者は、碧梧桐の太鼓持ちがしたかったのであろうか。
 初読時の感想は「碧梧桐は才子にすぎないのではないか?」というもの。さすがに、これは碧梧桐を誤解しているのではないかと色々調べてみた結果、考えを改めるようになったのだが、本書を読むだけでは碧梧桐の実像にふれることはできないだろう。
 そもそも、自由律俳句に興味を持つ者の多くは、俳句はわからないが、日本語の面白さがわかったつもりの初心者である。僕がそうなのだ。そんな素人相手に本書は「勉強不足」と突き返すだけの書である。そのわりに本書は「詳しいことは専門家に任せて」と逃げる。信用できない書である。

 河東碧梧桐は、後世の我々にとって魅力的な人物である。まず、高浜虚子との関係だ。正岡子規の弟子の中で双璧といわれた碧梧桐と虚子は親友であり、高校(今で言う大学)時代は同じ部屋に住み「碧虚庵」と名づけていたぐらいである。ところが、師の子規亡き後、二人は俳句界を二分化する対立をする。碧梧桐は自由律俳句と呼ばれる革新派、虚子は季語十七字(五・七・五)を原則とする俳句守旧派となる。結果として、虚子の主張する季語十七字の守旧派が本流となって、現在でも俳句の原則として教えられている。
 なぜ、碧梧桐は自由律俳句を選んだのか。そして、親友であった高浜虚子と対立したのか。そこに面白さがあると僕は予想していたのだが、本書は期待外れだった。
 碧梧桐の代表作のほとんどは自由律ではなく季語十七字である従来の俳句である。つまり、俳句の素人である僕にとって良さがわかりにくい作品なのだが、本書はそれについての解説は少ない。ある程度の俳句の素養がなければ読む資格なし、という本なのだ。
 かといって、碧梧桐と対立することになった虚子についての記述があまりにも少ない。そのくせに、本書の最後は虚子の句で締めるのである。説得力がない。
 本書の主題である二度にわたる全国行脚であるが、本書は社会性が完全に欠如している。当時の俳句界がどのようなものであったのか、碧梧桐がどういう立場であったかを、予備知識なしに理解できないのだ。せめて「俳句革新運動」と「新傾向俳句」の違いは、素人である僕にもわかるように、明確に記すべきではなかったか。
 本書で目立つのは碧梧桐への「健脚なり!」という賛美である。だが、山に登ることぐらい誰でもできるんじゃないかと僕は思ってしまうのだ。文才があるならば、山に登って俳句を詠むだけで生活できる。なんともうらやましい。その程度の感想しかいだかない人が多いのではないか。
 碧梧桐の作品の解説もそっけない。碧梧桐の自由律俳句の代表作といえば、これであろう。

曳かれる牛がずっと辻で見廻した秋空だ

 本書でのこの句についての解説はわずか一行である。
 これならWEBで解説をあさったほうが有意義である。
 いちおう僕なりに解説してみよう。「辻」とは交差点のこと。曳かれている牛が交差点で、どちらにも行かずに秋空を見回している。この牛がどうなるのかは、この句では直接的に書いていない。ただ、畑仕事に行くのであれば「早く行け」とせかされるであろう。秋空を見回す余裕があるということは、売られるということだ。おそらく、屠殺されるのであろう。そんな交差点で牛は抵抗することもなく、ただ秋空を見回している。そして、この句の秀逸なところは「秋空だ」という語句。「秋の空」ではなく「秋空だ」とすることで、客観ではなく主観的に映像が読み手に届く。
 こういう自由律俳句ならではの魅力が、本書では一切描かれていない。
 
 結論として、本書を読んでも、自由律俳句も河東碧梧桐も理解できない。いったい、著者は誰に向けて書いたのであろう。初心者を突き放し、専門家には逃げる。主観的で感情的。あまりにも中途半端である。
 とりあえず、高浜虚子についての記述を引用して本書の感想を終えることにしよう。

(明治35年)「ホトトギス」三月号の「俳諧評判記」なる匿名記事(筆者は碧梧桐だ)に「虚子は俳諧師四分七厘商売人五分三厘」(いやまさに図星だまったく!)と載る。ここらの深慮のなさが、もちろん良い意味で言うのだが、いかにも碧梧桐らしい。

 虚子を不当におとしめるだけの文章である。そのわりに本書の最後は虚子が碧梧桐の死に際して読んだ句で締めているのだ。

たとふれば独楽のはぢける如くなり 虚子

 例えるなら独楽(こま)が弾けたようだ、と虚子は碧梧桐の死を悼む。おそらく、これはコマをぶつけ合う遊びのことであろう。俳句界で虚子は守旧派として、季語十七字を俳句の原則とし、碧梧桐の自由律を激しく否定したが、それは互いのコマをぶつけ合うことであったのであろう。親友であったからこそ、このような句が詠めたのだ。
 室町時代から続く俳諧を、俳句という文芸に高めたのは正岡子規であるが、その弟子の双璧であった河東碧梧桐と高浜虚子の対立がなければ、俳句は現在でも残っていたかどうか。
 この碧梧桐と虚子との関係を僕は知りたかったのだが、本書はあまりにも説得力が欠ける。むしろ、本書の読後感の悪さが、僕がより碧梧桐を知ろうと他の本に向かわせるきっかけになったのだから、本書は無価値ではない。ただ、初心者にはとてもじゃないがオススメできない本である。

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