【感想】「表現の永続革命 河東碧梧桐」石川九楊(評価・B)


 本書は俳人・河東碧梧桐の奇抜な書の表現から、彼の自由律俳句に至る変遷を捉えた一冊。
 俳句とは何であるか、書道とは何であるかを著者なりの視点で説明してから、碧梧桐の表現の卓越さを語っているので、そこに感情的な押し付けがましさは感じられない。ただ、どちらの素養もない僕には理解できない部分が多かったと思う。
 本書の最大の読みどころは、碧梧桐の関東大震災の記録であろう。その風景描写は、優れた記録映画を見ているように明晰である。仮名遣いを現代的に改めれば、誰もがその優れた描写力に魅せられるだろう。
 今ではスマホで誰もが映像を記録できる。そのため、断片的な記録映像が氾濫しているが、碧梧桐の震災記録は、視点の編集が巧みなのだ。文章が持つ力を、碧梧桐の震災記録を読めば思い知らされるはずである。
 また、関東大震災では、東京で朝鮮人が井戸に毒を投げ入れたというデマがはこびり、自警団が結成され、朝鮮人が虐殺されるという事件が起こったが、碧梧桐の記録は冷静中立なものだ。本書の著者は、これほどの記録が世に知られてないことを嘆くが、これには俳句も書道もわからない僕でも同意せざるをえない。
 俳句をつくるうえで、客観写生が欠かせないと言ったのは碧梧桐の師である正岡子規だが、碧梧桐の写生文がこれほど卓越しているとは驚きであった。
 河東碧梧桐はまぎれもなく俳句の第一人者であり、季語十七音の限界に早くから気づいていた一人であった。だからこそ、碧梧桐は自由律俳句を許容し、みずからもつくり始めた。
 そんな碧梧桐の豊かな俳句表現が現代で知られてないのは、同じ子規門下であり親友でもあった高浜虚子による。虚子はあえて俳句を季語十七音(五七五)と定義した。この俳句のマニュアル化によって、俳句は文学ゲームに成り下がったと本書の著者は言う。
 太平洋戦争を含む十五年戦争時において、季語十七音の俳句は国民文芸と推奨され、自由律俳句は弾圧されたという歴史がある。花鳥諷詠をよむだけの定型俳句は体制側にとって都合が良かったのであろう。
 碧梧桐が革新しようとした俳句は、虚子によってマニュアル化された。そして、虚子が主宰した雑誌「ホトトギス」は今でも高浜一族が編集人となり、俳句の最高権威となっている。
 本書は高浜虚子についてはかなり批判的に書いており、それに共感できない者もいるだろう。なにしろ虚子は夏目漱石に小説を書かせた功績がある。「吾輩は猫である」は「ホトトギス」に連載され、世に出た。
 もし、俳句を季語十七音と定めていなければ、今でも俳句が国語の授業で教えられることはなかったかもしれない。定型俳句を後世にのこしたことは高浜虚子の功績である。
 しかし、虚子がいうように「俳句は碧梧桐に任せて」という時代があった。そして、碧梧桐が子規亡き後も俳句革新運動を進め、「三千里」という全国行脚がなければ、俳句という新興文芸が浸透することはなかっただろう。
 現代で知られる自由律俳句は、尾崎放哉と種田山頭火が圧倒的に知名度が高いが、彼らは萩原井泉水門下であり、萩原井泉水は碧梧桐の弟子である。
 自由律俳句について知りたいのならば、河東碧梧桐を抜きにして語ることはできない。本書はその魅力を発見する一石となるであろう。
 前に紹介した正津勉の「忘れられた俳人 河東碧梧桐」を僕は酷評したが、本書よりは敷居は低い。正津勉の新書を読んでいたからこそ、本書を理解できた部分もある。とにかく、河東碧梧桐という俳人を語るのは難しいということは僕にもわかった。それでも、その震災記録を詠むだけでも、碧梧桐が当代一流の文人であったことがわかる。
 僕は到底本書を読みこなしたとは言えない。俳句や書道についての部分は理解できなかった部分が多い。またいずれ、様々な知識をたくわえたうえで、改めて本書を読んでみたいと思った。

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