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仕事の準備と行為の7段階理論

1つ前のnoteで準備の話を書いたけど、もうひとつ書くの忘れてた。
仕事が早いか遅いかも準備次第だということを。

準備できてるから仕事が早い

仕事が早い人はたいてい驚くほど前から準備をしてる。何の準備がいつ必要になるかが予測できてるから、つねに準備は万端だ。
どの準備を何時ごろまでに終わらせておかないと他の準備との関係で間に合わないかを把握できているから準備が間に合わないということはない。
準備が間に合ってるからこそ、ちゃんと仕事ができる。

準備ができていれば、その場ではあまり考えなくてもすらすらと仕事ができたりする
ようは準備というのは、実際に仕事をするときに考えるべきを、先にある程度考え終わっておくということでもある。あとは実際に動けばよいだけにしておけば、仕事は早く進む。

それだけではない。どれが何の準備かもわからないような準備を事前にできていることさえある。準備の必要性を予測していなくても準備するわけで、だから予想もしてなかったことが起きた場合でもいつでも仕事に取り掛かれる。不足の事態でもそれなりの準備があればべつに困らない。そういう意味で無駄な準備というのはあまりないのだと思う。

何の準備かわからない事前の準備が、あとでちゃんと何かの準備になるのは、その人自身が準備したことのほうに仕事を手繰り寄せていくからでもある。
必要からではなくやりたいから準備する。
ようは、自分がやりたい仕事をやりたいようにやりやすくなるのが、準備でもある

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準備できてないと前に進めない

逆に、仕事の進みが遅い人はたいてい準備不足だ
仕事が早い人がすでに準備できていて考えずにやれてしまうことを、いちいちその場で考えだすから当然仕事は遅くなる。しかも考えようにも考えるための準備すらしてなかったりするからお手上げになったりもする。

準備できてないから何をどうすればよいかも理解できない。理解できてないことをやるのは当然むずかしい。完璧に理解してないまでも、こうやればよいのでは?という予測ができるくらいには準備しておけてないと、一歩目すら踏み出せないだろう。だから仕事が遅くなる。

まさに多くの場合、理解ができないのは、理解のための日々の準備行動が不足しているからだ。
自分の考えを言葉にしたり行為にしたり形にしたりなどで外部に表出させることで、外からのフィードバックを得、それによって自分の理解がどの程度正しいのかをはかるということを普段からしていないからでもある。

準備とはプロトタイピングのサイクルである

認知心理学者のドナルド・A・ノーマンの「行為の7段階理論」というものがある。以下の図のような考え方だ。

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この図の「外界/もの」という部分を「仕事」に置き換えてみるとよい。「仕事」に対して、仕事をする側は、どうすれば仕事をしたことになるかを理解できなくてはならない。だれか他の人がそのゴールを明確に示してくれて、指示待ちで仕事をするなら別だが、自分から仕事を作ろうとすれば、当然、自分でゴールを予測する必要がある。1.ゴールの形成だ。

で、仮置きしたゴールの達成を目指そうとすれば、2.どうすればゴールに辿り着けそうかを予測し、3.具体的にはそれはどのような手順で何をどうやってすればよいかを考え4.考えた手順どおり作業を実行してみることになる。

たいていの仕事は外部の自分以外の人・モノとの関係で行われるから、自分が考えた手順でやってみたとき、なんらかの反応がある(反応なしという反応も含めて)。だから、まずは5.その反応を知覚することになる。そして、その知覚した反応が6.どういう意味か(特に自分が意図したゴールの達成と照らし合わせて)を解釈し、その解釈を通じて、7.自分のゴール達成のためにとった行為がちゃんと仕事になっていたかを評価し、よくできたか、うまくいってないようなので別の方法を用意して再チャレンジしなくてはいけないかを決めるわけである。

このサイクルを何度もまわしてゴールの達成に関する仕事の仕方を仮説検証していく。ようするにプロトタイピングである。準備とはつまりプロトタイピングであり、仮説形成〜検証のサイクルである。

狭義の意味で言えば、1から3が準備だ。
しかし、もっと広く捉えれば、日常的にこの1から7をつねに小さくまわして、自分の考えを行為に移し、それによりどんな結果を得られるかを理解しておくことをやっておくことが準備なのだといえると思う。

社会のなかで生きるための日常的な準備

つまり、日々、外界との関係で、ゴールについての仮説形成を行い、それに基づき自分の考えでその達成方法を構想して、その実行を通じて得られるフィードバックを通じて、自身の行為とその元となった構想の有効性を探るとともに、外界そのものに対する理解を深めるという、社会のなかで生きるための準備ができているか?という話だ。

ところが、残念ながら、準備が苦手な人ほど、日常的に自分の考えを言葉にしたり、行為に移してみて、外の反応を得るということを怠りがちだ。

まあ、ほんとに鶏/卵的な話なのだが、外界からのフィードバックを得られるような機会となるはずの自分のアウトプットが少ないと自身が理解をするチャンスが減ってしまうし、それでもそもそも理解してることが少ないとどうアウトプットしてよいかもわからず、発言や行動が躊躇われてしまう

間違えたくないから発言や行動ができないという心理はわからなくはないが、それを心理的安全性なんて言葉でくるんで準備をしない言い訳にしてても、結局困るのは自分である。せめて心理的安全性がそれほど低くない場所を選んで、準備する練習をしておかないと、ほんとに鶏も卵もいつまで経っても得られないだろう。

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小さな冒険をふつうの毎日に

このフィードバックループを回すのに手っ取り早いのは、ちゃんといろんな人とコミュニケーションすることだと思う。「いろんな人」と書いたとおり、友達やパートナー、家族、仲の良い同僚などの身近な人とばかり話すのではなく、知らない人とまではいかないまでもすこし距離のある人とコミュニケーションをとることだ。

ようするに身近な人だとすでに何をどう話したら、どんなフィードバックが得られるかが予測できてしまうのでフィードバックループをまわす練習にならないのだ。だから、何を話すとどんなフィードバックが来るかがわからない人と話してみるほうが練習になるというわけだ。その意味では、視点を変えてみると身近な人とでも普段話さないような話題で反応が予測をつかない話であれば同じような効果は得られるということにもなる。

ようは、やっぱりプチ冒険である。

そう毎日、つねにプチ冒険の時間をつくる
(中略)
自分から日々の出来事を冒険的に生きることをせず、誰かに教えてもらった知識のなかにとじこもり、日々新しく起こることを知ろうともせずに生きているなんて、想像力にも創造性にも欠けすぎてて、保守的にもほどがあるだろう。

日々、好奇心のアンテナをはりめぐらせて、いろんなことに興味をもって理解を深めようとインプットをし、それをアウトプットに変換するプロセスとしての思考をし、実際にアウトプットをどんどんしてみる。いろんな人に対してコミュニケーションをはかり、いろんな状況、いろんなモノに対して行為をしてみて、その反応を伺う。

そういう小さな冒険をどれだけしてるかが、結局は仕事の早さにも、質にも関わってくる
だって、それがクリエイティブに仕事をする上での準備なのだから。

自分が正しいかどうかとか、誰が正しいかなんて保守的な判断は退屈なので置いておいて、もっと単純に、いろんなチャレンジのなかで自分の新たなセオリー(=正攻法)を増やしていくほうが有意義だし、楽しいんじゃないかと思っている。


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