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わたしたちは各方面からわたしたちのところにやってくるさまざまなニュースの間断なき喧騒から身を引き離すよう努めなければならない

久しぶりにテレビのニュースを見ていて、唖然とした。

緊急事態宣言の発効を伝える内容なのだけど、中身がほとんどない。いろんなものが削られてまさに換骨奪胎。まったくコミュニケーションになっていなかった。

アナウンサーの喋っている言葉も、映像や音声の切り取られ方も、テロップなどで出される文字情エッセイ報も、このたくさんの命に関わる状況を改善するために、それを見ている人が正しい判断をし行動をとるための一助となるような有益な情報を何も伝えていないように感じた。
いや、何も伝えていないどころか、むしろ、誤解を招く危険な発信の仕方でいっぱいだ。こんなものを見ていたら社会が危険極まりない状態になりそうでおそろしいと思った。

時としてわたしたちは各方面からわたしたちのところにやってくるさまざまなニュースの間断なき喧騒から身を引き離すよう努めなければならないことがある。現在を斜めに眺めることを学ばなければならない。

歴史家カルロ・ギンズブルグは『政治的イコノグラフィーについて』という本の中でそう書いているが、まさにテレビからは「身を引き離すべき」だ。
インターネットにも意味のない情報はたくさんあるが、ちゃんと自分で正しく考え、行動するために役立つ情報を見つけることはできる。

そう、この状況に限らず、自分で考え、行動しようとする人が増えない限り、どんな状況も悪化しかしない。それは誰かの責任などではまったくなく、自分で理解し考え行動しようとし続けない人が危機を回避しないことで起こる事柄でしかない。

先のギンズブルグの引用は、『政治的イコノグラフィーについて』という本のなかの「今日ホッブズを読み返す」の冒頭に書かれたものだ。

さらに、その先にはこんなことも書かれている。

自然状態においては、人々は実質上平等であり、同一の権利をもっている(それらのうちには攻撃と自己防衛の権利もある)。このため、人々は絶えざる戦争状態、「一般的な不信」と「相互的な恐怖」の状態のもとで生活している。

この「一般的な不信」と「相互的な恐怖」に向き合い続けることを、「自分で考え行動する」と呼ぶのだと思う。ようは、可能なかぎり、自然状態を維持しようと努めるよう、不信と恐怖に耐えることだ。
それらはいずれもなくならない。
時流に合わせていえぼ、with不信だし、with恐怖だ。

しかし、この耐えられない状態にまさに人は耐えられずに脱出を図ろうとする。

この耐えられない状態から人々は自分の権利の一部を放棄することによって脱出する。契約を結んで無定型な群衆をひとつの政治体に変えるのである。こうして国家、ホッブズがリヴァイアサンと呼ぶことになるものが誕生する。

いや、国家はダメなところもたくさんあるかもしれないが、まだマシだ。それよりはるかに報道がひどいし、国家や会社にダメを出すばかりで、自分たちで考え行動を起こせない人の方がひどい。

僕らには不信や恐怖に向き合い続ける姿勢が必要だ。
そのための方法が、情報収集の方法であり、情報編集・整理の方法である。
もっと平易にいえば、読むこと、書くことである。


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