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中世ヨーロッパ ファクトとフィクション/ウィンストン・ブラック

「すべて嘘だった。」
この帯の言葉だけはいただけない。

根拠のない誤った記述によって、なかったものをあったかに見せてしまう歴史記述の過ちが中世のイメージを損ねてしまう。それが本書が明らかにしていることだ。
この「すべて嘘だった」という言葉は、その歴史記述がおかしたのとおなじ過ちを犯していないだろうか?

読めばわかるが「すべて嘘だった」なんて主張を著者はいっさいしていない。
ただ現代に伝わるヨーロッパ中世のイメージの多くが誤解によるもので、その誤解を生み出してしまった要因が、おもに近代の記述にあることを著者は丁寧に指摘している。著者は、間違ったイメージを伝えることになった一次資料と、それが間違っていることを示す一次資料をともに示すことで、中世ヨーロッパに対する実際にあったのとは異なるイメージを正してくれている本書に、「嘘だった」という指摘があるわけではない。

『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』ウィンストン・ブラックは、そういう本だ。

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帯はちょっと残念だけど、内容はよい。

中世に対する11の誤ったイメージ

なので内容についてすこし紹介したい。

本書で問題にされる中世ヨーロッパの誤ったイメージというのは、以下の11の章からなる11のイメージである。

第1章 中世は暗黒時代だった
第2章 中世の人々は地球は平らだと思っていた
第3章 農民は風呂に入ったことがなく、腐った肉を食べていた
第4章 人々は紀元千年を恐れていた
第5章 中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていた
第6章 中世の教会は科学を抑圧していた
第7章 一二一二年、何千人もの子どもたちが十字軍遠征に出立し、そして死んだ
第8章 ヨハンナという名の女教皇がいた
第9章 中世の医学は迷信にすぎなかった
第10章 中世の人々は魔女を信じ、火あぶりにした
第11章 ペスト医師のマスクと「バラのまわりを輪になって」は黒死病から生まれた

日本人である僕らにとっても馴染みのあるものもあれば、僕らにとってはそもそも馴染みがなくて、西洋の人は「中世ヨーロッパをそんな風にイメージしてたの?」と思うものもあるだろう。

「暗黒時代」「地球は平ら」「馬に乗って騎士が戦う」「魔女」あたりは、僕らでも、ヨーロッパ中世といえばそういうものだろうとイメージするものだったりするのではないかと思う。映画や絵画、小説などで描かれる中世はそんなイメージだ。

一方、「こどもたちの十字軍遠征」や「ヨハンナという女教皇」などはあまり馴染みのないイメージではないか。このあたりキリスト教文化圏にあるかどうかでそのイメージの浸透度は異なりそうだ。

ともあれ、本書ではこれら11のイメージが実際のヨーロッパ中世の実情とは異なっていたということと、なぜ、いつ頃、どのようにそうした誤ったイメージがつくられたのかが示される。

イメージの過ちの概要が示されたあと、そうした誤解がどのようにつくられたか?を解説し、その誤解のもととなった一次資料を紹介。その後に実際の中世がどうだったかをあらためて説明し、同じように実際の中世がどうだったかの根拠となる一次資料を示す、という構成で、中世ヨーロッパに関する11の誤解を正していく。

誤った中世イメージは近代の捏造

多くの場合、誤った中世イメージをつくったのは、近代の著述家たちである。

たとえば、地球平面説もそうだ。

(地球平面説は)ヨーロッパの啓蒙時代に端を発する、中世に対する近代的な偏見の第一級の事例である。知性と哲学が大いに発展したあの時代に、ヨーロッパの思想家たちが科学、数学、自由、統治について進歩を誇ったのは当然のことである。こうした思想家の多くはプロテスタントや理神論者、あるいは無神論者でさえあり、中世ヨーロッパのカトリック文化を敵意あるいは憐れみをもって眺めた。彼らは中世を自らの価値に対蹠的なものと思い描き、自分たちと過去を分離・峻別する方法を探った、ということは、18世紀の思想家は科学、読書、寛容、民主主義、人権に関心を払っているが、中世人は非科学的、教養、不寛容、専制的だったということになる。

英米のプロテスタントたちが、カトリックを悪くいうために、カトリック教会が社会の大きな位置を占めた中世のイメージを貶める。

上の地球平面説もそうだし、同様の「科学の抑圧」もそうだし、「魔女の火あぶり」もそうだ。

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魔女裁判は実際にもあった歴史的な出来事ではあるが、この場合、それがいつあったのか?に誤解がある。

それはカトリックの力もずっと弱まり、プロテスタントたちもすでに力をもっていた、早い事例でも15世紀、活発化するのは16世紀、17世紀のことである。つまり、中世の異常な社会像を示すかのように使われる魔女裁判が実際に行われたのは、中世ではなく、もっと時代がくだったルネサンス以降のこと、ガリレイやベーコンらが実験科学を解きはじめたのと同じ時代である。

中世の人々はたしかに魔術を信じていた。私たちがこの章で取り扱うフィクションは、中世の人々は性的な色彩を帯びた、悪魔と結託した魔女がいたのだと信じており、魔術を使ったかどで訴えられた無実の女性たちを暴力的に迫害した、というイメージである。こうしたイメージに実態が追いつくのはようやく15世紀になってからで、16世紀、そして17世紀になるとひときわ目立つようになった。中世、すなわち15世紀よりまえに魔術を使ったことを理由に処刑された女性は、ただ1人だけである。

こうしたイメージの改竄に関しては、英米のプロテスタントだけでなく、本書であらゆるところに顔をだす19世紀のフランスの歴史家ジュール・ミシュレなども大いに加担している。有名な『魔女』などの著作はまさに、上記のような実際にはルネサンス以降に行われた魔女狩りを中世に行われたものとするイメージをつくった発端の1人ですらある。

子ども十字軍

ミシュレのように名のある歴史家をはじめ、著述家が語ってしまったことで、いまなお歴史的な事実として語られてしまっているものもある。

そのひとつが1212年に行われ、多くの子どもたちが命を落としたとされる「子ども十字軍」だ。

19世紀のアメリカで米国聖公会の牧師を務め、のちに聖公会神学校の高知も務めた、ジョージ・ザブリスキ・グレイが『子ども十字軍 13世紀のあるエピソード』で描きだした、根拠となる一次資料をもたない子ども十字軍のエピソードは、その後、多くの著述家などに参考され、社会に流布していくことになる。

グレイが紡ぎ出す子ども十字軍の長大で悲劇的な物語は、十指に余る中世資料の記述を典拠としているが、結論は完全に彼独自のものである。彼に従えば、子ども十字軍は突発的な熱狂から生じた事件ではなく、教皇インノケンティウス3世が企画し、配下の悪辣な聖職者や修道士たちがこれを実行に移した。こうした見方は中世の資料にはいっさい現れず、ひとえに米国聖公会の聖職者グレイが抱いていた反カトリック・反教皇的な姿勢の産物である。

これまた反カトリックの産物であり、中世にそのようなことが起こらなかったことを示す一次資料を、著者のブラックはあげて、子ども十字軍がまったく事実にそぐわないものであることを明らかにする。

けれど、子ども十字軍が実際の歴史上の出来事であるというのが、いまだ本当のことだと社会に信じられているのだということは、以下のようなWikipedia の記述があることからもわかる。

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すべてが事実無根ではない

とはいえ、11の誤ったイメージがあるといっても、子ども十字軍のようにまったくの事実無根のものもあれば、魔女裁判のように実際の時期が中世でないものもあるし、「馬に乗って騎士が戦う」というもののように、別に本当にあったこととは異なるのではなく、実際、中世の騎士は馬に乗って戦っていたが、ただ、それが戦争におけるメインの戦力であって戦況を左右するものであったかのように描くことは事実とは異なるという、度合いの問題であるものもある。

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その意味でも「すべて嘘」ではない。

ある意味、近代が自分たちを正当化するために、意識的、無意識的に中世を悪くみようとする、語ろうとする力が働いていたようだ。

たとえ、そこで語られた出来事が本当は中世ではなく、近代に起きた出来事であったとしても。

近代になると、たとえ主として16世紀と17世紀のことを述べていたとしても、その時代を「中世的」と呼ぶことによって「中世の」魔女というフィクションを強化してしまう歴史家も現れた。ペネソーン・ヒューズによる魔女についての古典的で短い歴史書にも見受けられる。そこでは、主として扱われるのが決して「中世」とは認められない17世紀にもかかわらず、ほとんどの章が「中世の魔術」と題するセクションのもとに置かれている。

すこしずつ、こうした誤った中世のイメージは更新されつつあると著者はいう。

たしかに中世の人が地球を丸いものだと見ていたことは知っていたし、魔女狩りの話もギンズブルグの本などを通じて知っていた。

しかし、一方でいまなお誤った中世イメージが流布し続けているのも確かだろう。

ファクトとフィクションが本書のサブタイトルではあるが、ファクトそのものが17世紀のつくりものであるように、事実かつくりものかを二律背反のものと捉えることすら、近代以降の発明であることを知ったいま、問われるべきは解釈次第で「事実」はいくらでもその意味するところをつくりかえることができるのだということを僕らは認識しておく必要があるのではないかとあらためて感じた。




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