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ファウストの紙幣

ゲーテの『ファウスト』
その「第2部 第1幕 遊苑」の場面、皇帝の居城でこんな会話が繰り広げられる。

大蔵卿 お忘れでございますか、親署遊ばされたではございませんか。昨夜のことでございます。陛下はパンの神に仮装せられまして、宰相が私どもと一緒に御前に罷り出で、こう奏上仕ったではございませんか。「この盛大なる御祝祭のお慶び、人民の幸福を嘉せられて、一筆の土地御願い申上げまする」陛下は墨痕もあざやかにお認め遊ばし、その御親署を、昨夜のうちに奇術師をして何千枚にも至らせました。御仁慈が遍く等しく及びまするようにと、あらゆる種類の紙幣に御親署を捺印し、10、30、50、100クローネの紙幣が出来上がりましたのでございます。(中略)
皇帝 ではこの紙切れが金貨として通用するのか。軍隊、帝室の費えがすべてこれで賄えるのか。奇怪至極のことと言わざるをえぬが、よしとせずばなるまいなあ。

財政が破綻した帝国にやってきた、ファウストと彼と契約を結んだ悪魔メフィストーフェレスは、謝肉祭の饗宴のなか、当時ゲーテの頃のドイツでは発行されていなかった紙幣を発行して、帝国の財政を回復させる。

ゲーテの『ファウスト』は、15世紀から16世紀頃、ドイツに実在したファウスト博士が錬金術を行なっていたという伝説を元にした作品。劇中、主人公のファウストは伝説同様、悪魔メフィストーフェレスと契約を結ぶ。
そのファウストと悪魔がまさに錬金術さながらに帝国に紙幣を発行して、その財政難を救ってみせるのだが、祖国に紙幣が発行されていないドイツでゲーテがこの着想をどこから得たかといえば、ミシシッピ計画とも、ジョン・ロー事件とも言われる、チューリップ・バブル(オランダ、1637年頃)や南海泡沫事件(イギリス、1720年)とともに、初期の三大バブル経済の例として知られる事件からだと言われている。

ジョン・ロー事件と『ファウスト』

戦争や王族の濫費により財政難を抱えていた当時のフランスでは、国債の乱発や貨幣の改鋳で経済が不安定になっていた。
そんな折、スコットランドの実業家ジョン・ローがフランス中央銀行を支配し、通貨発行権を手に入れ、不兌換紙幣を発行。これが現在のフランス中央銀行のはじまりだ。1716年のことで、ゲーテが『ファウスト』第2部を発行したのが彼の死後1年経った1833年だ。ゲーテが金本位制のもとでの紙幣発行というシステム不兌換紙幣を想定して、地下に眠った金銀を担保に紙幣を発行するというアイデアを思いついても不思議はない。

ところでジョン・ロー事件のほうはといえは、中央銀行掌握と同時に、同じくローが所有していた、ミシシッピ会社は海の向こうで実態の見えない事業を行なっていたが、ローの巧みな戦略で株価が高騰している。そこで、ローはミシシッピ会社株を増やし、ミシシッピ会社株を買うための資金を銀行から貸し出すというスキームを作った。

これを繰り返したことで、フランス政府債務はなくなり、ミシシッピ会社株も高騰を続けた。

だが、当然ながら、ついに会社の資本調達が破綻する。信用不信を起こしたのだ。1721年に会社は倒産。株は紙屑に。
さらに、あまりの過熱を不審に思った人たちがミシシッピ会社株と紙幣を金や硬貨に替えようと殺到したが、銀行には対応できる金も硬貨もなく、紙幣の価格も暴落。経済は大混乱したという事件だ。

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しかし、この事件が起きたのが、18世紀前半で、ゲーテの『ファウスト』にいたっては19世紀前半のことだ。この当時スタンダードになりつつあった金本位制さえ、20世紀初頭の世界大恐慌で完全に機能不全となっている。兌換紙幣は政府の信用を前提とした不換紙幣に変わっていく。
いま、キャッシュレスだの、仮想通貨だの、ということが取りざたされるが、貨幣そのものがそれほど安定した歴史を持っているわけではないことも忘れてはならないだろう。

ファウスト 無尽の宝が御領地の地中深く、利用もされず、人待ち顔に、じっと動かずに横たわっております。

かつての錬金術なら地中深くの宝をあてにしたことだろう。だが、これからあてにするのは別の宝である。
それは地中に埋まったものよりはるかに無尽蔵であるはずだ。いかにそれをマイニングするか、その仕組みづくりがいま問われている。

#ゲーテ #フィンテック #経済 #マネー

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