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発見とは即ち地平を広げることであるならば

自分が何をやりたいかわからない。

よく聞く言葉だが、この意志の不在の問題は、自分の外の事柄への理解(力)と相関しているはずだと思っている。

自分の元からの理解の枠組みでは物事の理解がうまくても、その外に、別の理解の枠組みがあることを想像することをしないと、新たな意志は生まれない。外の世界に飛び出して、自分とは異なる理解のフレームワークがあり、そこにある他者のロジックを発見しようとするところに、「これをしたい」という意志は生じるのだと思う。

それは発見への意欲であると同時に、新たな自分(の思考)を創造する試みとなるわけで、ゆえにこれまでどおりの自分から変化して「何をするか」という意志の明確化につながるのである。

自身の外にある状況の理解とともに行おうという姿勢もなく、未知の領域に目を向けようとしないからこそ、「自分が何をやりたいかわからず」、自身のトランスフォーメーションを行うことができないのである。

ひとことでいえば冒険

その点、1つ前に紹介した『実体への旅 1760年―1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』で、バーバラ・M・スタフォード描く、18世紀半ばから約1世紀のあいだ、ヨーロッパから未到の地を求めて探検に向かった科学者たちの好奇心あふれる姿勢は、まさに「自分が何をやりたいかが明確」である。従来の古典哲学、宗教まみれの世界の理解を更新して、自分(たち)自身をラディカルにトランスフォームしようという意思でむんむんとしている。

科学的な探検家――画家――著述家は、独我論、習俗、表象習慣の限界を越えようというわけで、予め何の参照も持たない。エクストラ・リファレンシャルである。彼らの画文を見るにつけ、人間である自分を世界の方へ押しつけないようという気遣いなり、注意深さなり、その感じが印象的だ。幻想に、指針なき想像力に決して身をゆだねてはならないというこの張りつめた警戒心、自分の押しつけは否というこの気概が、彼らの書いたものに独特な本物という感じを与える。

「自分を世界の方へ押しつけないようという気遣いなり、注意深さ」というのは、ある意味、自分の殻に閉じこもろうとせず、未知の他者に身をまかせる冒頭の基本姿勢かもしれない。この姿勢があってこそ、未到の地の冒険のうちに、発見と自身のトランスフォームの糸口を見いだすことは可能になる。

エクストラ・リファレンス。
参照項なし。前例に従わない。
目の前の未知に突入していくのが好奇心まんまんの冒険家たる者に求めらた態度なのだろう。

誰かが見つけてくれたもので満足しない。流行のもの、人気のものにあやかって、自分で自分が求めているものを探そうとしないから、何も見つけられないのでないだろうか。冒頭が足りないのだ。

探検家にせよ、はたまた実験家にせよ、非人間的な事物に直接あたって「自然の秘密」を知ろうとした。なんにせよ、秘密=知らないことに出会おうとする態度にこそ、自身が変わる端緒はある

エルヴェシウスはさらに、当時の諸般の事情がそうした知の巨人が育つのにいろいろ好都合であることを指摘する。ヨーロッパ人たちが自然現象をもはや想像力(詩人、もしくは文人の特権)を介して解釈はせず、今や研究と熱意(科学の天才たちの概念的具)をもってする新事態が好ましいのだ、と。実験によってのみ偉大な知性は自然の秘密を明らかにするのであり、その伝で旅人も研究一途の探検によってのみ、各所の境界線を押し拡げるのである。ふたつの営みには存在の個物に測鉛をおろす同じ方法論が通底している。

個物に測鉛をおろしてこそ、各所というか他ならぬ自分自身の境界が押し広がっていく。保守的な人はこうした新たなものとの出会いに積極的でないから、変わるチャンスをみすみす逃すことになる。

自身の未来は外にしかない。
地平を広げた先に、未来はある。

天才的な発見とは即ち地平を広げることであって、ある人間はそれで世界市民となり、かつも広大な精神の領域と身体の領域の両方に棲むことになる。エルヴェシウスの精神を分かち持ったウィリアム・シャープによると、天才的人は全てを得なければならないが故に、自分の無知をずっと意識し続ける族である。環境のなかを動き回りながら、それに問いかけ続ける。かくてその探求は終りもなく、あらゆる境界を越える。一国家、一地方に狭く執着することの限界は、発明的かつ孜々として励む精神によって小気味よく突破される。

無知を意識しつづける天才的な族(うから)は、環境のなかを動き回るというのはなんと示唆的だろう。動き回りながら、境界、限界を超え、自分で未知を見、未知に触れ、未知を体験する

未到の地を目指して境を超えた啓蒙時代の冒険家たちは、自身の未来を切り拓いただけでなく、それまで地図にも描かれていなかった土地を僕らがいまもその存在を疑わなくなるくらい、すべて啓いた。

世界は18世紀に大きく変わった。

事実と表現

だが、人ははじめて出くわしたものを前に、それがはじめてのものだと必ず気づくとは限らない。

ホルスト・ブレーデカンプが『芸術家ガリレオ・ガリレイ』で明らかにしているように、ガリレオが月に無数のクレーターがあるのを発見したのと同じようには、同時代に、同じ月を似たような望遠鏡で観察した者はそれを発見できなかった。

イギリス人地図製作者トーマス・ハリオットもまた、おそらくその直後1609年8月5日に月を観察したようだが、目視情報を然るべく観察することができなかった。彼が眼にしたものは一葉のスケッチとして残されているが、光の当たった領域には何か不分明な断片的現象が示されている。(中略)
それゆえ疑問が湧く。なぜ、ガリレイがその直後に現象の本質として明快にとりだせたものを、ガリレイの先行者は分かりやすく強調できなかったのか。簡単に説明してみれば、ハリオットの6倍望遠鏡がガリレイのものより性能が悪かったということがあるかもしれない。事実、ガリレイの望遠鏡は若干高度な能力を備えていた。ヤン・ファン・エイクとレオナルド・ダ・ヴィンチがハリオットよりも月の正確な像を提供できたのは、公平無私に見るよう訓練された眼を持っていたからである。こういう事実を前にすると、現象認識を決定するのは、器械の性能などではなく自然観察と予見との相互干渉なのだという印象を強くする。

ガリレオと同時代の画家のヤン・ファン・エイクは、クレーターのある正確な次の姿を見ることができた。にもかかわらず、地図製作者トーマス・ハリオットをはじめ、多くの人は同じ目=天体望遠鏡をもってしても月の凸凹を発見できなかった。

それは月は凸凹などない完璧な球体であるという古代からの観念が、真実のかたちを見る邪魔をしたからだ。フランシス・ベーコンがイドラ=先入的謬見(偏見、先入観、誤りなど)を問題としたのは、そういうことだ。

僕らが見ているのは、外界の本当の姿というより、そういうものだと思い込んでいるイメージであることが多い。つい目の前で見ていた風景に、何があったのかを人はいとも簡単に忘れられる。いや、そもそも目に入っていなかったというか、目には入っても頭には入らなかったのだ。

外に出たつもりが、いまだ自分の頭のなかにとどまったままだなんてことは往々にして起こり得る。外の誰かを批判してるつもりが、単に自分自身の嫌な面をあげつらったりしてるだけかもしれない。

事実は、真実の事物の有り様だというより、僕らの観念がそれをどう見たかでしかないと言えるのかもしれない。それは徹頭徹尾、表現なのだ

だから、スタフォードがこんな風に描くように、ガリレオよりはほんの少し若い世代の、ほぼ同時代のイギリス人の科学者たちは、表現の問題をとりわけ問題視したのだともいえる。

物体としての事物を記録することとも折り合い良い目的持つ散文の確立をめざす修辞学革命は、語は客観たり物質たる現実にぴたり見合うべきと主張する反キケロ主義の理論から発した。比喩的言語を根本的に追放することが、1660年、チャールズ2世勅許のロンドン王立協会の核心的イデオロギーであった。大規模なデータ蓄積によって科学知を改善することを謳う王立協会が育んだ科学的ヒューマニズムの核心部分に、言語と精神から不正確、曖昧、韜晦を根絶すべしということがあった。

言語と精神から不正確、曖昧、韜晦を根絶すべし」。言語や精神のうちのイメージを、外界と直に繋げようと彼らは実験や冒険をつうじて、生の世界との接触により、みずからの、そして、社会のイドラから抜け出そうとしたのである。

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むき出しの簡明な言葉で

科学者たちが人間のイドラに惑わされず、生の世界にアクセスしようと奮闘し始めたのと同じ時代、「物質的実体のいかなるかは知ることはでき」ないと言ったのは、イギリス経験哲学のジョン・ロックだ。

彼はデカルトの懐疑とはすこし異なる態度で、自分たちが見ている世界としての心のなかのイメージと、当の世界とのギャップに着目した。そして、それが客観的な観察に軸足を置いた、同時代の科学的なものの見方にも影響を与えるものであることに頭を悩ませた。

彼自身の懐疑にブレーキをかけて我々に向かうと、自然研究によって知識の安定状態をできる限り――理想は単なる主観、主体性の彼方へ――突破せよなどと忠告してくれるのである。こういうふうに見ていくと、心的イメージが、それがそれらの観念であるところの当の事物に似ているか否かという彼の問いは、科学的発見の目的として密接に関係あり、広教会派と王立協会が展開した言葉と物の正確な対応の達成に基づく諸方法論にも関係あり、と見なければならない。
ロック思想の否み難い相対主義、あらゆる知がコンテクスト次第というその鋭い18世紀的意識は、古代的規範秩序に金属疲労が来ているというロックおよび新科学の側からの見方の必然的な系と解釈されるべきものであろう。ロック認識論はひとつの古代的な視のパターンの権威にではなく、世界とその内容物に対する知覚を間断なく変化させる前向き個別の研究に依存している。

ロックがデカルト懐疑と異なるのは、この「世界とその内容物に対する知覚を間断なく変化させる前向き個別の研究に依存している」という点だろう。

デカルトがイデア的な世界に閉じこもったのに対して、ロックは外に出られる希望はなくとも、常に外に出ることを諦めずに、世界の知覚の内容を更新し続けることを怠らず、未知に向き合おうとした

このロックと同じように、あくまでノンヒューマンな真実を求めて、つねに自分たちの外=未到の地に向かったのが、18世紀の科学的冒険家たちだ。

その旅の様子を絵入りの旅行記に残した彼らのその文体は、装飾的なところを可能な限り廃して、事物そのままゴツゴツとしたその様を描く「むき出しの簡明な言葉」だった。

「平明な」描写に息長くついてまわった一面として、それが綺麗一途の文芸の女性的繊美とは対照的に根源的に男性的(masculine)なものの前提されていた点がある。理性的な絶妙の英知(acumen ingenii)即ち明敏な判断力は、大人になってのみ可能な感情の適性と穏当、表現の率直と男性的活力の一部である。こうして男性的強壮が旅人の科学教育を施された目には是非という必要条件になる。著述家たちが、船乗りたちの無駄も飾りもない物語の力溢れる「素直さ」が自分も欲しいという言い方をよくしているのも、このあたりである。ド・ブロッスもラ・ペルーズも「水夫の荒々しくむき出しの簡明な言葉」こそ是非、と言っている。マシュー・フリンダーズが『南方頽落航海記』(1814)で、「従って、洗練された文体など別に目指しはしなかった。はっきりと理解できるものを、と腐心した」、としている。「相方より中身」というのが「所期の眼目」である、と。

洗練より簡明さ。

外に向きあうとき、僕らは肌触りのよいわかりやすさなどを求めるべきではなく、むしろ身体に違和感を覚えるような未知の感触こそを感じとるべきなのだろうと思う。

スタックしてないか?

ブルックスが指摘した通り、全身の感覚器官を用いていつでも現実世界にアクセスできる主体にとって、外界の忠実なモデルを内面に構築する必要はない。世界のことは、世界それ自身が正確に覚えていてくれるのだ。とすれば、認知主体の仕事は、外界の精密な表象をこしらえることではなく、むしろ、環境と絶えず相互作用しながら、さしあたりの知覚データを手がかりに、的確な行為を迅速に生成していくことにこそある。生命にとって、世界を描写すること以上に大切なのは、世界に参加することなのである。

こう書くのは、『計算する生命』の森田真生さんだ。引用中のブルックスは、掃除ロボット・ルンバの開発にも関わり、自律性の高いロボットの実現を一歩前に進めたことで知られるロドニー・ブルックスだ。

ルンバにせよ、僕ら人間にせよ、環境との相互作用のなかでつくりだしていくというのは、完璧な世界像というより、僕ら自身のありようなのだろう。むしろ、自身を更新していくためには、世界を彷徨し続けないといけないのかもしれない。

さて、そんな外との向きあいかたをみんなはできているのだろうか?

自分探しと称して世界と距離をとり、世界を自分勝手に描写するだけで、世界に参加していないのだとしたら、それはルンバ以前のロボットのように、自分のまわりの出来事さえもうまく処理できずにスタックしてしまう問題ありありの存在になっているのかもしれない。



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