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規制の再強化と自律性の再生

1980年代にはじまった新自由主義経済のさまざまな規制緩和により、多くの公的インフラが世界各国で民営化された。
また、規制緩和により国境をこえたグローバルな取引がはじまって、多くの地元の産業が衰退し、雇用は減退したり給与額が低下したりということが起こった。

小規模農家の困窮と二酸化炭素排出量の増加

いち早く規制緩和によって自分たちの生活が脅かされるであろうことを感じとり行動したのは、貧しい小規模農業者たちだった。

農業ビジネスのグローバル化により、1993年には、73ケ国の164の組織から構成され、食糧主権や持続可能な農業生産を目的とした民主主義的な活動を行う中小農業者・農業従事者組織の国際組織ヴィア・カンペシーナが設立された。

また、北米自由貿易協定が発効した1994年1月1日にはメキシコ・チアパス州でコーヒ豆の栽培や畜産で生計を立てていたマヤ少数民族を中心としたサパティスタ民族解放軍が起こした武装蜂起し、その後の政権奪取を目指すことのない民主主義的な主張は全世界的な支持を集めるなどの動きが起こったことは『サパティスタの夢 たくさんの世界から成る世界を求めて』に詳しい。

いずれも新自由主義の規制緩和によって、農業のグローバル化によって大規模農家との競争にさらされ、不当なほど農作物の価格低下が起こったことで、暮らしが立ちいかなくなったことへの抗議としての運動である。

『人新世の「資本論」』で、斎藤幸平さんはこう書いている。

農業を自分たちの手に取り戻し、自分たちで自治管理することは、生きるための当然の要求である。こうした要求は、「食料主権」と呼ばれる。
中小規模農業従事者の多いヴィア・カンペシーナが目指す伝統的能力やアグロエコロジーの方向性は当然、環境負荷も低い。この団体が発足した1990年代といえば、冷戦終結後、二酸化炭素の排出量が激増した時期であった。その裏では、グローバル・サウスにおいて、サパティスタやヴィア・カンペシーナのような革新的な抵抗運動が展開されていたのだ。

そう。ここで指摘されているとおり、新自由主義による規制緩和によって起きたのは小規模農家の暮らしがあやうくなったことだけでなく、そうした小さな農家に代わって、大規模農業の環境負荷の高い生産方法の結果、二酸化炭素の排出量の増加という事象も含まれる。

経済格差と環境負荷の増加。
この2つが新自由主義の規制緩和の影響として生じているのだ。

一部の私的な存在にみずからの成長だけを目的に、自由に振る舞うさせるのを許すおそろしさがここにあるのだろう。

国営から民営になって規制は緩和されたのか

そうしたことの一例が、岸本聡子さんが『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』で教えてくれる、ヨーロッパにおける水道をはじめとする公共サービスの民営化の事例だろう。1980年代の半ばから90年代の初頭にかけて、多くの公共サービスが新自由主義の流れのなかで民営化された。

パリ市では、のちの大統領となるシラクがパリ市長の時代に、市はヴェオリア・ウォーター社およびスエズ社の2社と25年間のコンセッション契約を結び、水道事業を民営化している。1985年のことである。
また、イギリスでは元々は公社であったテムズウォーターを、1989年に株式公開して民営化している。
ヴェオリア・ウォーター、スエズ、テムズウォーターが世界の3大水メジャーと言われるが、この3社による水道サービスの民営化された地域では水道料金が軒並み高騰した。たとえば「パリの水道料金は1985年の民営化以降、2009年までに265%も値上がりした」と岸本聡子さんは書いている。

日本でも1982年に発足した中曽根内閣以降、1985年に電電公社がNTTに、日本専売公社からJTに、1987年に国鉄がJRへと民営化している。
ただし、日本の場合、民営化が料金の高騰につながったかというと必ずしもそうではない。
たとえば、東京―大阪間の電車の運賃ひとつとっても国鉄時代の昭和61年9月1日が8100円であったのに対して、令和元年の10月1日でも8910円でしかない。山手線の最低料金にいたっては120円だったのが140円(ICだと136円)にしか上がっていない。

もちろん、これは日本では1993年頃を境にほとんど物価指数が上がっていないことと関係しているのだとも言える。
しかし、先のパリの水道料金の265%の上昇は、物価上昇率が70.5%であったのに比べても大幅に上昇率が高いので、日本の民営化が料金の高騰につながらなかった理由を物価指数の上昇が低かったことだけには求められないだろう。
むしろ、日本の民営化が単に国営だった組織を民営化したものであり、ヴェオリア・ウォーターやスエズのように別の民間企業に委託したものとは違うし、同じ公社から民営化したものでもテムズウォーターのように、その後、別の国や地域へとその事業を拡大していないということも関係しているのだろう。

ようは、日本における国営企業の民営化は、規制緩和によるものだとしても、本当の意味での規制が外れきってはいないといえるのではないだろうか。
とりわけ、際限なく拡大していけるような意味での規制は緩和されていないのではないかと思う。

規制を強化する

いま多くの国々が、自国への外資の流入を強める方向にある。アメリカが中国に対して規制を強化しているのをはじめとして、EU諸国も同様に中国による企業買収への規制を強化している。

日本でも同様で、2020年5月8日に外国為替及び外国貿易法が改正・施行され、同年6月7日以降適用された。安全保障を考慮するその背景にはあるが、技術流出を防ぐことや事業の喪失を防ぐことも目的となっている。

しかし、そもそも規制のかたちはこうした外資の流入や貿易の規制に留まらない。いわゆる欧州でのGDPR(EU一般データ保護規則)や、企業の情報開示の枠組みとして用意されはじめている「TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures:気候関連財務情報開示タスクフォース)」や「TNFD(Task Force for Nature-Related Financial Disclosure:自然関連財務情報開示タスクフォース)」といったものも、規制として機能するだろう。

これらは新自由主義が生み出したさまざまな持続可能性を損なう問題に対する対策としてはじまっているが、決して、すでにこの30年あまりで壊してしまった地方のコミュニティや経済、失われた自然資源、上昇しすぎた気温を元に戻すほどの効果は期待できない。

自律神経の再生

だから、規制すべき対象を規制するだけでは十分ではない。規制緩和によって失われた小さいながら自律的にまわっていた循環のしくみを再生あるいは類似の機能のつくりなおしをしなくてはならない。

再生と書いたのは、持続可能性(サステナビリティ)だけでなく再生(リジェネレーション)が必要だとする議論が最近なされているのも意識してだ。

もちろん、そうやって再生したり、つくりなおしたりして生まれる小さな自律的な循環がまた巨人たちに踏み潰されないような規制が必要だし、小さな循環同士がヴィア・カンペシーナやサパティスタのように連携しあうことも必要なのだろう。そう。ヴィア・カンペシーナやサパティスタが小さな自律的な循環とひとつのかたちだ。

GDPRのなかで展開されたDECODEのようなプロジェクトもそうした自律的な循環を可能にするための実験だし、実は所謂サーキュラーエコノミーと呼ばれているものも循環する小さなエコノミーに最初に投入される資源をコモンズとしてそのエコノミーのなかで大切に回し続けることを最優先できるよう設計できれば失われた自律的循環の再生の方法として使えるのではないかと思う。

このあたりの話をいろんな人との対話で展開できるといいなと思っている。






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