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ビブリオテーク

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読んだ本について紹介。紹介するのは、他の人があまり読んでいない本ばかりかと。
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#科学

実体への旅 1760年―1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記/バーバラ・M・スタフォード

1753年、アイルランド出身の医師でありアイザック・ニュートンの後を継いで王立協会会長を務めた科学者でもあり古美術蒐集家でもあったハンス・スローン卿の死後、そのコレクションをもとに大英博物館=ブリティッシュ・ミュージアムは設立された。 スローンがイギリス政府に寄贈した蔵書、手稿、版画、硬貨、印章など8万点が、その他政府所有の蔵書とあわせて展示された博物館が1759年に開館することになったのである。 世界初の公立の博物館の誕生だ。 それから100年あまりのときが過ぎ、イギリスの

私たちはどこにいるのか? 政治としてのエピデミック/ジョルジョ・アガンベン

ブルジョワ民主主義システムの崩壊と、科学という宗教への不信感。 この2つでこれからの世界は大きく変わる。 『私たちはどこにいるのか? 政治としてのエピデミック』と題されたこの本で、ジョルジョ・アガンベンが提示してくれていることはそういうことかなと僕は読んだ。 アガンベンと非常事態宣言全部で19の小論(前書き含めると20)からなるこの本をアガンベンは「エピデミックの発明」という最初のものから最後の「恐怖とは何か?」に至るまで、2020年の2月26日から7月13日にかけて発

リヴァイアサンと空気ポンプ/スティーヴン・シェイピン+サイモン・シャッファー

きっとほとんどの人が意外なことと感じるだろうが、英語における"fact"という言葉がいまのように「事実」という意味で用いられるようになったのは、実はたかだか17世紀中頃のことにすぎない。 それまでの"fact"は「つくられたもの」という意味をもつ言葉で、いまでも"artifact"とか"factory"などにその名残はみられる。 だが、どういうわけで「つくられたもの」という意味の"fact"が、むしろその反対のような「事実」という意味をまとうようになったのだろう。 その答

ノヴァセン/ジェームズ・ラヴロック

まさかこのタイミングでラヴロックの新しい著作が読めるなんて思わなかった。 ガイア理論の提唱者として知られる英国王立協会フェロー、ジェームズ・ラヴロック。 1919年7月生まれの彼の100歳の誕生日に、この本は出版された(つまり、もうすこしで101歳を彼は迎えるわけだ)。 大気学者であったラヴロックがNASA勤務時代に、地球がひとつの生命体のような自律的な統制システムであるというガイア理論を提出したのが1960年代だったから、そこからでも半世紀が経っている。 そのラヴロック

ドイツ悲劇の根源(下)/ヴァルター・ベンヤミン

システム化された象徴はあっても、無定形で断片化しがちなアレゴリーはない。 それが現代の特徴ではあるのだが、そのことが随分と人類のバイタリティを弱めているのではないだろうか?と感じている。 上巻を紹介してから少し間が空いたが、ヴァルター・ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』の下巻はそんなアレゴリーがテーマだ。 下巻は「アレゴリーとバロック悲劇」と題された第2部にあたる。 第1部の「バロック悲劇とギリシア悲劇」とはずいぶんと内容が異なっている印象を受けた。 古典古代の象徴、バロッ

地球に降り立つ/ブルーノ・ラトゥール

百科全書的な知が必要になってきているということだろうか。 「アクターのリストはどんどん長くなる」。 アクターネットワーク理論を提唱する社会学者のブルーノ・ラトゥールは最新の著作『地球に降り立つ』でそう書いている。 明らかにテリトリーの奪い合いが起こっている利用可能な土地や資源が限定された地球のうえ、お互いに利害的にはぶつかり合い、侵犯し合うこともあるほかのアクターたちといっしょに「それぞれが自分の居住場所を見つけていかねばならない」僕たちは、自分のテリトリーを確保するため

時間は存在しない/カルロ・ロヴェッリ

なにこのシンクロ感。 カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』。 一昨日の夜に読みはじめ昨夜読み終えた、量子重力理論を研究する理論物理学者の言うことが、1つ前に読んだ社会学者ブリュノ・ラトゥールの『社会的なものを組み直す』でのアクターネットワーク理論の主張とリンクしまくっていて、びっくりした。 この世界は、ただ1人の指揮官が刻むリズムに従って前進する小隊ではなく、互いに影響を及ぼし合う出来事のネットワークなのだ。 このロヴェッリによる「世界を出来事のネットワーク」として捉

物質と記憶/アンリ・ベルクソン

「知覚を事物の中に置く」。 ベルクソンの、この常識的な感覚とは異なる知覚というものの捉え方が、より常識はずれながら、哲学がなかなかそこから抜け出せない精神と物の二元論の罠から逃れるきっかけとなる。 知覚を通常考えられているように人間の内面の側に置くのではなく、身体が運動の対象としようとする物の側に置く転倒は、ベルクソンの『物質と記憶』の数ある「目から鱗」な考えの1つだ。 そう1つ。この本には他にもたくさんの「目から鱗」な事柄がたくさんある。 そして、そのどれもが納得感の

三体/劉慈欣

『三体』は中国の作家、劉慈欣(リウ・ツーシン)が2006年に連載し、2008年に単行本化されたSF小説。 2014年に英訳され、2015年に世界最大のSF賞といわれるヒューゴ賞長編部門を受賞。そして、今月いよいよ日本語訳が出版されたばかりの1冊で、なんとなく直感的に興味を惹かれてさっそく読んでみた。 400ページを超える作品だが、面白いので通常の読書ペースでも無理なく4日ほどで読み終えられた。 『三体』は3部作の1冊目にあたるらしく、すでに中国では3部作は完結している。 3

流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則/エイドリアン・ベジャン

とてつもなく示唆に富んだ本だ。 これを読まずして何を読む? そう言ってよい一冊だと思う。 進化とは、単なる生物学的進化よりもはるかに幅の広い概念だ。それは物理の概念なのだ。 と著者で、ルーマニア出身のデューク大学の物理学教授であるエイドリアン・ベジャンは書いている。 この本でベジャンは物理学視点によって生物の進化と、河川などの無機物の変化、さらには人間によるテクノロジーの進歩の流れを、統合的に予測可能なものにしている。 本書は、生命とは何かという問いの根源を探求

バナナ剥きには最適の日々/円城塔

生き物とは何か? 僕らは生き物に出会ったら、ちゃんと生き物とわかるのか? 道にバナナの皮が落ちていたら、僕らはそれを生き物だってわかるのか? それが地球外生命体であるかもしれない可能性に思い至ることができるのだろうか? 円城塔の短編集『バナナ剥きには最適の日々』にはそんな問いを誘発する話が満載だ。 地球外生命に出会わない日々。「宇宙人とかいようがいまいが、どうでも良いのじゃないか」と、ヒト型人工知能を搭載した無人地球生命探査機の「僕」はいう。表題作「バナナ剥きには最適

サピエンス異変/ヴァイバー・クリガン=リード

「誰でも知っているとおり、長く働いたからといって仕事がはかどるとはかぎらない」。 この科学技術全盛ともいえる21世紀に、僕らはいまだ科学的にみたら不合理だらけな仕事や生活をし、社会や環境のデザインをしてしまっている。 そんな考えが、最近僕自身のなかで徐々に否定しがたく明らかになってきて唖然としている。 自分たちがこれからも健やかに生きる環境というものを、最近の科学の研究結果を参照して考えてみた場合そう思うのだ。 僕らは健やかに生きる環境というものをもっと科学的にみてデザイ

セレンゲティ・ルール/ショーン・B.キャロル

答えは「オオカミ」だろう、おそらく。 何の答えかというと、イノシシやシカの獣害被害をいかに食い止めるか?という問いに対する答えとしてだ。 ショーン・B.キャロルの『セレンゲティ・ルール』を読んで、そんな考えが思い浮かんだ。 「生命はいかに調整されるか」という副題をもつ、この本は、人体にしろ、より規模の大きな生態系においてにしろ、異なる有機物間、あるいは生物間での調整が機能しているか機能しなくなっているかによって、病気や環境問題などが発生したり治癒したりということが起こると

地球外生命と人類の未来/アダム・フランク

「先進技術を発展させた文明は、平均してどの程度長く存続できるのか?」 この問いは、1961年にアメリカの天文学者フランク・ドレイクによって考案された、この銀河系に存在し、地球に生きる僕たち人類とコンタクトできる可能性をもった地球外文明の数を推定するための方程式における、7つあるパラメーターのうち、最後の1つだ。 他の6つは、 1.この銀河系で1年間に誕生する恒星の数 2. ひとつの恒星が惑星系を持つ割合 3. ひとつの恒星系がもつ惑星のうち、生命の存在が可能となる状態の惑