マガジンのカバー画像

ビブリオテーク

178
読んだ本について紹介。紹介するのは、他の人があまり読んでいない本ばかりかと。
運営しているクリエイター

#小説

2021年に読んだおすすめの10冊

今年は書こうか迷ったけど、毎年恒例。 2019年に読んだ30冊の本 2020年に読んだ23冊の本 なので、数を抑えて2021年に読んだおすすめ本の紹介を。順不同。 10冊選んでみてわかったが、今年結構読んだ経済の本やサステナビリティに関連した内容の本は、読んでおもしろく勉強にもなったが、ここで選ぶものに含めたいとは思わなかった。あと小説も割合的に多くなっていても、『三体3』のような作品も10冊のなかには入らない。それよりおすすめしたいと思える作品があったからだ。 自分が

ポオ小説全集Ⅱ/エドガー・アラン・ポオ

最近、17世紀から19世紀にかけての自然観念の変化やそれに伴う探検ものに興味を持っている。 最初に1726年発行のジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』を読み、続いて読んだのはバーバラ・M・スタフォード『実体への旅 1760年―1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』。そこからすこし遡った17世紀の山に対する観念の180度の転換を考察したM・H・ニコルソンの『暗い山と栄光の山』と、実は並行して読み進めていたのが、エドガー・アラン・ポオ『ポオ小説全集Ⅱ』。

ガリヴァー旅行記/ジョナサン・スウィフト

いやー、こんなに超絶狂った作品とはよもや思っていなかった。 ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』。 その内容、衝撃的。抄訳化した子ども向けのものばかり知られているが、とんでもなくキツい諷刺のオンパレードで、子どもには読ませられない内容だ。政治や社会への諷刺のみならず、最終的にその矛先は人類そのものにさえ向く。近年の作品と比べてもよほど現代的で、かつリアルに感じられる不思議。 今年の夏休みは、旅行にも行けないのでと言うわけでもないが、旅行記や紀行文、そして、それらを

チューリップ・フィーバー/デボラ・モガー

思ってた内容とはだいぶ違った。 17世紀オランダでのチューリップ・バブルそのものがもっと描かれているのかと思いきや、単なる時代背景くらいでしかなくて、その点では残念だった。 数年前に映画にもなったらしいデボラ・モガーの『チューリップ・フィーバー』。 投機と不倫フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」に触発されて書かれたという世界的なベストセラーにもなった小説。 なるほど、思っていた内容とは違ってがっかりしたものの、内容自体はそれなりには惹きつけるものがあって、あっという間

ローベルト・ヴァルザー作品集3

「作文というものは、きれいな読める字で書かなければならない」。 そう書くのは、フリッツ・コハー少年。年齢は明らかではない。 「思考も文字も明確にするよう心がけるのを忘れるのは、悪い書き手だけだ」と書く少年は、この文章を含む作文集を残して、学校卒業後に亡くなったのだという。 「書く前にまず考えてみるべきだろう」とフリッツ君はいう。「思考が完結しないうちに文を書き始めるなど、絶対に許されざるだらしなさだ」と。 フリッツ君にしたがえば、いま、これを書いている僕は許されざるだ

ストイックなコメディアンたち フローベール、ジョイス、ベケット/ヒュー・ケナー

フィルターバブルという言葉がある。 インターネットの検索やリコメンド、ソーシャルメディアにおける情報表示などが、ユーザー個々に関連性の高いものを優先することによって生じる、自分の見たくない情報が遮断され、泡の中に閉じ込められるように「自分の見たい情報しか見れない」状態を指す言葉だ。 一般的に、フィルターバブルは、アルゴリズムの影響によるものだと言われる。 だが、アルゴリズムの影響によるものだというなら、なにも現代にはじまった話ではない。 常套句とはつまり、ある閉じたフ

フライデー・ブラック/ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー

短編小説って苦手な分野だ。 でも、この短編集は面白かった。 アメリカ・ニューヨーク州オールバニー出身のナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーによるデビュー作『フライデー・ブラック』。 本国では昨年話題となり、ベストセラーとなった作品だそうだ。 最初の「Finkelstein 5」と題された短編ののっけからやられた。 それはこんなはじまりだ。 頭のない少女が、エマニュエルに向かって歩いて来た。フェラだ。その首は血で真っ赤に染まり、ギザギザに切断されている。フェラは静かだった

コルヌトピア/津久井五月

2016年に発表されたやくしまるえつこの楽曲「わたしは人類」は、シネココッカスという微生物のDNAに音楽を組み込む形で発表されたことで知られる。 DNAには、遺伝情報の伝達に用いられていない部分があって、その部分に楽曲情報を塩基配列に変換して保存するのだ。遺伝子を情報保存媒体として用いるわけである。 もちろん、遺伝子が自身を複製することでその情報も複製される。 とうぜん、遺伝子をもつ有機体は持続可能な存在だから、これまでの人工的な記録媒体より環境にやさしい可能性が高い。

オープン・シティ/テジュ・コール

まるでパラレルワールドのようだ。 そう感じながら読み進めた。 この小説で描かれる世界は、いまの僕らが暮らすこの分断されて自由に街を歩きまわることのできない世界とは見事に対照的だ。 この小説の主人公はニューヨーク・ブルックリンの街を徘徊し、友人や同僚や恩師、そしてそれの人を取り巻く人びとと交流する。時にはベルギー・ブリュッセルへと1か月弱の旅をし、そこでもその地で暮らす人たちと交流をする。 いずれもいまの僕らには手が届きにくくなっているものだ。けれど、同時に少し前までなら僕

銀河ヒッチハイク・ガイド/ダグラス・アダムス

あー、答えだけ手に入れたって仕方ないんだなって思った。 特に自分で苦労もせずに、誰かがくれる答えをもらったところで仕方ないんだと。 だって、答えの意味がわかるためには、問いの意味がわかってないといけないから。 でも、往々にして、他人から答えだけ教えてもらおうなんて安易に思っている輩は、問いの意味を理解する力も根性も持ち合わせていない。 だから、高い代償払って延々待ちわびて得た答えの意味不明さに、頭が真っ白になって、「こんなの詐欺だ」と言いだすことになる。 いやいや、詐欺

ガルガンチュア/フランソワ・ラブレー

ようやくラブレーを読む。 フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュア』は、もう何年も前から、いつかは読もうと思っていた、全5巻からなる『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の1巻目だ。 ラブレーとブリューゲルラブレーは、1483年くらいに生まれ、1553年に亡くなったフランス・ルネサンスを代表するユマニスト(人文主義者)であり、医師だ。 『ガルガンチュアとパンタグリュエル』は第2書にあたる『パンタグリュエル』が最初に1532年に書かれた後、第1書である本作が1534年に、その後

屍者の帝国/伊藤計劃×円城塔

死んだ人間の身体を再利用しそれなりの仕事はできるよう、疑似霊素をインストールする。 100年前、18世紀の終わりまで、人間の肉体は死んだら黙示録の日まで甦る事はないとされていた。しかしいまは、そうではない。死後も死者は色々と忙しい。 と、ジョン・H・ワトソンが語る19世期末のロンドンで、物語ははじまる。 ロンドン大学で医学を学ぶワトソンは、卒業を間近にしたある日、屍体に疑似霊素がインストールされ、動く死者になる瞬間をはじめて目にすることになる。 その施術を行なったのは、

花のノートルダム/ジャン・ジュネ

クリエイティブ。 その言葉が視覚表現偏重にあるのは、どうにも気にくわない。 特に、言葉で表現された小説や詩などが置き去りになっている傾向は、クリエイティブの言葉を深みのないものにしてしまうようにも思える。 視覚表現のように、それほど時間的な労力や思考をするという労力をかけずに済むものに対して、書かれたものを読むという作業を伴う言語表現芸術はなるほど時間も思考コストもかかる。 けれど、だからといって、それらをそれだけの理由で鑑賞の対象から除外して、コストのかからないものにばか

三体/劉慈欣

『三体』は中国の作家、劉慈欣(リウ・ツーシン)が2006年に連載し、2008年に単行本化されたSF小説。 2014年に英訳され、2015年に世界最大のSF賞といわれるヒューゴ賞長編部門を受賞。そして、今月いよいよ日本語訳が出版されたばかりの1冊で、なんとなく直感的に興味を惹かれてさっそく読んでみた。 400ページを超える作品だが、面白いので通常の読書ペースでも無理なく4日ほどで読み終えられた。 『三体』は3部作の1冊目にあたるらしく、すでに中国では3部作は完結している。 3