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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2020年8月の記事一覧

リモートワーク環境下での生産性

zoomのようなビデオ会議システムとslackのようなチャット型コミュニケーションツール。 どちらもいまやリモートワークをする上では欠かせないツールだ。 けれど、この2つをうまく使い分けないと仕事の質もスピードも落ちる。 端的にいうと、ビデオ会議側に頼りすぎると、質もスピードも落ちる。 なぜ、そうなるかを考えてみたい。 熱いメディアと冷たいメディア「メディアはメッセージである」などの言葉で知られるメディア理論家のマーシャル・マクルーハンの提唱した概念のひとつに「熱いメデ

オラファー・エリアソン ときに川は橋となる@東京都現代美術館 / Olafur Eliasson Exhibition at MOT

この記事が400記事目らしい。 なんかうれしい。 さて、東京都現代美術館で開催中の「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展に行ってきた。 これも開催前から楽しみにしてた展覧会。 はじまるかどうかのときにコロナ禍に突入。 当初の会期が終わるころにはじまるかたちで会期が変更されて、2ヶ月あまり。 様子見してたらこの時期に。 そして、昨日、混雑を避けるため、平日の早めの時間を狙って行ってきた。そのために仕事は休みにして。 計画してたとおり、人もそう多くなく、ゆったりリ

デザイン力としての分解と組立

なにかをつくる上で大事なことの1つは、ものごとを要素に分解して考えることができ、その分割して理解した要素を元にその時々に適切な組立を行えることだと思う。 世の中のサービスデザイン系、UXデザイン系のフレームワークの多くは基本そのためにある。 ビジネスモデルキャンバスしかり、 カスタマージャーニーマップしかり、 サービスブループリントしかりだ。 いずれも共通しているのは、最終的にビジネスやサービスで使われるモノやシステムのデザインではなく、そのビジネスやサービスが何なのか

脆弱な世界

世界を人間の思考だけでみることの危うさ。 それは実際の世界から、人間の思考からは外れる存在を排除することである。 外されるものはいわゆる自然だけではない。 人間自身が作りだしたものだって、役に立たなくなれば外に放り捨てられて、顧みられなくなる。 なかったことにされる。 ゴミ、箪笥の肥やし、壊れたおもちゃ、廃墟、無用の長物。 いらなくなった人工物は、それがたとえ自分たち自身が生きる環境に悪影響を与える結果になろうとも、そんなことすら気にされることもなく、自分たちが認識する

これからも生きていくための基盤

失われるということに対する想像力。 何かが失われることで自分の生活がどんなふうに変化してしまうのかを憂う気持ち。 そんな思考がいま、とても大事な気がする。 実際、この半年、ほとんどの人がそれまでの暮らしを失った。 自分の暮らしが何によって可能となっていたかをあらためて考えなおす機会としては十分すぎるインパクトがあったはずだ(実際どれだけの人が「考えなおした」かはまた別として)。 この状況は最低でもあと1年くらいは続くだろうから、当初抱いていた元どおりの暮らしが戻ってくること

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展@国立西洋美術館

ようやく美術展に行けた。 上野の国立西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を観にいった。 ほんとにひさしぶりな気がした。最後に観たのが、今年の1月に行った「ハマスホイとデンマーク絵画」展だから半年以上経つ。 いつもなら、ゴールデンウィーク中にいくつかヨーロッパの美術館をまわっていたはずだ。今年はウィーンとプラハに行く予定でいた。それもなく、半年以上、実際に美術作品に触れることなく過ごした。美術作品を観ることへの恋しさはずっとあった。 この美術展自体も、

疫病、モバイル性、内面化

疫病(はやりやまい)は、人びとのあいだを分断する。 それをいま僕らは身をもって体験してるわけだけど、他人とのあいだを分断されて、部屋のなか、自分のなかにひきこもったとき、活躍するのがモバイル性のある情報メディアだろう。 たぶん、いまスマホがなかったら、僕らのひきこもり生活はもっと退屈だったに違いない。 とはいえ、過去のどの時代にも、その時代時代にあったモバイルツールが、疫病によるひきこもり生活を助けていたようにも見受けられる。 1665年、ペストが流行ったロンドンでた

安全なイメージのうしろに危険な現実を隠して

最近本気でちょっと怖くなっている。 何が?って、世の中の反動的な傾向が、だ。 COVID-19をきっかけとした世界的な危機の兆候がみえはじめてから、気づけば、この日本でもすでに半年ほど経っている。 危機的状況の長期化によって、経済はもちろん、人それぞれの精神的にも大なり小なり打撃を受けている状況だろう。 こう弱った状態になれば、誰しもが、まわりのいろんなものが敵に見えてきてしまうのは、ある意味正常な反応である。 もちろん誹謗中傷や暴力で他人を傷つけてしまうのは決して許され