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「芸人の話は、ラジオで話してるもの以外信用できない。ライターは1を聞いて10書く」という発言をテレビで観た。

先日テレビでお笑い芸人が「インタビューライターは人の話に勝手に文脈をつけてあたかも物語のようにするから信用ならない、信用できるのは本人たちがラジオで発する言葉だけ」というトークをしていた。
観た人の中には「えぇー!インタビュアーってそういう仕事なんだ、これだからマスゴミはw」と思った人もたくさんいるかもしれない。

私は10歳の頃からお笑い芸人が好きで、15歳の時に大好きなコンビが解散したのをきっかけにエンタメの仕事を目指すようになり、22歳で芸能界の裏方の仕事に就き、30歳の時にひょんなことからインタビューライターになった。だからなんていうかこれは飛躍かもしれないけれど、自分が大好きで大好きで焦がれてた職業の人たちにとって、「鬱陶しい」「信用ならん」と思われるような職業に知らない間になっていただと!?それはビックリ仰天だ!ずーっと心は「あなたたちの味方です!あなたたち側です」からひとつも変わらず動いてないつもりだったのに、知らない間に全然違うところ、なんなら反対側、敵側にさえなっていたのだとしたら悲しいな。しかもこの仕事がなかなかに好きだから戸惑うな。
というのが、話題になってからその番組を観ての最初の感想だった。

「本人たちの口から語られるものだけが事実で、それ以外は編集や脚色によって手を加えた人間の視点が入るから本物ではない」
という考え方について、私は明確に「そうではない」という意見を持っている。
いやもちろん、「あの時に私は傷ついた」「私は幸せだった」といった”感情”は紛れもなく本人のモノで。第三者が100%イコールで理解することは難しく、完璧に汲み取り、何かの形でかわりに発信するというのはさらに難易度の高いことだとは思っている。そして見聞きしたことを捻じ曲げたり、なかったことにしたり、逆にないものをあることにするなんてことはしてはいけないというのも思う。
でも、「自分はあの時ああ思ってたんだ」と友人に過去のことを話したら、「あんたあの時はそんなこと言ってなかったよ」と言われるようなことはよくあって(私は先週もあった)、そうやって「感情」は自分で保管しているだけでは経年劣化することも多々あるし、そもそも「感情」と「言葉」がピタリと一致することばかりではないから、「本人の発言至上主義」については、ひとまず私は賛同しない。

「自分の感情をできるだけ齟齬なく他者に届ける」のに、思いがけず他者の視点が役立つことがある。
他人の感情を保管するのが上手な人に自分の感情を言葉として預けて、「あの人の言葉は”悲しい”の箱に入れて冷凍保存しておこう」とか「この人の話は”怒り”の場所に置いて風通し良く保管しよう」とやることで、自分の思いや言葉を状態良く保存する。この作業をする人がつまり「インタビュアー」や「編集者」なんじゃないだろうか。(あとはディレクターとか)

例え続きでちょっとわかりにくいかもしれないんだけど、プロのインタビュアーや編集の仕事というのは、さらに「この言葉は皮と泥がついたままだから、水で洗って皮も剥いてお届けしたほうがより本人の思いに近い形で届くな」とか、「この感情はこの皿に載せて提供したら的確に人の心に刺さるな」とかをやるってことで、これが非常に技術を要する。ここがうまくいかなかったりすると発言者が「こんなこと言ってない」「勝手に物語を作られた」「おもてたんとちゃう」になるんだと思う。
だからインタビュアーの仕事は一生精進していかなきゃいけないと私は思っている。
(↑は簡単にできることじゃなく、いつだって自分に100点はつけれないしつけない。先述したように、「自分の感情の本当の在り処」を当事者が他人に伝えることの難しさ、聞き手が汲み取ることの難しさ、そして汲み取ってさらに他者に伝えることの難しさは誰しもが日常生活の中で感じることだと思うし)
ただ言いたいのは、受け手にとっても読み手にとっても「良いインタビューだ」と思ってもらえるもの、「これは気持ちを偽りなくちゃんと伝えてくれてるな」と感じてもらえるものであっても、必ず”編集”は入っていて、それはもしかしたら「丸腰のナマモノ」のままだったらその味が伝わらなかった可能性もあって、話者や読者が感じた「良さ」が編集(それは、「加工」ではない)によるものだというケースは間違いなくあるのだということを、私は自分の職業抜きにして主張したくて、「インタビューはすべてインタビュアーの色眼鏡が入ってて、それはよくないこと。本人の発言だけが真実で正解」とは、インタビューを受ける人も読む人も思わないでくれると嬉しいなっていうのが、ひとまず本日伝えたいことでありました。

話は変わるけど、最近発売された、又吉直樹さんのエッセイ集『月と散文』を、お気に入りのお店のクッキーの詰め合わせを、大切に大切に食べる時のような気持ちで少しずつ読んでいる。

私は14歳で又吉さんの、線香花火の漫才に魅了され、翌年に彼らが解散してしまってからも、ピースの結成、又吉さんが芥川賞をとり、綾部さんはアメリカへ旅立ち、という姿を見届け続けてきた。
でも、見届けてきた20年よりも、線香花火のファンだった1年間の方が私の人生にとっては色濃い。
青春とはそういうものなのだと思う。
線香花火が解散した数日後にピースが結成し、線香花火のファンたちの動揺を受け止める場所がないままに、原さんは完全に引退し(その後まさか別の形で戻ってくるなんて思いもよらなかったけど)、又吉さんが完全に口をつぐんでいたことも、その「もう戻ってこない1年間」の色を特に鮮やかにしたんだと思う。
又吉さんは本当にずっと、ぜんぜん何も教えてくれなかった。だから、『火花』というフィクションを通して、自分の知りたかった10数年間を知れたことは本当に嬉しかった。

『火花』(を、私小説だと言い切ってよいかはわからないけど)や『月と散文』の中で、又吉さんは自らの下積み時代を貧乏で灰色の、時に地獄のように描写することが非常に多い。でも、私の体感では、デビュー直後から線香花火は、同期の中でも破格の扱いを受け、仕事も多く、皆から愛されていたように記憶している。
Netflix『火花』公開時に、当時の思い出をコラムで綴ったので、詳しくはそちらで。

又吉さんがあの頃を「しんどかった」と記憶しているのであればそれは「真実」ではあるけれど、「同期の中で唯一、デビュー当時から7じ9じの舞台に立ってましたよね、テレビのレギュラー番組もありましたよね、めちゃくちゃファンもいましたよね、異例の早さで単独ライブをやって、チケットは即完でしたよね」というのも紛れもなく「事実」で。
私は又吉さんにインタビューをしたことがないからわからないけど、もしも私がインタビュアーとしてそうご本人にぶつけ「そうですね」と相槌を打たれ、「当時の線香花火はすごかったんだ!」と記事にした時に「これはライターが盛ってる」という評価になったら。そんなの、ケンカしたくないし決着もつけられないことだけど、たぶん私が「捻じ曲げてしまいすみませんでした」ということになるような気がする。(だからこそ、「相槌を打った」にどんな意味やニュアンスがあるのかを丁寧に感じ取って書かなきゃいけないってことなんですよね)

『月と散文』に、「家賃2万5000円のアパートに住んでいた時に、7000円の花瓶を買った」というエッセイが載っていて、その文章はもちろん、又吉さんの感性や筆力を楽しむという意味においてとても味わい深かったけれど、一方で私はどこかで「あの頃感じてた又吉さんへの”私の印象”とは違う」と思ったりもする。

当時、月のお小遣いが5000円だった中学3年生の私は、それこそ何かのインタビューで又吉さんが「『泥棒日記』というブランドの服が好き」と答えていたのを見て、彼の服装にも激しく心酔していたこともあって、原宿の店舗まで真似して服を買いに行ったら、どれも1着、2万とか3万とかしたものだから驚いてしまって、かろうじて500円のブランドロゴのアップリケを購入して帰り、自分で帽子に縫いつけたことがあった。「若手芸人というのはお金がないと聞くけれど、又吉さんはこんなブランドの服をたくさん持っているんだ、すごいなぁ」と思ったのを強く覚えている。

「家賃2万5000円のアパートに住み、7000円の花瓶をやっとのことで買う人」

「1着、2万3万する服を日常的に着用している人」
は確かに同一人物で、この話は「どちらが“正しい”と思いますか?どちらを“信じますか?”」という話ではないと思いませんか。
つまり、「何をどう描くか」で見え方なんていくらでも変わる。だから本人の言葉だけを信じておけば正解っことでもないし、”客観的事実”こそが正解!ってことでもないんですよね。

とりあえず今日は、あの日、裏原宿の雑居ビルの2階に店を構えていた泥棒日記の店舗までの階段をドキドキしながら昇ったあの時の感情を思い出しながら文章を締めようと思う。
でもどうしよう、15歳の私に聞いたら「いや、ドキドキは別にしてなかったんじゃない?」とか言われたりしたら。もしくは16歳の私が出てきて「あのそれ、中3じゃなくて高1の時のことだよ!」とか言われたりしたら。

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