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「トルコから日本にプラズマみかんがやってくる!」

皆さんこんにちは、タベテクの田苗(たなえ)です。2018年に起業してもう6年が経ちます。まだ6年です。あっという間の7年目ですが、振り返ると
そこには「歴史」があり、あの時にこういう決断があったから今がある、と思ったりしています。今日はトルコから日本に薬剤処理のないみかんがやってくるに至った経緯について、書いてみます。

東日本大震災から10年たった2021年、私はふと、2011年起きた東日本大震災の頃のことを想い出して「10年経った東北の姿を見に行ってみてみたい」と思うようになりました。そんなある日、東京の友人から「宮城県白石町の廃校になった元小学校で、僧侶を招いて禅について勉強する宿泊イベント」のお誘いを受け、興味があったので、まじめな気持ちで行きました。

そうしたら、午後からなんとなく、まさかの、お酒の匂い(笑)がして、
夜は初めて会った方々と、体育館の横でBBQをしながら、飲み会となりました。その時はコロナ禍で、自粛ムードが凄く、参加された皆さんも大盛り上がりで、盛り上がり過ぎて、警察に通報される羽目に「ちゃんと許可は取っていたらしいのでご安心ください」。みんなベロベロになって、夜の座禅会は中止→酒盛りに変更(笑)おまけに、朝の座禅会には二日酔いで出席できず、私はただ、楽しい飲み会に参加しただけになりました。

本当に楽しい会で、白石町で沢山のお友達が出来ました。今でも、とても仲良くしてもらっています。そこで出会った宮城出身の方に「10年経った東北を見てみたい!」と想いを話してみたところ、ご案内していただける事になりました。

気仙沼から少し離れた宿に泊まり寝ていたところ、朝方、金縛りにあいました。枕元には大柄の男性が無言で立っていました。30代ぐらいの男性で身長は180㎝以上、鼠色の上下スウェットを着ていて、ネズミ色のスウェットって濡れると色が変わるじゃないですか?まさに、濡れています。髪は天然パーマで、チュルチュルとウエーブがかかっていて、非常に濃い顔をされていて、眉毛が濃く、目がくっきり二重だったことを、鮮明に覚えています。

同じことがあったのはこれで2回、最初はグレーのスーツを着た、亡き父が枕元に出てきた事があります。

普通、そんなことがあったら怖いじゃないですか?どちらも、その時は全く怖くなく、知らない男性はきっと東日本大震災で亡くなられた方だと感じました。福岡に帰った後、東日本大震災で行方不明になっていらっしゃる方のリストなどネットで調べましたが、該当するような方はいませんでした。

話は戻りまして、翌日、宿の女性の方から志津川駅まで車で送ってもらいました。車中で「南三陸ワインが私たちの希望」というお話をされて、偶然、前日に南三陸ワイン工場を見学に行っていたので、地域の方々に被災地復興の「希望」と言われるまでになった、南三陸ワインの凄さを思い知らされました。

2022年から、私は柑橘生産が盛んなトルコ共和国で、私たちの技術がどのくらいのニーズがあるか、調査をすることになりました。その中で、青果物輸出企業大手3社にインタビューを行ったのですが、今もお付き合いのある1社の社長さんが、私たちの技術に大変興味を持たれて、私の実証実験のオファーにYES!とのお返事を頂きました。2022年3月に向けて渡航の準備をしておりましたが、2月下旬にロシアウクライナ侵攻が起こり、帰ってこれないリスクも考えて、その年は延期となりました。

2023年の1月下旬、私は1年待って、トルコ柑橘を使って実証実験を始めました。ところが、帰国してすぐ、2月6日現地を震源地とした大地震が発生し、実験に協力して頂いた青果物輸出企業の5階建てのビルは全壊しました。

トルコ・シリア大地震では、5万人以上の方が倒壊した建物の下敷きになり、亡くなられました。大地震からもう1年以上経つのですが、仮設住宅の建設が間に合わず、未だテント生活を強いられている方々がトルコでは60万人弱いらっしゃると聞いております。

被災した地域はトルコ全体の7割を占める柑橘の一大生産地で、トルコは柑橘輸出が世界1位の国なのです。私はみかんだけを運ぶトラックの運転手に会ったこともあります。2023年に初めて実施したトルコでの実証実験は、前にも書いた通り大成功しまして、今年は1000キロのレモンとマーコットを使って、2回目の実証実験を行いました。

2回とも常温でも、防腐剤の薬剤を使わなくても、上手く3か月間の鮮度保持が出来まして、今年は冒頭の写真の柑橘(レモン・みかん)をトルコから日本に運んできます。「やっとそうなる!」トルコで本占いをした時に、その言葉がでてきました。やっとそうなります(笑)

トルコの大地震の破壊力は凄まじく、復興までには10年、20年かかると言われています。今日、そのことに色々想いを巡らせていた時、私は2021年に訪れた、南三陸ワインの事をふと思い出しました。

私は、トルコでの事業が進捗しており、特に柑橘生産が盛んな、被災地で今後とも活動を継続するつもりでいます。しかし、現実はそんなに甘くなく、また大きな壁にぶち当たっています。現状、苦しいですが、自分が死んだあと、例えば50年後でも100年後でも「ある日本人が日本からみかんが腐らない技術を持ってきて、それが被災地の方々の希望になって、、」とかいう話がトルコに誰かに語り継がれていたら、いいなぁ、と思えてきました。

私が生きてる間に南三陸ワインのようにはならなくても、私が死んでからでも良いという考えが、浄土真宗の「極楽浄土」と似ていることに、ふと気づいてしまい、私の現世はそんなにきついのかと(笑)

因みに私は歴史上の人物になりたいとか、名声を得たいとか、そんな気持ちは毛頭なく、私は無名であっても構わないと、一言付け加えておきます。

死ぬこと事を考えることは、つまり生きること、私は皆さんに「希望」を与える人間でありたいです。

最後に、最近、クラファンのお誘いや寄付のお願いを受けることが多々ございまして、大変申し訳ないのですが、私はトルコの被災地復興の為、これからも全力で頑張ります。皆さんを応援したい気持ちはあるのですが、今はその余裕が全くない状況です。多大な経済的な支援を受けておきながら、本当に申し訳ないです。その支援は、遠くで近しい国のトルコの被災地に行っているとご理解くだされば幸いです。

中東情勢はより一層困難な状況になっておりますが、私は何があっても、
トルコ被災地の経済復興を念頭に活動して参ります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!









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