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どんぐりのかたちをしたタイムカプセル

パパです。こんにちは。

きみたちが、なんさいになったときに、このぶんしょうをよむのだろう。なんさいでもよめるぶんしょうって、とってもむずかしい。

かんじがよめなかったら、ママにきいてね。

よめても、いみがわからなかったら、ただ、こえにだしてよんでみよう。もしかしたら、パパときもちがつうじるかもしれない。

じゃあ、いくよ。

☆☆☆☆☆

パパは毎日、ひとりで考えごとをしています。

パパは小さいころはあまり本を読んでいませんでした。みんなはパパとちがって小さいころから本をめくっていてすばらしい。本をめくるのはオススメです。

最近はそれなりに本を読むようにもなったので、昔の人の考えたことを土台にして、土台の上に立って、遠くの景色を見ることも出来るようになってきました。

パパの土台はそんなにすごく高くもありませんし、そんなに丈夫でもありません。もっと土が必要だし、もっと固める必要があります。でも大切なのは、自分の立っている土台はそんなにすごく高くもないし、そんなに丈夫でもないと知っておくこと。それさえ知っておけば、きみたちがいつもやっているように、本をめくったり、人とお話したりするのが自然に役に立ってきます。

たまに、ちいさなころのように、土台なんてなんにもないところに立って、草のうえにねころんで、景色を、空を、見たくなる。パパはそれを哲学と呼んでいます。土台の上に立った哲学の方が哲学としては正しいとされています、きっと。パパのやっていることはたぶん、正しい哲学をしている人たちからは、詩と言われているようなことです。

哲学が人生に出す宿題のようなものがあって、その宿題は、それぞれひとりひとり、少しずつ内容がちがってくる。もうちょっとすでに哲学してるかんじになってるね。おもしろいかな、この話?おもしろいといいんだけど。

たとえば、宿題のひとつに、「自己実現」というのがあるよ。 けっこうみんなが考えるテーマ。それで、つぎに来る宿題は「自己実現がいちばん大切なのか、それ以外の方が大切なのか」かもしれない。まだ「自己実現ってなに?」って考えているのに、つぎの宿題が来てしまった、たいへんだ。ひとりひとりの宿題のちがいは、こんな風に、「宿題の積み重なり方」によっても、どんどん個性的になってくる。

もし、「自己実現に向かって努力している実感がある」と言えるようになったら、かえって軽やかに社会問題とかにも本腰を入れられるかもしれない。どんどん、宿題をかたづけて、自信もついてきた。世界が広がっていく。

もし、ぜんぜんそんな実感が持てないまま、どんどん歳をとってしまった、と、きみが思ったとするね。歳をとるということは、もうすぐ死んじゃうよっていうのがだんだん冗談じゃなくなってくるってことです。歳をとるということは、いろんなことに責任をとるということです。自己実現とか言ってる場合じゃないよ、それ以外に大切なことがいっぱいあるよってことです。そして、もしかしたら、それ以外の大切なことを守ることイコール自己実現じゃないか、ああ間に合った、という、アクロバットみたいなことをして、やっと自分を満足させようとします。それが強がりなのか嘘っぱちなのか、ほんとうに真理にいたったのかとかを、またごちゃごちゃと考えます。

ごちゃごちゃ考えている様子が味わい深くて素敵な雰囲気をかもし出す人と、ただただ痛々しいだけの人がいます。自分が素敵になったり痛々しくなったりしているのを、「冷静な自分」という、大人になるとだんだん育ってくるもう一人の自分が見つめてきます。素敵か、痛々しいか、どっちだかを教えてくれます。そして「冷静な自分」もけっこう間違えます。そういう、なんだか、そんなことを哲学と言ってしまってはソクラテスに申し訳ないなあ、みたいなことを、どうどうめぐりで考える人生もあります。

パパは、きみたちに、才能と、才能を育てるための環境との一致が見られる人生を歩んでいってもらえたらいいな、と思います。そのための応援を、できるだけこっそりしたいと思います。でももし、才能と、才能を育てるための環境との一致が見られる人生になかなかならないなあと思っても、あせらなくて大丈夫です。そのときこそ哲学の出番です。「人生とは、自己実現がいちばん大切なのか、それ以外の方が大切なのか、もしかしたら、それ以外と思っていたものがイコール自己実現なのか」とか考える時間が、人生にはいっぱいあります。

さて、あんまり自己実現自己実現言っていてもアレなんで、ちょっと窓の外に目を向けてみよう。窓の外に目を向ける前に、もう小鳥のさえずりが聞こえているね。外には世界があるよ。今度、パパは生まれてはじめてトライアスロンの大会に出るんだけど(もしかしたらきみたちがこの文章を読んでいるころには、たくさんトライアスロンに出た人ということになってるのかな)、トライアスロンっていうのは、いっぱい泳いで、泳ぎ終わったらすぐに自転車にまたがって、いっぱい自転車をこぎ終わったら今度は休まずにいっぱい走ることをトライアスロンっていうんだけど。トライアスロンって自己実現かな。なんか自分自身に挑戦みたいなところもありそうだけど、もしかしたら、外には海があるよ、泳いでみたい、外に自転車がとめてあるよ、この自転車にまたがったら風が吹いてくるよ、自転車おりてもまだ道がつづいてるよ、世界がつづいているよ、ていう、外へ外へ、なのかもしれない。たぶんパパは、外へ外へ、と思わないとトライアスロン完走できない気がしてるんだ。あんまり自己自己言ってないで、外へ外へ。自分の意志とかじゃなくて、やらされるのでもなくて、海とか、自転車とか、風とか、道とかと、自分が、気持ちのよい関係を築くっていう、そういう哲学もあるんだ。もし、「人生とは、自己実現がいちばん大切なのか、それ以外の方が大切なのか、もしかしたら、それ以外と思っていたものがイコール自己実現なのか」とかぐるぐる考えて疲れてきたら、窓の外に目をむけてみよう。小鳥のさえずりがしていないか、窓の外に耳を澄ましてみよう。パパがきみたちに伝えたいのは、そういうことだよ。

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