見出し画像

【佐渡市地域おこし協力隊インタビューvol.5】新穂潟上集落担当 小森美紗

『地域おこし協力隊』
その名の通り、地域おこしを考える団体に "協力する" 人を指すが、全国的に見てもその存在は勘違いされがちである。

「3年の任期後にはいなくなる」
そう思って接しているのは果たして隊員か、それとも周囲なのか。

「どんな人がいるの?」「何をしているの?」
このインタビューは、私から見た "地域おこし協力隊という職業を選んだ仲間" をただ知っていただきたいという自己満足の備忘録である。


私から見た、小森美紗というヒト

生椿集落での草刈りに参加した
地域おこし協力隊で集合写真

小森さんは協力隊にとって、新穂エリアの姉貴だ。【佐渡市地域おこし協力隊インタビューvol.1】の記事 の冒頭にもお話した誕生日会では山本くんに一番に声をかけられた人物でもあるし、入隊した時期が先ということもあり、新穂エリアのトキの水辺づくり協議会担当の菅原亮隊員、潟上未来会議担当の小谷麻衣隊員 2人のメンター的存在になっているのかなとも感じる。

後述にもあるが、私の小森さんへの第一印象は、"とにかく草刈りが大変そうな担当地のひとり" だった。(自然豊かな地域担当者は大体そうかも(笑))

ある日に行われた生椿(はえつばき)での草刈りに私も参加したのだが、数時間の作業でもとても腰の折れる作業だった。 後にも先にも刃先がハート柄にくり抜かれたピンク色の電動草刈り機を扱ったのはあれが最後だったけれど、年中あの作業をしている隊員と地域の方には頭の下がる思いだ。

草刈りが落ち着き始めた小森さんは、新緑の季節が来たとばかりにのびのびと色々なことに挑戦し、"自分が生きることの豊かさを考えて見つけることがとても上手な人だな" というのが今の印象である。

また、その豊かさのお裾分けも上手で、私が以前に『佐渡きこり』さんのワークショップに参加した経験も小森さんの影響だ。これからも勝手に新しい価値観のお裾分けを期待したい。

たまりば・子ども未来舎りぜむの庭で



自分が本当にやりたいことは…

小森:新穂潟上集落担当の小森美紗(こもり みさ)です。京都府京丹後市出身で、京都府庁で8年間勤務した後、パーマカルチャー(持続可能な農的暮らし)を実践している人たちを訪ねる旅や、インドでの旅を経て佐渡に出会い、移住しました。

棚村:色々と気になるワードがありますね! 京都府庁ではどんなことをされていたんでしょうか?
小森:学生時代にホームレスの方や、引きこもりの自立支援のボランティアをしていたことが起因していると思うのですが、入庁当初は『介護福祉事業課』に入り、デイサービスや老人ホームの事業者の支援をしていました。

棚村:The 役所って感じ…!
小森:介護保険法や、障害者自立支援法に基づいて運営している事業者の指導担当として、事業が法律に基づいて運営されているかどうか法律と照らし合わせて確認する仕事ですね。事業者からするとあまり仲良くなれない、怖い存在 (笑)
入庁から3年間はこの介護・福祉事業課にいて、認知症の介護をしている人向けの研修担当などもしていましたね。

棚村:そういった知識があるのは高齢者が多い佐渡の集落での生活でも強みですね。
小森:その後1年間、財団法人に研修として出向し、本庁に戻ってからは『農林水産部 食の安心安全推進課』の食育担当として、当時出来たばかりの食育施設で京都のお出汁や和菓子に触れる料理教室などを企画していました。でも、私はもっと根本的なことがしたかったんですよね。

棚村:府庁の意向などもあるでしょうし、動きにくさを感じることもきっとありますよね。
小森:それできっと鬱憤が溜まっていたのか、当時私が住んでいた、「食」をテーマにしたシェアハウスで様々な食のワークショップを開催したんです。そのシェアハウスは京都市内の町家なのに畑があって、そこで猟師さんと鶏を捌いて食べる会も開催しましたね。

棚村:狩猟免許も持っているとか。
小森:持っています! 自分がやりたい世界観と当時の仕事が違ったので、シェアハウスを会場に本当にやりたいことをプライベートとしてやっていました(笑)

山本隊員の退任前に行われた鶏捌き会でもサポート役として活躍

棚村:なんだか、佐渡のここ『りぜむ』にいることのベースの全てがここに詰まっている印象を受けました。
小森:なんだろう、元々少数派の方への共感と想いがあって。自分自身、子どもの頃学校が好きではなかったし、社会での居づらさや生きづらさを常に感じていました。ゆくゆくは居場所を作りたかったということが、今の活動に繋がっている気がします。


『たまりば・子ども未来舎りぜむ』について

棚村:今日の取材場所でもある『たまりば・子ども未来舎りぜむ』ですが、ここはどんな場所なのでしょうか?
小森:りぜむは、子どもから大人までのみんなのたまりばです。誰でも無料で過ごすことができます。暮らしや学びから生きた経験を体験し、それぞれがやりたい夢を叶え、成長する場所にしたいなと思って、スタッフや地域の人たちと運営しています。

棚村:この場所は元々どんな場所だったのですか?
小森:この場所は最初、集落の子どもからお年寄りが集まって潟上集落の未来を考える『潟上未来会議』の話し合いがきっかけで生まれた「遊び場」でした。潟上集落の方が手作りの遊具を作ったりして。元々は『潟上談義所』という名前で学生が寝泊まりするなどの利用があったそうですよ。

棚村:地域の方からすると、こんなに綺麗な場所に生まれ変わるなんて思ってもなかったかもしれませんね。
小森:昨年(2022年)の夏頃までは本当にボロボロの空き家でした! 空き家をどうにかしたいよね、という声は遊び場を作った当初からあったのですが、お金も無いし、どうしようかと。そんな時に日本財団の『子ども第三の居場所事業』というものがあると知りました。

棚村:財団法人に出向の伏線がここで…!
小森:この事業では「常設モデル」と「コミュニティモデル」の2つがあり、常設モデルはどちらかと言うと家庭状況が原因で生活に難のある子どもたちをサポートする都会型。立ち上げメンバーと色々考えた結果、りぜむは年齢や生活状況に関わらず誰でもその "居場所" に訪れることのできるコミュニティモデルに申し込みました。実績が無かったのでダメ元の応募! 審査に通るか心配だったのですが、見事申請が通ったとの連絡が来た時は嬉しかったですね。

棚村:協力隊定例会議の中での進捗報告時にも感じていたことなのですが、潟上集落の、教育的活動に参加される方の熱量は凄いものがありますよね。
小森:他の地域の方にも言われることがありますね。りぜむが開く前に行っていた毎週末のミーティングでは毎回10人前後の方々が集まっていました。自分の喜びとして活動する人が多い印象!

棚村:地域の方々が主体的に活動されているのも見て取れます。
小森:協力隊がいないと運営できないような仕組みになっていないことも素晴らしいことだと思います。80代の板垣さんがリーダーということも大きいかも。皆でやっていくからこそ、誰かがいなくなってしまっても続けていける。協力隊を受け入れる団体のあるべき姿だと思います。



協力隊を募集した代表者に話を聞いてみた!

「鬼太鼓は大人の部活動?」
板垣さんと地元のお祭りで一杯!

今回は小森さんの世話人である板垣 徹(いたがき とおる)さんにお話しをお聞きしました。板垣さんは「潟上水辺の会」代表世話人や、「朱鷺の水辺づくり協議会」の会長も務められています。

棚村:潟上集落で協力隊を募集しようと思ったきっかけを教えてください。
板垣:天王川の自然再生の取組の中で事務局を担っている県地域振興局の担当課長から、「潟上で地域おこし協力隊を要請したらどうか」と提案されたのがきっかけです。それまで地域おこし協力隊は山奥などの生活困難地域に限定されていると思い込んでいたので、潟上のような「普通の地域」でも手を挙げられるとわかったことが協力隊との最初の出会いでした。

棚村:実際に協力隊を受け入れてみて良かったことはありますか?
板垣:なんと言っても一番の効果は、「地域に新しい風を入れることができた」ことです。それぞれの個性があって、人によって活動の中心が異なってくるのですが、いずれにしても人間関係が固定的な農村地域にとって、「外来者」が一緒に活動することは、それ自身が刺激的な出来事です。

また、一緒に活動してくれる協力隊員がいることは、地域で活動するものにとっては大変ありがたいことです。ちょっと思いついて何かをやろうとしたときに、すぐに一緒に動いてもらえるのは、活動のフットワークを軽くするうえで効果的でした。

棚村:反対に、困っていることはありますか?
板垣:一番困っているのは、住居です。空き家がたくさんあるにも関わらず、すぐ住めるような家はなかなか貸してもらえず、貸してもいいという家はかなり手を入れないと住めない、という状態です。それと、任期終了後の定着をどう図るかが問題です。地域内で次の仕事や食べていける取り組みを確保するのは難しく、隊員本人の模索に任せているのが現状です。

棚村:来年度に任期満了を迎える隊員が多いなか、どの地域も似たような問題を抱えているのだという印象を受けました。地域おこし協力隊の制度について期待していることや改善点はありますか?
板垣:協力隊制度自体は大変良い制度だと思います。もっともっと地域のいろいろな取り組みに活用していけると良いと思いますね。それが地域の活力を育むものと思います。改善点としては、任期終了後の定着のために国や受け入れ自治体が隊員の相談を受けながら適切な仕事探しや起業などの援助をしているのだとは思いますが、もう少しそこに力を入れてもらいたいです。地域にはそのような援助をする力がないのも現実です。



朱鷺が繋げてくれた、地域とのかかわり

棚村:小森さんは入隊当初、草刈りを一生懸命していた印象です。
小森:そうですね(笑) 入隊した2021年4月頃はまだコロナ渦の最中だったので外仕事がメインでした。電動草刈り機などは慣れていなかったので最初の頃は、作業後半日動けないことも…。

棚村:私も1回参加させてもらった生椿(はえつばき)での草刈りは大変でした…。
小森:朱鷺繋がりで手伝うことになったのですが、生椿って誰かが協力しないと無くなってしまう場所だけれど、佐渡にとっては大事な地域だと思うんです。最後まで生椿で暮らしていた故・高野高治さんの息子さんである高野毅さんもご高齢で最近体調を崩されていて。そういう意味では本当に協力隊が必要な場所ではと思いますね。

棚村:他にはどんな業務をされていたのでしょうか?
小森:朱鷺交流会館の近くで佐渡のフリースクールの卒業生の子たちと自然栽培米で米を育てたり、『潟上水辺の会』での小学生などへのビオトープづくり体験の受け入れや生き物調査などをしていました。それと並行してりぜむの元になった『潟上未来会議』の活動を進めていました。

棚村:現在までに苦労したことや大変だったことはありますか?
小森:仕事面で言えば、草刈り疲れ(笑)
暮らし面で言うと、やっぱり天気ですね。移住して1年目の11月くらいの嵐が続いた時には、この陰鬱な感じが続くのかな?と不安になったりしました。あとはしょうがないですけど、船が出ない時は困りますよね。

生椿での朱鷺の放鳥もお手伝い

棚村:「潟上ときどき新聞」「りぜむ新聞」などの新聞の発行にも精力的な小森さんですが、大事にしているポイントはありますか?
小森:地域の方に向けた新聞なので、文字を大きくして、写真も多くして、ご高齢の方にも読みやすいような工夫をしています。以前「蒸し器」の寄付を新聞で募った後、ある雪の朝、玄関の扉を開けると目の前に蒸し器が置いてあったことがあったんです。笠地蔵さまかと思いました(笑)。将棋盤も持ってきてくれた方もいましたね。地域の方に読んでるよと言われた時は嬉しかったですし、見守ってくださっている感じがします。
棚村:どんな活動でも、まずは知ってもらうことが大事ですよね。



コーチングから、人の支援を

棚村:りぜむの立ち上げメンバーとして尽力された小森さんですが、今後チャレンジしたいことはありますか?
小森:協力隊中の様々な活動を経て自分の中に、"本当にやりたいと感じていることに気が付いてもらい、その活動を応援したい" という気持ちがあると気が付きました。今後は『コーチング』の資格を取り、佐渡の自然とのかけあわせで何かできないかと考えています。

棚村:小森さんにぴったりな気がします! 引き続きりぜむのメンバーとして活動されると思いますが、りぜむはどんな存在であって欲しいと考えていますか?
小森:私自身学校が嫌いな子どもだったので、家と学校以外のサードプレイスとして、安心できて、ここに来ればいろんなことに挑戦できたり、いろんな人に出会えるというような居場所になってほしいです。佐渡に居ても子どもたちに「いろんな生き方があるよ!」「いろんな大人がいるよ!」「いろんな職業があるんだよ!」ということを知って欲しいですね。

棚村:人との出会いが子どもたちの発想力や好奇心を育てているのだと、りぜむにいる子どもたちから感じました!
小森:最近では子どもたちが知恵を寄せて、お金の稼ぎ方についてなんかも考えていますね。大人はそのサポートをしています。今は子どもの利用が多いのですが、地域の大人や高齢者の方にも使ってほしいと考えています。

棚村:シェアキッチンもありますし、色々な使い方が提案できそうですね!小森さんの作る特製インドカレーも食べられたりしますか…?
小森:シェアキッチンでは既に中学1年生と高校1年生が『Cafe La Flat』としてカフェを切り盛りするなどの利用がありました。私のカレーは、りぜむを知ってもらう手段としてたまに提供していきたいと考えています。

棚村:最後に、地域の一番好きなスポットを教えてください!
小森:散歩道としてはもちろん、サップをしたり、冬季には牡蠣剥きも
体験できる『加茂湖沿い』が、住んでみてから好きになったスポットです!




りぜむをはじめ、これからの活動も応援しています!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?