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助けてくれたのは、ブロンテ姉妹。

 LineもTwitterもFacebookも、e-mailすらなかった、わたしの中学生時代。
 しかしながらわたしは、学校に馴染めなかった。いじめを受けて孤立していたからだ。

 古き良き、と枕詞のつくことの多い昭和時代をわたしも勝手なセンチメンタルに浸りながら回想することもあるけど、学校生活に関して言えば全然楽しいところではなかった。
 みんなが同じでなければならなかった。あれは一体どうしてだったんだろう。一億総中流社会の気運だったんだろうか。名前には「子」が付き、お正月は神社に初詣、お盆にはお寺さんが来る。「りぼん」を回し読みし、光GENJIに黄色い声をあげ、流行りのドラマを欠かさず見る。髪の毛はおかっぱストレート、通学用の自転車もみんな同じだった、今思うと信じられない。…方や名前に「子」がつかず当時としてはキラキラネーム、家はクリスチャン、荒ぶる天然パーマのショートヘア、ついでに自転車は白いけどみんなとは全然違うモデルだった。…そこらへんは口実なんだろう。テレビ禁の親の方針によりドラマ・アニメ・流行りの歌が一切わからないわたしをみんなは持て余したんだと思う。

 中学生女子は群れる。群れることで未成長の自分を安定化させるのかもしれない。トイレも掃除も群れて行動する。尿意がなくったってトイレに行くのだ。
 今思えばばかばかしいが、群れからはじかれると教室に居場所がなくて困った。一人でいても違和感ない場所、それはトイレしかない。群れて訪れていた場所に、今度は一人で入った。個室に閉じこもった。今のような綺麗な洋式便所ではない、じめじめとした和式の個室なので居心地は最悪だ。しかも、戸の向こうからはあけすけな「またこもってるよ」「他に居場所ないもんな」大声が聞こえてきて、やっぱりいたたまれなかった。

 こんな感じなので、学校に行くのが本当に憂鬱だった。しかも学校は遠く、自転車で行きが20分、帰りは1時間近くかかる。…我が家は小高い山の上にあったので、下校の道のりの半分は30分かけて自転車を押して登る登山。行くのも嫌だが帰るのもしんどいという、とんでもない負荷がかかっていた。
 母に相談をしたかどうかは覚えていない。母は元来明るい性格の人気者で、いじめられた経験はほとんどなかったようだ。うじうじ悩むのも好まないため、悩み事や辛いことの相談には全く向かないタイプの人だ。それでも浮かない顔のわたしに何か気づくものがあったようで、「これ学校で読んだらどう?」と差し出してくれたのが

「ジェーン・エア」

小さいくせに、ずっしり分厚い本だった。上下巻2冊に分かれている。それまでわたしが読んでいた文庫本は「青い鳥文庫」なので「新潮文庫」はとても小さく、大人のための本と思えた。そして挿絵が一切ない。小さい文字がギュッと詰め込まれている。なんたるボリューム。…怯んだのは一瞬で、わたしは手を伸ばして母から本を受け取った。

「カバーは裏返すといいんじゃない?」
そんな知恵をくれた母はやっぱりわたしが置かれた状況を把握していたんだろう。学校での意に添わぬ干渉に辟易していたわたしは、ほっと安心して指示に従った。

 主人公、孤児のジェーン・エアが養母宅、孤児院で苦労をして大きくなり、教育を受けて、お金持ちの家のお嬢さまの、家庭教師になる。

 母が何を考えてこれを選んだのかは聞かなかったが、「逆境のもとで苦労して幸せを掴んだ女性の物語」と思ったのかもしれない。(いいえ、ジェーンの苦労は度を越してますよ…わたしは生命の危機を感じたことはなかったもの…そしてジェーンはとんでもないロマンスを経験してますが、わたしがそれをなぞっても良かったんですか母よ)

 カバンにいつも「ジェーン・エア」を入れて学校に通った。休み時間になると、もうトイレには行かず、自席でさっと本を出して読みふけった。時々通りすがりの同級生に「何読んどん」「…うわ、厚い!」「字ぃ、ちっさ!」などと言われたと思うが、曖昧に笑ってやりすごした。字を追うのに夢中だったから。なにしろジェーンの人生たるや、とんでもない山やら谷やらアクシデントやらロマンスやら浮き沈みやらで大忙し。あんなに持て余していた業間休み(当地では2時間目と3時間目の間に長めの休み時間がありそう呼ばれていた)や昼休みが短くて惜しいほどだった。
 わたしは本を読みだすと病的に没頭するタイプで、小学生の頃は休み時間から読み始めた本に没入しすぎて次の授業丸々一本棒に振ったことのある前科持ちだ。このときも多分周りで色々陰口を聞かれていたはずだけど、全然覚えがない。完璧に物語に入り込み、ジェーンのそばで養母の仕打ちに耐え、孤児院にひもじく暮らし、心を許せる友達の手を握り、新しい暮らしに胸を弾ませた。これから高校へ進めばわたしもジェーンのように自由が手にはいるだろうか、わたしは将来何者になるんだろうか。今は不自由に暮らしているけど、これからはきっと楽しい時が来る。今とは違う苦労を与えられるかもしれないけど、きっと乗り越えられる。

 ぽつんと一人で過ごす割に、わたしの表情は明るかったものと思われる。クラスの女子総出でわたしを無視していたはずなのに、ポツリポツリと話しかけられるようになり、そのうちにかつての「仲間たち」から正式に謝罪を受けた。

 その後も”友人”関係でギクシャクや要らんストレスを被ることがなかったわけではないが、不条理ないじめ・無視を受けることはなくなった。母に、ジェーン・エアに、そして作者のシャーロット・ブロンテに感謝している。

 ちなみにシャーロット・ブロンテ、イギリス北部の寒村の牧師の娘という生まれ育ちで、ほとんど郷里を離れたことはなかったそうだ。いわば箱入りのお嬢さんがよくもこんな波乱万丈の生涯を、そしてロチェスター氏やその夫人のようなトンデモキャラクターを想像できたものだと心から恐れ入る。 

 ちなみに、シャーロットの妹のエミリー・ブロンテの著した「嵐が丘」になるとさらにすごい。親なし素性不明のジプシーの子ヒースクリフが幼馴染のキャシーへの恋慕を胸に、養父の恩を裏切り、義兄への復讐、育ちの家を没落へ突き落とし、恋敵の抹殺、あげくに育ちの家も恋敵の屋敷も乗っ取って村の名士となる…と憎しみ復讐の鬼化する物語なんですよどうしてこんな物語作り出せるの。モデルもいないのに。信じられん信じられんと震えながら夢中で読んだです、「ジェーン・エア」の後に。
 恐ろしい人格ながらヒースクリフの風体、物腰、時折見える知性のようなものに変な魅力があるし、その恋人キャシーも、娘キャサリンも透き通るような美しさと危うい揺らぎ、そして火花のような熱情があって目を離せない。山と谷がありすぎる一族の物語を淡々と語る、ナレーター役の家政婦、ネリー・ディーンさんの素朴な人柄や公平な視点は通奏低音のように作品を支える。そして、イギリスのあの島のどの辺りなのかは知らないけれど、一面ヒース(見たことないのでイメージのみ。葉っぱは細かく、柔らかい。紫の小さな花が咲くと思う)で覆われた広い平原や吹きすさぶ風、冬には深く積もった雪、平原の窪地に巣を作る野鳥の描写はわたしの暮らしに見られないものなので、風景をイメージする作業が楽しい、とても。
 嵐が丘もジェーン・エアも今までに複数回映画化されているので、見ればいつでも答え合わせができるのだろうけど、わたしはそれをしたくないと思う。中学生のあの頃作り上げてきたイメージを、この先もずっと大切にしたい。

 思春期女子が心のよすがにした景色にしては、若干寂しい景色の気がしないでもないけど、ふかふかのヒースの上に腰を下ろし、強い風に頬を撫でられながら、すごい速さで上を飛びすぎる雲をひとり、眺めていたあの頃のわたしを今でも愛しく、よく頑張ったねと思う。

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