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父との摩擦を乗り越えた方法

人は感情の生き物である。

これは、マーケティングや形而上学などを学んでいると、何回も耳にする言葉だと思います。確かにその通りでして、コミュニティ内における人間関係のこじれや軋轢などというは、100%人間の感情に起因しています。

例えば、「相手が言ってる理屈がわからない」という衝突があったとします。一見これは、1つのロジックに対する捉え方の違いによって生まれた意見のように見えます。ですが、よくよく掘り起こしてみると『自分の理論を受け入れてもらえないから腹が立つ』という感情的な意見だったということもよくある話なんですね。

他にもそうですね、、、

父親との関係もそうかもしれません。

父と息子の関係だったらあるあるの話かもしれませんが、昔のぼくは父親が大嫌いでした。もうできるだけ話がしたくないというレベルで、距離を置いてたんですね。

というのも、いつも母親を怒鳴り散らしていたからです。

ぼくの家系は事業をしていまして、父親がプレイングマネージャー、母親が事務関係の仕事をしていました。普段は温厚で口調もおだやかなのですが、ぼくの父親は仕事でうまくいかないことがあると、母親やスタッフになりふり構わず怒鳴り散らしてたんですね。

それこそ広島弁丸出しで近所に響き渡るくらいの大声で怒鳴っていました。

ぼくは、正直いうとそれが大嫌いだったんです。

父の怒鳴りエピソードは他にもあります。ぼくが小学生の低学年くらいだった頃、父親に連れられてよくプロ野球の試合を観に行ってたんですね。内容はもちろんカープ戦。ぼくはその試合をなんとなーく眺めながら食べるお菓子が大好きでした。

ですが、そこでも父の怒鳴りが発動します。

チャンスの場面を逃したり、ピンチを乗り切ることができなかったら、平気で選手に向かって「てめぇ、なんのためにでてきとんならぁ!!!ひっこめぇ!!!」とブチ切れるんですよ。

しかもバックヤード裏から、完全に選手に聞こえる形で言いまくるんです。(よくよく見渡すと、それは父だけじゃなくて、カープ側の観客のほとんどがそんな感じでした。当時の弱小カープ時代は、これがスタンダードでした。)

こういう姿を見ていると、ぼくはなんか相手が可哀想になってきて、しまいにはだんだんと非のない人を怒鳴りちらす父親のことを敬遠するようになったんです。

で、その感情がいつの間にか憎悪感に変わってしまってたんですね。

ですが、高専に入って数年のことです。さすがにこのまま父親との会話がぎこちないままだとまずいと思い始め、何か打ち解けるいい方法はないかと考えるようになりました。

当時のぼくは広島にある高専で寮生活をしていたのですが、ある日友達の部屋で流れてたラジオを聞いてた時です。

「男としては同意できないけど、父親としては気持ちはわかるなぁ〜」

という言葉が、ふと耳に入ってきました。

友達との会話に集中してたんで、その言葉の前後でどんなトークが繰り広げられてたのかは覚えていません。ですがぼくは「なるほど、そういう考えもあるな!」と、はっきりとそう思ったんですね。

そうなんですよ。

相手の言ってることや感情に同意できないことってよくあると思います。もちろんその通りで、ムリに同意する必要なんてこれっぽっちもありません。ですが、どれだけ食い違う意見であっても、理解はしてあげる必要はあるんですね。

言い換えると、人の意見というのは『理解してあげる必要はあるけど、同意する必要はない』ということです。

こうすることで、つい衝突してしまいがちな場面でも、いったん相手の意見を受け止めることができます。これに気付いてからぼくは、父親の怒鳴りは単なるストレス発散や威嚇じゃなくて、とある法則性があることがわかったんです。

父親は、『自分の役目が果たせてないのに、ヘラヘラしてる人に対してだけ怒っていた』んですね。その相手は家族だろうがスタッフだろうが野球選手だろうが関係ありません。ただそれだけだったというのが、わかったんです。

とはいえ、怒鳴って相手をしつけするという行為は、そう褒められたものじゃありません。いま2人の息子の父親となったぼくの視点では、「父親の態度としては反省すべき点が多いと思うけど、男として自分を貫くという視点では尊敬しなければならない」と、素直に思えます。

最近だとマインドフルネスなどの関係で、事実と感情を分けるという概念が有名ですが、それに近いものかもしれませんね。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。