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トラウマ、後悔の重要さ

人は過去にやってきた一つ一つのことを考えると、迷ったり悩んだりしてしまう。

昨日のメルマガで、このような話をさせていただきました。

ぼくでいうと、高専を受験したり、パチスロに夢中になったり毎週コンパに精をだしたり、カメラにハマったりというものですね。あ、あと中学時代に柔道。高専時代にラグビーをひたすら頑張ってたというのもあります。

これらは1つ1つで見てみると、てんでバラバラですよね。で、人によっては過去を振り返った時だとか何をやってもうまくいかない時に、歩んでる道がバラバラであることを嘆いて、とてつもない虚無感や後悔の念に追いやられちゃうんです。

あまり精神面が未熟な人だったら自己卑下なんかもしちゃったりして、ひどい時には「どうせ自分なんて何をやってもダメなんだ。存在意義なんてないんだ。」などと学習性無力感にせまられたりもします。

くどいようですが、このように1つ1つの事象に個別で振り返ってしまうので、人は迷ったり悩んだり苦しんだりするということなんですね。

ですが、このような苦悩や迷いからスッパリ解放されたいのなら、今すぐやるべき考え方といのがあります。

それが、『出来事の抽象度をあげる』というものです。

つまり、三日坊主で終わったものや失敗で終わったもの、または悪の習慣として身に染み付いてしまってるものや拭えないトラウマとなってるものなどを見る、、。

一方で、他にもしっかりとうまくいってるものや、やってて心が軽くなったもの、周りから頼りにされたものだとか印象に残ってる出来事なども全て振り返って、、、

『これらの経験を通じて、自分がやりたかったこと、実現したかったことはなんだったんだろう?』という目線で見るということです。

よく、トラウマを取り除こうだとか、後悔しない生き方をしようなんて言葉を耳にします。ですが、ぼく個人の意見では、トラウマも後悔もしっかり抱える経験はしておくべきだと思うんですね。

もちろん、抱えすぎるのはNGです。ですが、1度や2度くらいは、トラウマを持ったり激しい後悔をするべきだと思うんです。むしろ、そう感じるくらい人生に真正面からぶつかるべきだと考えます。

なんでかっていうと、そもそもトラウマだとか後悔というのは、自分がやるべきお役目だとか使命の裏返しだからです。

つまり、大雑把な言い方をすると、嫌な経験をしたからこそ本当にやりたいこと、成し遂げたいことが見えてくるでしょ?ということなんです。

やり遂げたいこと、成し遂げたいことを掴むことができた人間は、かなり強いです。

なぜなら、過去の出来事もすべて「あ、これに気付くためにあの出来事があったんだ」とか「これが出来るようになるための通過儀礼だったんだ」というように見えてくるからです。

そして、この先の時代がどのような形になろうとも、自分がやるべきことがみえています。

なので、「あれが儲かる」だとか「これをするのはもう古い」といった目先の事象にふりまわされることなく、しっかりと地に足をつけて生きることができるようになります。

つきなみですけど、すべての行いにはちゃんと意味があります。共通点があるんです。なぜなら、全て自分の意思や周りの環境から決められたことなんで。

その共通点を見つけれた時、人は強くなるのです。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。