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【心の闇期】を終えてから

大学を卒業した2018年から1年間、精神的に病んでしまい引きこもっていた時期があります。

当時のことを、今では隠さずに話せていますが、自分から大々的に話すことは控えるようにしています。メンタルの病気について、社会全体で理解が広がってきたとは思いますが、今でも偏見を持つ人はいるから、です。

寛解(完治ではない)して、社会で生きている私が出来ることは、少しでもメンタルの病について知ってもらうこと、今苦しんでいる人の支えになること、だと思っています。

人生のなかに、しんどくて休む時期があったっていいんじゃないか。いつか前を向くためにこそ休む。閉じこもる。周りも受け入れる。そんな世の中になってほしいのです。

この記事では、社会復帰に向けて動き始めた3年前の4月に、Facebookに投稿した文章を公開します。

私の仲間うちでは反響があり、300ほどの「いいね」がありました。読んだ方から「実は私も」「私の家族が」と相談されたこともあります。

2000字以上ありますし、個人的な内容で恐れ入りますが、よかったら最後までお付き合いください。

読んだうえで何か思ったことなどあれば、私のツイッターからDMください。

あと、相談機関も頼ってくださいね。




【心の闇期から卒業しました】

先日、友達の紹介で、静岡県は稲取に足を運びました。

伊豆半島の東海岸にある人口5000人ほどの小さな街で、どこにいても潮風を肌で感じられる、自然豊かな場所です。

岬の先端の防波堤に腰をおろし、果てしなく広がる海を眺めていると、大昔にこれを渡ろうとした先人がいたことに、想いを馳せてしまいました。

そんな無謀な挑戦に身を挺してきた人達によって発展を遂げてきた、その先にある現代の安全地帯で、頭を抱えて生きている自分の小ささに、あくびが出るくらい呆れてしまったのでした。

というのも私はここ一年以上、心の病気を患っていました。

学部卒業間際、就職活動でいくつかご縁があった企業があったものの、「もっと興味のある政治学を極めたい」「政治から世の中を良くしたい」と悩んだ末に、(何より単位が足りず)半年だけ卒業を延ばしました。

しかし、大学院進学(と夢見ていた留学)に挫折。「ならば、すぐに政治の道に携わろう」と思い、議員候補者の選挙スタッフの一員となりました。

しかし、「一寸先は闇」な政治の世界に入ろうとすることを周囲から猛反対され、自分を見失ってしまいました。何より、学生時代に知識でこしらえた理想世界と、目の前の現実社会のギャップに葛藤し、思い描いたように事が進みませんでした。

だんだん自分の至らなさばかりが目につき、頭の中が後悔やら自責の念やらに支配され、何も出来なくなってしまいました。

生来、衝動的で注意散漫なところが、マイナス感情のせいで輪をかけて大きくなり、簡単なPC作業はもちろんのこと、活字が頭に何も入らなくなり、毎日読んでいた新聞や読書習慣から遠ざかってしまいました。

次第に人と会うことが億劫になり、好きなことへの興味関心も何もかもを失い、引きこもってしまいました。

自分が生きていることに罪悪感を抱きはじめて、ここでは書けないような最悪な事態も頭に浮かんでは消え、危うく実行に移しかけたこともあります。

幸い、意を決し精神科に通院し、岡山の実家で療病させてもらったおかげで、何とかマイナスからゼロの状態には戻れました。

それでも「何か行動を起こさねば」と思うたびに、涙が止まらなくなってパニック状態になる日々が続きました。

転機になったのは、心理士の資格を持つ大学の先輩やメンタルヘルスに携わる友人たちに、自分の状態を打ち明けたことでした。

素の弱い自分を開示するのには時間と勇気を要しましたが、久々に友人たちに連絡をとると、思いがけず色んな人が受け容れてくれました。

時間をかけて話を聞いてくれたのはもちろんのこと、薬だけでは治らない認知の歪みや、メンタル状態に大きく影響する身体の凝りの矯正に、力を貸してくれました。

少しずつ少しずつ、自分自身への信頼感を取り戻し、自分の内側の世界から外の世界へ戻る勇気が湧いてきて、一人で遠出もできるようになりました。

東京へ一時的に戻った際に寝床を提供してくれたり、ささやかな「復活祝い」宴会を開いてくれたりした友人たちに、感謝してもしきれません。

何より、冒頭の伊豆稲取でリラックスすることを勧めてくれたのも友達です。

久しぶりに訪れたことのない場所に一人で旅をして、稲取でコワーキングスペースやゲストハウスを経営している方や、他の旅人の皆さんとの交流を味わいました。

一年前のふさぎ込んでいた自分だったら、出来なかったはずです。

皆の優しさに触れて、今までは「世の中を変えたい」という思いが先行して、手が届かない高いところにあるパワーばかりを求めて、手が届く範囲の大事な仲間を疎かにしていたことに、気が付いたのでした。

稲取の海を眺めて気が付いたことでもありますが、一人の人間は小さな存在で、出来ることなんて限界があって当たり前なのに、今までの自分は頭の中の世界ばかりが肥大化し、ある種の万能感さえ抱いていました。

この世界には、自分では思うようにコントロールできないものもたくさんあり、それは人の心だって、何より自分の心だってそうなのかもしれません。

これから先も心の波とは死ぬまで付き合っていくことになるでしょうし、さらに酷い事態と対峙して、再び精神的に酷く病んでしまうことだってあるかもしれません。

それでも、自分でコントロールできない波があることを分かったうえで、それを受け容れて(自分はしたことないけど)サーフィンのように波に乗って「死ぬまで生ききる」覚悟を感じ取れるようになった気がします。

その感覚をつかみ取れたことをもって、闇期からの卒業と(一人で勝手に)宣言しました。

これから先、どんな道に進むかまだ分かりません。

それでも私に惜しみなく最大限の優しさを(時には厳しく)贈ってくれた人たちの愛情が消えないような世の中であってほしいと思うし、そんな思いがもっと社会の隅々まで循環する手助けを出来たらと思っています。

皆の善意に適度に甘えつつ、自分の足で生きていこうと思いますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

ちなみに、ここしばらく東京に滞在予定なので、私に会ってくださると嬉しいです。

色々あって心を病んでいる方、私でよければ話を聞かせてください。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

てへ。

追記:私が病んでいる間に、大学時代の友人が若くしてあの世に旅立ってしまいました。交通事故でした。

彼とは親密な時期と険悪な時期の両方がありましたが、いつも憧憬の念を抱いていたことは間違いないです。いなくなってなおさら気が付きました。

彼の体はこの世から消えてしまいましたが、彼からもらった言葉はいつも私のなかにあり、それが彼の輪郭をいまでも形作って傍らにいるような気がしています。

とりあえず、死ぬまで生ききろうと思います。

(2021年4月2日投稿)



伊豆半島の稲取の景色



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