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ノート2 逆張りとは

昨日初めてnoteで公開した文が一日足らずでいいねさ
れてしまった。普段他人の自己顕示欲を嘲笑う私も今だけだけはその気持ちがとてもわかる。しかし自己顕示欲を露骨に出してしまっている作品などは気持ちが悪い。明日からは通常通りの自己顕示欲モンスターのアンチをしようと思う。私が今書いているのは自分の本音を吐露できる場所を探した故のものであり自己顕示欲を満たしたいのは二の次である。
 今日は「逆張りについて」考えてみた。昨日初めての投稿を上げる時ハッシュタグを設定するよう促されたのでとりあえず自分の好きな三島由紀夫などを入れた。そしてどうすれば見てくれる人が増えるか考えたら男子大学生日記というものを思いついた。今の学生は何を考えているのか、また同じ大学生が自分の他の学生が考えていることを知りたいと思うだろうという憶測の元「男子大学生日記」と打ったところサジェストのような感じで男子大学生日記が表示された。幼い頃から逆張りと20年間過ごしてきた私にとってこのサジェストは少し不快であった。つまりもう大多数の人間が私が思いつく前に思いついてしまっていてそこには微塵もオリジナリティは存在しない、下品なクラブの人が鮨詰め状態で息苦しくてたまらない気分。逆張り人間というのはまずめんどくさい。自己中心的で「普通」をとことん嫌う。もし身の回りに少し鼻につくような人間がいるとすればそれは逆張り人間であるに違いない。私たちは非常に生きづらい生き物なのでもし見つけたら大事に見守ってあげてください。
 まあ今はより多くの人に見てもらう方が重要であるので渋々設定しようとした。しかしそれだけではなかった。男子大学生日記というサジェストに20000ほどの数字が書いてある。つまりこのハッシュタグを使った作品数を表しているのだろう。悶絶ものであります。諄いようだが私は逆張りオタク。他人と同じことをひどく嫌い、とにかく他の人がまだしていない、持っていないものを好むのです。大学生日記っという20000作以上の作品に付けられたハッシュタグはとても使えたもんじゃない。こんな屈辱はかなり久しと思う。
 しかし私は他人より少し捻くれていて、逆張り精神が育ち過ぎているだけで他の人も人間に生まれたからには少なからず逆張り精神が育まれていると思う。小学生が筆箱などで周りより個性を出そうとしたのはみんな持っている思い出ではないか。私はこの逆張りを続けているだけであってあまり逆張りをしない人は心の底の逆張り精神を閉まっているのだ。みんな逆張り人間である。
 とは言っても大きな大人になってまで逆張りをしている人はうざい。人の嫌われるタイプの逆張りは話をまず否定から入る。そんな人間と話していても面白いわけがない。はっきり言って聞いている側は不快であろう。人に気に入られたい、友達を増やしたい人はまず下手な逆張りを止めるべきである。しかしただひたすら同調していてもそれはそれでつまらない人なのである。そこに私が逆張りをする理由がある。上手い逆張りは人間的魅力を押し上げてくれる。芸人やアーティスト、芸術家などがこの上手な逆張りを持っている人であってその境地にたどり着くにはなかなか難しいものである。私もそのような逆張りを目指しているが道はまだまだ長そうだ。


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