【開け!あらたまてばこ④】≪テーマ:我が町ヒーロー前編≫

どーも!

あけましておめでとうございます!

新年明けまして、一発目のnote更新は、、、

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和水町地域おこし協力隊OBの松下元気です!

そうなんです!

2020年12月で協力隊を退任してOBになりました!

1月から町内の企業で働かせていただくこととなり、2年3か月というちょっと短めの期間で退任させていただいました!

でも、これからもTANのメンバーとしては活動していこうと思っておりますのでよろしくお願いいたします!


さーて、これまで連載が続いている「あらたまてばこ」

前回まではこちら👇


さて、僕が選んだ今回のテーマは、、、「我が町ヒーロー」です!

「我が町ヒーロー」

それぞれの市町に世界に誇る「ヒーロー」のような存在がいるはず!

例えば最近だとNHK大河ドラマ「いだてん」で取り上げられた、和水町生まれの金栗四三さんはこの地域のヒーローといっても過言ではないはず!

※メンバーのみなさん、これで金栗さんは出せなくなりましたよ!笑


それでは早速みなさんにご紹介していただきましょう!!!

ーー長洲町

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まずはそのまま松下が長洲町のヒーローをご紹介!

いろいろ調べたんですが、まずは南関町OBの高橋さんが以前紹介していた

ぼたもちさん」と呼ばれ親しまれている

立花誾千代(たちばな ぎんちよ) 

立花宗茂(たちばな むねしげ)さんの妻で、7歳の時に女性では珍しい城主になったそう。

※立花宗茂さんは肥後国衆一揆で、和水町が誇るヒーローとも言える和仁三兄弟と田中城で豊臣軍として交戦したお方

なぜかは不明らしいですが、腹赤村(現:長洲町)で亡くなったため長洲町で祀られています。


・金魚にまつわるヒーロー


あとはもう長洲町といえば

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ふれきんちゃん率いる金魚のみなさんですね!

(↑あらたまぬりえ・ふれきんちゃんverです。ぜひダウンロードして塗ってね!)

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そんな金魚に関する先人が広報ながす平成17年1月号で二人紹介されていました。

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・寺本末吉(てらもと すえきち)さん

安政6年(1859)、長洲町下東に生まれる。

21 歳のとき、美しく優雅な金魚の大量生産を夢見て、庭先に小さな素掘りの池をつくり養殖を始めた。

その後、稚魚へのエサにミジンコが適していることを発見し、大量生産を可能にした。

・松井貞一(まつい さだいち)さん

 明治 35 年長洲町大明神に生まれる。父の勝太郎は、寺本末吉とともに本格的な金魚養殖を始めた長洲金魚の草分け的存在だった。

貞一は、父を継ぎ、オランダシシガシラの品種改良や県外などへ販路を拡張し長洲の金魚を広めた先駆者のひとりだった。

・ふれ売りさん

ふれきんちゃんの「ふれ」の由来でもある「ふれ売りさん」

ふれ売りさんたちが金魚を背負って歩きまわり金魚を販売してきたおかげで長洲金魚の名前が全国に広がっていったそうです。


僕らにとっては今や長洲町は金魚の町として当たり前のように感じてしまいますが、ここまでたどり着くためにはたくさんの「ヒーロー」たちが積み上げてきたものがあるからなんですよね!


調べたところ長洲に金魚を持ち帰ったある人がいて、そこからすべてが始まったそうです。

それが誰かまではわかりませんでしたが、その原点となる人も気になりますね。。。

みなさんも気になったヒーローがいたら調べてみてくださーい!

長くなってしまいました!


さて、次は南関町の小太郎君です!

ーー南関町

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南関町の我が町ヒーローは、


・「山鹿 良之(やましか よしゆき)」

さんです。

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こんにちは!

南関町地域おこし協力隊のコタロウです!

南関町のヒーローといえば、山鹿良之(明治34年 3月20日~平成8年 6月24日)さんではないでしょうか!

画像に書いてあるように職業として肥後の琵琶(びわ)弾きをされた方です。
南関町小原出身の山鹿さんは4歳で左目を失明。22歳で天草の座頭(ざとう)・江崎初太郎(えざきはつたろう)に手ほどきを受け、大牟田、柳川、筑後の一円を門付けしながら琵琶を習得しました。

竈(かまど)払いや荒神(荒神)払いといった神事をはじめ、多数の物語を琵琶で語られました。

肥後琵琶師の多くが戦争を機に職を変えた中で、琵琶だけを本業とした肥後の琵琶弾きどんなのです。

何を隠そう私が南関町で地域おこし協力隊になりました理由が、まさにこのヒーローの存在なんです!

ご存知の方もおられましょうが、実は私、肥後琵琶を復興しようと南関町にやってきたのです!
そして今存在する肥後琵琶奏者はこの山鹿さんの流れを汲んだ3人だけが活動しております。
つまり全国にたった3人しかいない肥後琵琶奏者の源流なのであります!

盲目でありながら200曲以上の物語を語り、全て語るには数週間かかるという琵琶語りをしてしまう頭脳と直向さは、まさにヒーローでございます。

いかがでしょう?盲目の琵琶奏者のヒーローって格好良くありませんか?

次は荒尾市の上田さんです!

(執筆:南関町地域おこし協力隊 岩下小太郎)


ーー荒尾市

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荒尾市のヒーローは、OG上田がご紹介いたしまーす♩

荒尾市にもヒーローはいっぱいおりますよー!昔も今もたくさん!

歴史上の人物でいうなら、
○宮崎兄弟
中国革命の父「孫文」を支えた日本人

○月田 孟斎(つきたもうさい)
江戸時代後期の儒者

○ 海達公子(かいたつきみこ)
日本の詩人

などなどいらっしゃいますが…
今回は、、、

・「俊芿律師(しゅんじょうりっし)」

をご紹介します!

京都市東山、月輪山(つきのわさん)の麓にある泉涌寺。このお寺は、天智天皇以降の歴代天皇・皇族の陵墓があり、皇室の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれ親しまれているそうです。
この御寺に関わりがある人物こそ、今回のヒーロー「俊芿律師」です!

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引用:Wikipedia

時は鎌倉時代、荒尾市小岱山に正法寺を創立した、俊芿律師は、中国(宋)で悟りを極めた後帰国し、正法寺において最初に朱子学を講じたといわれています。
その後、京都に招かれた俊芿律師が泉涌寺を創建したのです。
縁により正法寺の創立810周年記念(平成16年2月)の際には、荒尾市の市木である「小岱松」が記念樹として泉涌寺に植樹されました。

観光地としても人気の京都ですが、まさか荒尾市と関わりがある場所があるなんて!
知らなかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私も協力隊になってすぐの頃、先輩隊員だったOBの方から学びました。

コロナが落ち着いたら是非とも訪れたいと思います^^

あ、荒尾市地域おこし協力隊のFacebook、荒尾についての情報の宝庫です!
おすすめです⭐︎

ちなみに…
「小岱山」という名を付けたのも俊芿律師
だそうです!あまり長くなると皆さんが眠くなってしまうので…詳しくはこちらから⭐︎

小岱山…
私の母校荒尾第四中学校では、年に一度「強歩大会」があります。
強歩大会とは名ばかりでして、学校→山のてっぺん→学校というコースをほぼほぼ全部走る鬼の「どこが強歩なの!?大会」です…

走れていた頃の自分を懐かしんで〜
今の姿を哀れんで〜…
ではではここらで失礼いたしまーす!


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ーーあとがき

ということで今回は長洲町、南関町、荒尾市の「我が町ヒーロー」を紹介しました!

山鹿さんは小太郎君がいつも熱く語ってくれるので知っていましたが、俊芿律師さんはお初にお目にかかりました。。。

この方が小岱山の名付け親だとは。。。

さぁ次回は和水町、玉名市、玉東町の「我が町ヒーロー」をご紹介していただきますよ!

どんなヒーローが出てくるのか!

お楽しみにー!!!

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