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厄年に囚われすぎていたことに反省したはなし

厄年を意識したことがある人はどのぐらいいるのだろう。
わたしもこの30代最初の前厄を迎えるまで、子供の頃に父の42歳かなにかの厄年に家族でお参りに行った記憶がある、程度だ。

それにしても2019年の前厄と呼ばれる年はわたしにとって散々だったようだ。
今なら笑い話にもできるけど、そのリアルタイムにおいてはあんまり笑い飛ばせなかった。

去年の1月に遡ると、お正月に左目を怪我した。しかも車のドアを自分で開けながら避けきれずに、自らぶつけにいくスタイルで怪我した。アホすぎる。
自分の鈍臭さにとても驚いたが、痛くて痛くて大人なのにわんわん泣いた。

少しだけ残った傷跡は奥二重に吸収されてもうほとんど見えなくなった。

そして5月にはこれ。

色々ある世の中だけどそれでもワイドショーに救われたはなし

詳細は記事にしたためたとおりだけれど、この時はこれが前厄で、本厄を迎えたら何が起きるのか心底怖かった。
心労なのかわからないけど、この入院中に初めての白髪も見つけた。そのあと宝毛として大事に育てた結果、最近は毛先だけが白髪になっていた。もう抜けないでいてほしいと思うくらい、同志に感じてる。

極めつけに9月に人生初めて縫うほどの怪我をした。
と言うと大袈裟なのだけれど、駅の階段で転んだ。
その瞬間は周りに人がたくさんいて、転んだ事実が恥ずかしくて恥ずかしくて逃げるように乗り換えの電車に乗った。
電車で席につき、足元を確認したら、ヘンゼルとグレーテルかのように、道標の如く大量の血が垂れていた。
爪が割れただけと思ったので、持っていたティッシュで押さえつけて仕事に向かったものの、歩くことはできなくてタクシーに乗って職場に行った。
やっと落ち着いて傷を見たら、左足の小指の第二関節の肉がえぐれてた。血の気が引く、というのを初めて経験した。

その後は初めてのオンパレードだった。
初めての局所麻酔、初めての縫合、痛すぎて縫いたくないと、いい歳して駄々をこねたりもした。
自分よりもかなり若い爽やかな先生に諭されながら渋々縫われた。
ちなみに小指って局所麻酔の中でも上位に入るほど痛いらしい。実際痛すぎて縫われながらシクシク泣いた。

今思い返すとバラエティに富んだ2019年だった。
その間妹の結婚式でハワイに行ったり、大好きな先輩夫婦にご招待いただいて渡嘉敷行ったりと楽しい出来事も同じくらいあったのにもかかわらず、2020年を迎えるのが怖かった。
でも、私の意思なんて関係なく2020年になっていた。当たり前だけれども。

今だったらそんなに考え込んだりはしない。
厄年だから何かが起きたわけではなく、何か起きたときたまたまそういうタイミングだっただけだな、と。

悪いことがあると、何かに結びつけたり何かのせいにしたくなることは、大なり小なりあると思う。
でも、一度それに引っ張られてしまうと、もう感情がマイナスにしか触れなくなる。ひととは弱い生き物である。

厄年もそりゃ関係あるかもしれないけど、わたしと同い年のひとみんな厄年なわけだし、なにをあんなにくよくよしてたんだろう。

2019年の暗かったわたしに伝えたい、今のわたし、結構毎日楽しんでることを。
2月にはお祓いにも行ったけど、自分の一人暮らしの家には神棚がないから、妹夫婦の家の高いところにお札を預けてよろしくね!と言えるくらいには楽観的だよ、って。

ただ、2019年のあなたが望んでいた誰かと暮らすという夢はまだ叶っていません。

南無。


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