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色々ある世の中だけどそれでもワイドショーに救われたはなし

私はもともと身体がめちゃくちゃ強くも弱く良くない方だと思う。
ただ、25歳を過ぎた頃から生理が信じられないほど重くなり、吐いたり寝込んだり吐いたりを繰り返しながら、セカンドオピニオンを、と思って婦人科で有名な病院にいくつも通った。別に子供を絶対欲しいというわけでもなかったし、とにかくこの吐いたり寝込んだりする生理痛が無くなったらな、と色んな思いを託してたくさんの病院の戸を叩いた。

そんなこんなを数年繰り返しながら、なかなか快方には向かわなかった。今でこそ注目されているピルもたくさん試したけど身体には合わなかった。
結局会社員として働くのは無理になって(今思うと不調だったのは身体だけではないのかも、とも)、
気にかけてくださった先輩が、家でできる作業や仕事をくださって作業したり、身体に負担にならないと自分で思う量のアルバイトをしながら、やっと自分に合う薬と巡り会えて体調も復活して、いよいよ本格的にまた会社などで働こうかなと思っていたころ、まさかの、癌が見つかった。

思えばその予兆はあった。
ずっとなんだろうくらいに思いながら、放置していた。

2月の頭なのか、半ばなのか、もう覚えていない。
そのくらいからはっきりと自分の舌の右側にピリピリとした痺れを感じていた。
私はビタミン不足や寝不足など、そういった、何なら年齢に伴う不調かな、くらいに思った。

そんな中、堀ちえみさんの舌がんのニュースがそれはそれはワイドショーなどで絶え間なく取り上げられていた。だけど、自分がそう、とは少しも頭をよぎらなかった。

なんとなく舌がピリピリするのを感じたまま、気づけば2ヶ月以上経っていた。さすがにおかしいと思い、色々ネットで調べ始めた頃はすでにゴールデンウィークになっていたかな。
ゴールデンウィークの初日だったと思う。
舌がんに関するそれらしい記事や画像をGoogleで見つけた私は、初めて、自分の舌を持ち上げて、その裏側を確認した。
そこには、私が知っている口内炎とは明らかに違う、ブラックホールみたいな気持ちの悪い出来物がとてつもない存在感で、鎮座していた。

これは口内炎じゃないし、なんなら今ニュースで話題のそれかもしれない
と確信した。わからないけど確信があった。
祝日でもみてくれるデンタルクリニックに電話して予約をとり、落ち着かないまま時間が過ぎた。

なかなか人気のクリニックのようで、予約は夜の19:30だった。診てもらったところそこの先生から
「ほぼ99%口内炎です。ただ、堀ちえみさんの件があったので、心配であれば大学病院の紹介状をお渡しします」
と言われた。
これはもう直感としか言いようがない。
けど、私の中では口内炎ではないという確信がなんとなくあって、紹介状をもらってその日の診察を終えた。

ゴールデンウィークが終わり、口内炎の薬を塗っても塗っても良くなる兆しのないそれを日々確認しつつ、もし、という最悪の考えが外れて欲しいと、願いながら、結局1週間放置してしまった。
それでもやっぱり治ることはなくて、そこで初めて重い腰を上げて大学病院に行った、梅雨にはまだ遠い暑い5月のことだったかな。

大学病院だからなのか、最初は自分よりもずいぶんと若い、下手したら学生に見えるような先生が初見で対応してくれた。
それから、それよりも少し、もうちょっと偉いのかなという、それでも私よりは2.3歳若いだろう先生が診てくれてから、私の周りに慌ただしく色んな先生がかわるがわるきた。
先生なのか、研修中の学生なのかわからないけど、とにかく色んな人私の口の中をみる、みる、みる。

余談だけど、口の中を見られることが、裸を見られるよりも恥ずかしいことだとそこで初めて知った。

その時点でもう、
口内炎ではないし、とにかく良くないことが起きている、
とぼんやり思っていて、そこそこその時点では冷静だったと自分では思う。

いろんな先生がわたしの口の中をかわるがわる診終えたあと、担当医の先生に、
「現時点ではなんとも言えませんが、舌癌の可能性が高いので、細胞診に出させてください」
と言われた。

検査から手術、入院中から退院に至るまで、人目を憚らずに泣いたのはここだけだ。

癌かもしれない
まさか自分がそんな病気になるわけない
どれぐらいの進行なのかな
死んだりするのかな

色んな気持ちがわーっと出てきて涙を止められなかったわたしに、その先生は、
ゆっくりでいいですよ、
と泣き止むまで待ってくれて今後のことを説明してくれた。
この時点で、家族には心配かけたくないと思って、検査結果が確定してから話そうと決めた。

この、検査結果が出るまでの1週間が本当につらくて、一歩も家から出なくて、悶々と鬱々と過ごしていたのを今更ながら思い出す。日の光をきちんと浴びていたら、もう少し前向きになれたのかも、といまは思うけれど。

検査結果を聞く当日は、打って変わってそれはそれは落ち着いていた。心の準備ができていたから。
1人で少し肌寒い広い部屋で、癌だよという告知をされた。

それを受けて初めて家族に、病院に行ったこと、検査を受けたら癌だったことを伝えた。
そこからは結構あれよあれよと、MRI受けたり、超音波受けたり、急に1週間後に手術日が決まったり、執刀医の先生がすごく好きな顔だったりして、身体も心も結構忙しかった。

幸いにもステージ1でその時点では転移なしだったので、私の場合は移植なしの患部の部分切除のみで済んだ。
手術後3日くらいは舌が腫れすぎて、それを口の中に収めることもできないし、痛いのかどうかもよくわからなかったけど、妹たちから塩抜きしてる貝みたいだよと言われてめちゃくちゃ笑った。

実際のところ入院は2週間くらいで、先生方のおかげて、あんまりちゃんとご飯たべれてないのを見逃してもらいながら、退院の許可を貰ったときは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。まだひとに聞き取ってもらえるほどは話せないにもかかわらず。
お風呂に毎日入れることがすごく幸せだった。退院してからは普段と変わらない生活をしたと思う。
ただ、うまく話せなかったり、食べられる物、食べられないものがあったりして、もう、2度と前のようには戻れないというのは強く感じた。
特に、電話で話した内容。ほぼ聞き取ってもらえないのは本当に心が折れた。

だけど、大好きな妹のハワイでの結婚式になんとか参加できたのは本当に良かった。
挙式の次に楽しみだった分厚いステーキは満足に食べられなかったけどね。

今でこそ、事情を知ってる友達からは全然変わらないとか、普通に聞き取れると言ってもらえたりしてほっとしている。
でも自分ではリハビリしても、もう以前のように違和感なく話せるようになることは絶対にないのだなとは感じた。
1年経った今でも、手術前と同じように話すことはできない。少しでも話さない日が続くと舌が固まってしまって、発音が悪くなるのは日常茶飯事だ。

退院後しばらくして、私の切り取った癌細胞を診てもらった結果を聞いた。
結果的に、結構深く浸潤してしまっており、転移する可能性は低いとは言えないらしく、まだまだ油断ならない。
それでも1年間何事もなく過ごせたし、普通に過ごせる日々が以前よりもずっとずっと大切に思えるようになった。

あと、保険とか色んな医療制度に金銭面でもすごく助けられた。日本の制度、ありがとう。
みんなも健康なうちに保険に入っておいた方がいいよ。

健康診断や、ある程度の年齢になったら人間ドック行く意味ってちゃんとあると身をもって知った。

この1年間、癌患者の生存率とかそういう数字を気にしないようにしながらも、本当に怖かった。
大したことなかったかもしれないけど

という響の重さに、どうしようもなく不安になった。

今日、手術から1年が経ち、たまたまその日が検査の日だった。
特に転移もなく大丈夫、と先生にいわれて、少しほっとした。

先のことはわからないし、色々あるけど、
生きてる
それだけでわたしは救われている。


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