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阪神大震災があったあの日

こんばんは。

今日もお疲れ様です。

たむらです。

今日は僕が体験した、

阪神大震災の日の経験をお話します。

最後までお付き合い頂けると、嬉しいです。


僕は大阪生まれ大阪育ちの40歳。

1月17日は阪神大震災が起きた日。

26年たった今でも、

あの日のことは鮮明に覚えています。

僕は当時14歳、中学2年生でした。


その時はいきなり訪れました。

早朝の出来事。

いきなりの大きな揺れに驚き、目を覚ましました。

その日の前日から父が不在で、

家には母と僕の2人だけでした。

母は5時半には起きていたらしく一階のキッチンにいました。

驚いて飛び起きた僕は、

あまりの揺れに恐怖を感じました。

そして、自分の部屋に、自分の背よりも高いタンスがあり、

そのタンスが大きく揺れて倒れそうになっていたのです。

起きたばかりの僕は、

とにかくタンスが倒れてこないように、必死で抑えました。

そうやっていると、次第に揺れは止み、

一階の母から、「大丈夫〜?」と声をかけられたので、

「大丈夫やでー」と返したのを覚えています。

二階から降りていくと、

本当に驚いた表情の母がいました。

母も今まで生きてきた中で一番の揺れだと話していました。

僕自身も、こんなに揺れたら、

自分の家が壊れてしまうと感じるくらいの、

大きな揺れでした。

でも、大丈夫でよかったと思っていたら、

兵庫県で大変なことが起きているとニュースになっていました。

初めての体験で、どう言い表していいのかわからない気持ちでした。


心がざわざわする感じのまま家を出ました。

その日は、7時から部活の朝練の約束を友達としていたからです。

僕はソフトテニス部に所属していて、

朝練と言っても友達とボール打ち合ったり、

試合形式を楽しんだりする気楽な内容でした。

友達とボールを打ちながら、

「今日の朝の地震凄かったな」という話で持ちきりでした。

流石にあの大きさの揺れだと皆飛び起きたとのことでした。

1人の友達が遅れてやってきたので、

同じ話題をした時に、その友達が、

「地震って何の話?」って真顔でいったことも覚えています。

頭が良いのに凄く鈍感なのが衝撃的でした。


僕の地域はおかげさまで影響がなかったけれど、

被災した同級生が、引っ越してきたのを覚えています。

今考えると、もっと気の利いたことを、

言ってあげれたらよかったなと思います。

でも、それから一緒にテニスをしました。

今では良い思い出です。

そんな一緒にいろんな経験をした仲間と、

また再会できたら楽しいだろうな。

みんな元気にしてるかな?

阪神大震災といえば、

この思い出を毎年思い出すので、書いてみました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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