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フラットな人付き合いが必要な大人たち

大人になるというのは、どういうことなのだろうか?

年齢的に大人になることは、日本では20歳と決まっている。しかし、「20歳を迎えたから、大人になった実感はあるか?」と20歳のぼくが聞かれたとしたら、答えはNOだ。正直、成人式に出席したからと言って、当時のぼくには実感がなかった。昨日まで子どもだったぼくが、今日から大人という分類をされただけに過ぎなかった。

子どもの頃の生活といえば、ほとんどが学生生活だ。同じ学年の人たちと、同じ時間を共有し、ともに学び、成長していく。つまり、この頃は人生のなかで1番関わりがあるのが、同じ年齢の人たちだ。

味方を変えれば「同じ年齢」の人と、極端に同じ時間を共有している。今考えると不思議な体験だと思う。そんな環境で生きてきた人間が、社会に出ると急に「年齢の差」がある人たちと関わるのだから、「ギャップ」を感じるのは当然だ。

同じ世代の人といれば、価値観が近く共感することが多い。しかし、世代が変わるとなかなか難しい。そんな中に若者が放り込まれたら、そりゃ「息苦しい」に決まっている。お父さんと娘の会話が、うまく成立しないのも、これが大きいのかもしれない。

ぼくが若い頃は、そのギャップが「社会の試練」みたいに言われていた。今考えると、「世代ごとの価値観の差」でしかない。

最近の時代の流れの速さだと、この「世代ごとの価値観の差」が大きくなっているような気がする。

一昔前は、年長者が無条件に偉いと言われてきた。年功序列が当たり前の時代。情報を集めることが難しく、年長者の経験と豊かな知識が、貴重だったからだろう。

今でもそう言えるだろうか?情報はインターネットを使い、凄まじいスピードで得ることができる時代。ぼくが感じていることは、「年齢を重ねている人の方が知識が薄く、若い人の方が知識が豊富」な状態になってきていると感じる。

ぼくも40代に入り、正直言うと、そのスピードにはついて行けそうにない。特に20代、30代の勢いはすごい。「ゆとり世代」と言われ、言い方は悪いかもしれないが、大人たちから舐められていた世代だ。その世代がYouTuberにしても、ネット社会においても活躍していることは事実だ。この世代間の差は、ある意味、人種の差よりも大きな差があるのではないかとさえ思う。

だから、ぼくたち大人は「ゆとり世代」や、これから出てくる「さらに若い世代」の「価値観」を、「理解していくこと」が必要だろう。そして、お互いの価値観を尊重するためにも、年齢関係なく、フラットに付き合える人付き合いが望ましいと考える。

今日も読んでくれて、ありがとう。

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