見出し画像

死の縁まで自分を追い込んだ瞬間、本当の幸せを悟る。

こんにちは、たむらゆうきです。


今日の新潟は一気に冷え込み「冬か!!」と突っ込みたくなるような一日でした。この肌寒さを感じると農家としては今年1年間の振り返り、そして来年度への準備が始まります。


さて、そんな季節に昨日は弥彦山に行ってまいりました。
新潟県一宮であり、新潟県屈指のパワースポットである弥彦神社と、その御神山となっている弥彦山を登るという最強の組み合わせでエネルギーをチャージしてきました。

弥彦神社は県内外からの参拝客でけっこうな確立で参拝するまで並ぶことが多いのですが、昨日は誰も並んでおらずゆっくりと参拝ができハッピー。

後ろに他の参拝者がいるとどうしても気になってしまって、、、初めてゆっくりと参拝できて「これって歓迎されてんじゃね?」という勘違いに自分を酔わせつつ、そこから登山道へと向かっていきました。


今日はそんな弥彦山登山から身をもって感じた”幸せとは何か?”について共有しようと思います。


登山をなめたらアカン


いきなりですが、僕は今回の弥彦山登山で、



死にました(笑)



マジでキツかった、、、登山経験が1回しかないくせに1人で634mの山にアタックするわけですから。しかも装備も素人装備で普通のスニーカーに農作業で着ている服に、水と財布だけが入ったリュック。

3合目の時点でもうHPをすべて使い切り、これの倍以上登るのか、、、と過去一絶望したのをよく覚えています。


それでもここが登山の恐ろしいところなのですが、あとに引こうにも引けないところにまで来てしまっているのです。


3合目以降はまさに”自分との闘い”であり、”限界への挑戦”でした。


シャトルランをした後並みに上がる心拍数と、まさに生まれたての小鹿のように震える太ももと、もう帰りたいと心底願うアタマと、、、


本当にこのまま倒れて崖から落っこちて死ぬんじゃないかって、極限状態まで追い込まれるとマジでよくわからないことを妄想し始めるのがヒトの宿命なのでしょう。


それでも何とか休み休み足を前へ前へと上げ、降りてくる登山者とすれ違う瞬間だけ死にそうな顔と荒い呼吸を沈めて何食わぬ顔で「こんにちは~」と余裕そうに挨拶をして。


そうしていくうちに見えてきた眼下に広がる越後平野と、山頂にある鳥居が見えてきた時の希望は忘れられません。



HPを消耗しきってからさらに1時間、ついに山頂にある奥宮にたどり着くことができました。



何もなくても幸せ


奥宮では今まで感じたことのない、まさに「神の見る景色」を味わえたようでした。越後平野と日本海をすべて一望できる場所は、なぜ弥彦山が神宿る山とされ信仰されてきたかがよくわかります。



その景色を見ながら日本海から吹き抜ける風を感じていた瞬間、僕はここで今回の登山で最も大切なことを学ぶことになるのです。


かつて、それは数百年の単位で昔の話。日本の山々を切り拓き初めての登頂に成功してきたのはほとんどが”修行僧”でした。

霊的な存在からインスピレーションを受けてのぼる場合もあれば、自己の修行のためにのぼる場合もあります。当時はもちろん登山道なんか整備されていないですし装備も今より充実しておらず、圧倒的にハードだったはずです。


それでも彼らは登った。


今回の登山でなぜ彼ら修行僧が”それでも登ったのか”をよーく実感しました。



人は限界を迎え、その限界をもっとさらにさらに超えていくその瞬間、”本当の幸せ”を感じるのだと。

その”本当の幸せ”とは、「ただ生きていてこの地面を踏みしめている自分がいるだけで幸せ」ということ。



死にそうになるほど自分を追い込んだ時、生きて山頂にたどり着けないかもしれないと思った時、つまり「死」を意識した瞬間、

「ただただ生きているだけで幸せである」というありとあらゆる思想哲学の極致を感じられるのです。



その後僕は少し降りたところにある売店で400円のソフトクリームを買いました。そのたった400円のソフトクリームを持っている自分、ゆったりと景色を見ながら食べている自分、太陽の温かさと吹き抜ける風を感じている自分。

たったそれだけで僕はめちゃくちゃ幸せでした。



お金があれば幸せになれる、結婚すれば幸せになれる、、、僕らはその幸せを自分の外部の何かに求めてしまいがちです。

ですが、本当の幸せというのは「あれがあれば、これがあれば」という欲求ではなく、今この瞬間に自分が生きていると感じることができればそれだけで幸せだと感じたのです。



おそらく、修行僧が山登りを修行の一つに選んだのもそれを悟るためだったのでしょう。



人生というのは、今この瞬間に発している感情によって、明るい未来がやってくるか暗い未来がやってくるかが決まると言われています。

「あれがあれば幸せ」というのはそれすなわち、今この瞬間の自分は不幸であると言っているようなものであり、その感情にとらわれているうちは本当の幸せにはたどり着けないでしょう。

実際に渇望によってお金持ちになった経営者が、満ち足りない感情に飲み込まれてギャンブルや不倫やドラッグなどに走るのはそのためです。


しかし、今この瞬間にどんなに苦しい現状だったとしても、「とりあえず生きていれば幸せ」「生きてりゃ何とかなる」と少しでも気持ちを明るくすることで、少しずつ未来も好転していくと思うのです。




人はたった400円のソフトクリームだけで幸せになれる。




今この瞬間何かしらの”不幸”を感じているなら、ぜひ山に登って死にかける経験をして、生きてこの足で山頂にたっている喜びをぜひ経験してみてください。(ソフトクリームがればなお良し)



そして希望を持って、現状の試練に向き合い、明るい未来へと歩んでいきましょう!


それでは!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?