さよならシビックTYPE-R

医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は11ヶ所目。車で通勤しているが、渋滞が多くてうんざりしている。この車との付き合いは長い。新車で購入して10年以上が経過した。走行距離も10万kmは軽く超えている。

大事に乗って来たつもりだが、近頃はいろいろと不具合が出ている。そろそろ買い替えの時期だろう。他にもそうする理由はあるのだ。本当は手放したくないが、そうも言ってはいられないのである。

僕の車は4人乗りの5ナンバー。この物語の中でも初期の頃からそう呼んできた。その実態は初代シビックTYPE-Rである。型式EK-9。チャンピオンシップホワイトという基本色はあるが、僕のそれは黒色。内装のレカロシートはもちろんのこと、ワンポイントでも赤色が多く使われ、なかなかのお洒落っぷりも気に入っていた。

エンジンには『B16B 98 spec.R』という中二心を擽る名前も付いている。1.6Lの自然吸気にもかかわらず最大出力は185馬力だ。リッター100馬力を軽く超えている。ホンダ自慢のVTECの恩恵というわけだ。

4,000回転以下ではファミリーカー、6,000回転以下ではスポーツカー、レブの8,400まで回せばレーシングカーという代物。そのロジックを聞かれることも多いのである。

そんな車ともお別れだ。未練はたらたらである。お別れに写真を撮ることにした。僕のカメラは67中判フィルム機。この日付けたレンズは75mm。フルサイズ換算だと35mmの万能レンズだ。これで隅々まで撮る。シートのアジャスタからバックミラー。ハンドル、ペダル、シフトノブ。外観も撮った。きれいなホイールから、汚れたウォッシャー跡まで。もちろんエンジンルームも。お気に入りの1枚にもなった。この車の思想が好きなのである。

撮るだけでさよならは寂しすぎる。長距離ドライブにも行った。何度も仮眠をした車だ。最初の頃は快眠グッズを使っていたが、最近では後部座席で横になるだけの仮眠となった。それだけで充分なのである。

なるべく高速道路は使わずに下道を走った。総距離1,200km。もちろん途中では写真も撮った。旧学校の教室、坂の街の猫、未来が見えそうな大海原、無数の穴がある奇岩。すべてがお気に入りの1枚となった。

僕はしあわせ者だと思う。時代は便利で楽な物へと凄まじいスピードで移行中だ。車は移動のためのもの。カメラの主流はデジタルへ移行し、コスパが重視されていく。新時代の幕開けと言ってもいいだろう。それは前時代の末期ともいえる。道具の洗練度はピークだった。僕の車とカメラは、その最もたるものだと思う。

シビックTYPE-Rで各地を周りながら中判フィルム機で撮る。こんな幸せなことがあるのだろうか。おそらく、この意味を分かるのは僕の世代で終わりだと思う。次世代でも分かる者は分かると思うが、それは極々少数だ。そのことに気付かせてくれる情報に出会うことも無いだろう。僕は36歳だ。体力と経済のバランスが一番いいときである。おそらく生まれが5年ずれていたら、この幸せを受けることは難しかっただろう。

ありがとうシビックTYPE-R。まちがいなく僕はしあわせだった。車は乗り換えるが君のことは忘れない。形見としてアルミ製のシフトノブは手元に置いておく。これからも元気を分けてもらいたいからだ。

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