納豆が嫌いだ
僕は納豆が嫌いだ。あれは腐っている。発酵ではない。糸が引くような醸しは駄目だろう。デスマフィンしか例を知らない。さしずめ、納豆は『デスソイビーン』。そう呼んでもいいと思う。
好き嫌いは少ない方だ。子供の頃でも納豆、肝臓、大根くらいがそれ。その中でも大根は大人になって好きになった。肝臓もレバ刺しなら好んで食べられた。だが、納豆は駄目だった。いつまで経ってもデスソイビーンなのである。
中学生までは食べさせられていた。高校生になると、僕の分だけ動物性たんぱくなおかずに。そこで納豆とはおさらばしたのである。けれども、その後も挑戦は何度かした。20代で1回。30代で1回。だが、あいかわらずのデスソイビーン。故に食わず嫌いではない。実体験を伴った"嫌い"というわけだ。
体に良いことは知っている。そもそも、原料である大豆は栄養食として優秀だ。植物にもかかわらずタンパク量が多い。『畑の肉』なんて名前で呼ばれたりもする。イソフラボンという女性ホルモンと同じような効果を期待できる成分もある。もちろん食物繊維も豊富だ。わざわざ納豆に加工しなくても体にいいのである。
納豆菌が大豆に行っていることは、人における”消化”だ。人は体内で消化するが、納豆菌は体外で消化する。大豆に消化液をぶつけて、その分解物を摂取する。つまり納豆とは消化中のもの。人で言うと出戻りなさったものだ。そう思うとすこし摂取に抵抗を感じる。
そう、納豆を食べるということは、出戻りなさったものを再び食べる行為だ。しかも生きたままの菌も一緒に。一寸の虫にも五分の魂。微生物にも魂は宿る。そう考えると、なんて残酷なことをしているのだろう。知らず知らずのうちに、巨人の捕食シーンを再現してしまっているのだ。もしも納豆菌が喋れたのであれば、きっと人の口の中で友の名を叫んでいるだろう。
たしかに旨味は感じられると思う。タンパク質が部分的に分解されて、アミノ酸は豊富になっているからだ。ペプチドも多く含まれているだろう。だが、それなら”味の素”をかければいい。あれもアミノ酸だ。製造工程も似たようなもの。微生物にサトウキビを分解させて作っている。醤油だってそう。あれも大豆を微生物に分解させて作っている。つまるところ、大豆に醤油をかければいい。わざわざ納豆菌に仕事をさせなくてもいいと思う。
そんな納豆菌は繁殖力が強い。僕は以前、医療系の研究施設で働いていた。そこでも納豆菌は嫌われていた。培養業務の天敵である。納豆を食べることを禁止されていた現場も少なくはなかった。とくに遺伝子を扱う研究室は敏感だった。ただでさえRNAは壊れやすい。人が触れただけで分解酵素により消えてしまう。そこに納豆菌だ。まちがいなく科学の発展の足を引っ張っていただろう。
きのこ栽培にも悪影響がある。僕の育てる”きのこ”は原木栽培なので関係がない。だが菌床栽培では注意が必要だろう。納豆菌はそこでも繁殖することが可能だからだ。すくなからず産業の足も引っ張っていると思われる。
名前もよくない。納豆菌の学名は『Bacillus natto』だ。日本人が日本で発見したので、そのまま”natto”の名前が冠されている。”Bacillus”は所属するグループの名前だが、いかにも”悪者”といったものに聞こえる。『バシラス』。滅びの呪文のようだ。グループの中には危険な奴もいる。油断してはいけない。田舎臭い『納豆』という名前で呼ばれているが、その正体は危険な組織に所属しているファミリーなのだ。
にもかかわらず、多くの人に愛されている。お手軽、飽きない、美味い、体にいい、安い。こんな食品は他にない。なぜ僕は納豆を嫌いな側の人なのであろう。もしも、好きであれば、見える世界も変わってたかもしれないのに。嫉妬する。納豆を好きな人に嫉妬する。どうしたものか。次に生まれ変わったなら、納豆好きでありたいと願うのである。
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