『言葉にならない景色』の正体

医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は8ヶ所目。着任早々に震災が起きて大変だったが、あれから1ヶ月も経ち、随分落ち着いた生活を送らせてもらっている。

僕は写真が好きだ。だが震災以降、あまり撮れてはいない。撮れたとしても現像に出すことは出来ないだろう。そこまで復旧が進んでいるとは思えないのである。

倫理的な問題もある。誤解を恐れずに言えば被災地も撮ってみたい。けれどもそこにはプライバシーがある。『撮らないでほしい』。その想いが存在する可能性があるならば、やはり撮ってはいけないと思う。

とはいえ、撮らずとも見てみたい気持ちはある。『言葉にならない景色』。被災地から帰ってきた人がよく口にする言葉だ。その真意が気になる。

故に僕はボランティアに参加することにした。それなら訪れたとしても迷惑にはならないであろう。ガソリン不足も解消された。もちろんカメラは置いていく。景色の分析も写真活動の一部だ。そこにカメラは必要ないのである。

朝早くに家を出た。高速道路を使って現地に入る。ボランティアセンターには多くの人が集まっていた。予習通りに受け付けを済ます。同県人なので手続きも楽だ。保険うんぬんの話もクリアされている。

ボランティアスタッフによるグループ人員の振分は随時行われていた。作業内容や必要要件が叫ばれている。入りたいと思ったら挙手して参加する仕組みだ。アナログ的だが効率がいい。どんどん決まっていく。

僕は運に任せることにした。そもそも選択肢は無い。提供できるのはマンパワーのみ。地域に精通しているわけでもないし、提供できる車もない。FF4人乗りでは迷惑なのだ。そのため会場に着くなり足を止めることなく一番近くの募集に手を挙げたのであった。

男5人組。僕が一番若くて小柄だった。リーダーは地元の兄さん。ボランティア作業にも慣れている。適役だった。もう二人も地元の兄さんだった。東京に出ていたが、地元が大変なので戻って来てるそう。

もう1人は爺さんだった。九州からの参戦らしい。「半年前に会社をクビになったから、ヒマなんだよね〜」。返答に困る自己紹介だった。彼らは共通してボランティア経験が豊富だった。僕だけが未経験者。教わることがいっぱいだ。いいポジションである。

ただ、僕を含めた全員に共通していることもあった。それはリーダー経験があること。おかげで準備の段階からスムーズに作業が進む。現場についてからは更に顕著であった。

おそらくリーダーは、あえて指示を出さなかったのだろう。必要なさそうだからだ。むしろ指示は邪魔になる。そう判断したのだと思う。

打ち合わせ無しでも協力できる。誰かが声を掛ければ、誰かが応答する。相談も無しだ。無言でも助けるし、助けられる。僕からお願いをすることもあったが、誰もが躊躇なく動いてくれた。誰かのやり方に意見する者もいなかった。議論するより動いた方が早いからだ。失敗するときは失敗する。それはお互い様である。

なにより、お互いがお互いを信頼している感があった。ゴールを確かに共有できている。そのため作業はウルトラ・スムーズ。チーム戦の理想形をこんなところで拝めるとは思ってもみなかった。

作業は家屋内部の片付けだ。泥が被ってしまった物を搬出する。ほぼ全ての物をだ。泥だらけで水分もあり重くなっている。

家主さんも手伝ってくれた。貴重品の判別は彼女しかできない。捨てていい物か分からないときは聞くことにしている。捨てるものは外へ。大切なものは『大切なものBOX』に入れておくのだ。ただ、僕が判別できる物でも聞いた。すこし休憩したいときに聞くのである。家主さんはおそらくここのお母さんなのであろう。喋りたいオーラを纏っていた。その欲求を満たすのもまたボランティアの役割だと思う。

「これはどうしますか?」。お母さんに聞くと、それにまつわるエピソードが聞ける。すこしおもしろい。力仕事も一息つける。メンバーの5人が代るがわるにお母さんのお話を聞いたのであった。

作業も終盤に入った。すでに玄関周りはきれいだ。最難関と思われていた畳の搬出も終わっている。大きな物は片付いた。残すは奥のクローゼット。大量の布団があるらしい。本日のラスボスと言っていいだろう。

家は大きかった。部屋も多い。そのための布団だ。相当な量である。それを家の外に搬出する。そこには僕とリーダーが対応した。

ふとん・ふとん・ふとん。淡々と運び出す。永遠に続くかのような単純作業。だが、途中からリズムは変化しだした。ふとん・ふとん・ビデオ・ふとん。黒いVHSのビデオテープが紛れ込んできた。ラベルが貼られている。おそらくお父さんのコレクションだろう。家族構成を聞いてそう思った。

ふとん・ビデオ・ふとん・ビデオ。量が増えてきた。最初はお母さんに隠してはいたが、もう無理なのである。「ごめんね~」。また返答に困る謝罪を受けてしまった。

そうしてるうちにゴールは見えてきた。あともう少しである。そして見つけた。パッケージに入ったビデオ。唯一これだけである。さぞかし大切なものなのだろう。僕は外への搬出を躊躇した。『大切なものBOX』の奥にそっと入れておいたのである。

作業は時間切れで幕引きとなった。外で休憩していると、家主のお父さんがやってきた。「ありがとなー、助かったわー、これ飲みなー、元気出るぞー」。栄養ドリンクを2本受け取ってしまった。ボランティアは地元民から物をもらってはいけないのだが、お父さんの勢いに負けてしまったのである。「すみません」。僕は三重の意味でそう告げた。

翌日は普通に出勤した。僕は英雄扱いとなっていた。念の為、ボランティア参加をリーダーには伝えておいたが、それが広まったらしい。「どうでした?」。めんどくさいのである。正直に言うと楽しかった。いい人ばかりだったからだ。最後の挨拶もお互いに「ありがとうございました」だった。それがすべてを物語っていたと思う。

けれども現場の空気を伝える術を僕は持ち合わせてはいない。それがなくては「楽しかった」も不謹慎になるだろう。

結局、『言葉にならない景色』も同じだと思った。見たことも無い景色を見れば心が揺れる。それが人という生き物なのだろう。好奇心や探求心を擽られる者もいると思う。そうれはもう仕方のない生理現象だ。もちろん、感受性の高い者が見れば、自然と涙もこぼれるだろう。

被災地の景色を言い表す言葉は無いのだ。他はセオリー的に言い表す言葉がある。きれい・おいしそう・きもちわるい・こわい、等々。あまり考えなくても感想は出てくる。一方で被災地のそれは無い。知らない景色だが、構成しているパーツは知っている。故に情報量は多い。頭で処理するには時間がかかる。『言葉にならない景色』とはそういうことだと思う。皆がそう呼ぶので、それが言い表す言葉にもなっているのだろう。

いい経験をさせてもらった。参加してよかった。僕も頑張ろうと思う。何を頑張るのかは分からないけれども。とにかく動いたほうがいい。迷わず行けば分かることもある。元気があれば何でもできる。写真があれば何でもできるのだ。


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