妖怪について考えてみた。「妖怪は人間から責任を押し付けられるための存在だった説(思いつきの自論)」
オレは妖怪が好きだ。妖怪はなんの役にも立たない。たまに悪さをする。無数の種類がいる。
子供ながらに水木しげるの妖怪事典を見ながら、「妖怪あずき洗い」の絵は目のぎょろついた頭のハゲたジジイが川で小豆を洗っているだけの絵だったし、「妖怪まくら返し」は朝起きたら枕が足元にあるのは「まくら返し」の仕業であるというだけだった。
「妖怪〇〇」と頭に妖怪とつけないとまったく妖怪の名前とは思えないもの多かった。
「妖怪垢なめ」「妖怪油なめ」「妖怪天井なめ」、、、なめているだけの妖怪たち。
中には強そうな、おどろおどろしいものもいたが、ほとんどの妖怪は水木しげるの画力のお陰で妖怪たらしくなっていた。
いまこうやって妖怪のことをなんとなく考えていて思ったのだが、人間は責任の所在を妖怪のようなわけのわからないもののせいにして、バランスをとっていたのではないかと。
他人のせい、自分のせいにするんじゃなく、妖怪の仕業だ、自然の神の祟りだ、と異世界にその責任を置き、儀式やお供物をしてのらりくらりとやり過ごしていたのかもしれない。
そう考えるといまの時代はなんて窮屈なんだろう。自己責任とかいって誰かに責任があり、罰を受けたり褒美をもらったりする。そんな世界に妖怪が存在できる余地はない。
妖怪は人間に責任をなすりつけられる存在だ。(いま思いついたオレの持論)
自己責任なんかで自分たちで責任をとってしまっては妖怪の出番はなくなる。
いや逆に、人間が妖怪になっているのかもしれない。それもかなりおどろおどろしい妖怪に。