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些細なことだけど、ちいさくない

 このnote連載も4回目。毎回いろいろな方から声が届いて、ものすごくありがたい。いただいた感想やツイートは、(今年中2になった)娘にも見せて、「こんなに読んでくれる人がいるなんて」とふたりで話している。

 この数年間、不登校のことはわが家にとって、もっともホットで切実な話題のひとつだったが、いざ文章をしたためたところで興味を持って読んでくれる人がいるかどうか不安だった。とくに、あきちの学校がはじまるまでの前日譚は、「学校のこんなところがおかしいよ」という話がこれでもかというほどつづくので、読んでいる人が辛くなってしまうかもしれない。

 日本のなかには、理不尽な状況にもめげず工夫している学校はあるし、子どもたちと真摯にむきあっている先生もたくさんいるはずだ。ぼくらはたんなる学校批判をしたいわけではない。娘の小学校での体験の数かずは、「学校」や「学び」というものをもう一度考え直すきっかけになったし、あきちの学校を運営していく上で大人と子どもの集団が陥りやすい「落とし穴」を回避するためにも役立った。文字通り、反面教師的な意味もふくめて。

 「いいわけはいいから、いつになったら、あきちの学校のことが書かれるんだ」とヤキモキしている読者の方もいるかもしれないけれど、もうしばらくおつきあいいただきたい。マハトマ・ガンディーのことばを借りるとすれば、「よきものはかたつむりの歩みで進む」のだ。

ダメを帳消しにする魔法

 そんなこんなで小学校一年は休みがちだった娘だが、二年生のときはほぼ皆勤賞といっていいほど、毎日休まず学校に通った。理由は単純明快。担任教師が変わったからだ。マッチョで管理的だった前年の先生とはうってかわって、二年生の担任は朗らかな女性だった。

 あたらしい先生は新任2、3年目ということもあったのか、とてもフレッシュな感じで、子どもたちの目線にできるだけあわせて話し、それぞれの成長の機微を見つけては喜んでくれる人だった。
 家庭訪問のときに、娘の宿題のことについて話してみると、「その子のペースでやればいいですよ」とサラッと対応してくれる。
 「わたしがどんな本を読んでいるのか興味をもって聞いてくれる」、「授業がはやめにおわって時間があまると、プリントをやらせるんじゃなくて、絵本の読み聞かせをしてくれる」、「これまでの先生と違って、先生も楽しんで授業をしているんだ」
 娘から様子を聞くだけでも、教室の空気が明るく変わったことが伝わってくる。

 毎晩の夕食のとき、「学校でこんなひどいことがあった」と頬をふくらませて語っていた娘が、「こんなたのしいことがあった」とうれしそうに話すようになった。
 いったいどんな魔法にかかったの? とふしぎにおもっていると、そのヒミツを教えましょう、とでもいいたそげな顔で娘が語りだした。
 「一日の最後のホームルームでね、先生がギターをもってきて、みんなで歌をうたうんだ。その日にどんなイヤなことや、ダメだったことがあっても、歌をうたうと、そんな気持ち、すーっとどっかいっちゃうの。また明日も来ようって思える」
 ……たったそれだけのこと? ぼくは食卓の椅子からずっこけそうになった。革命的な教育法があったわけでも、コペルニクス的発想の転換がもたらされたわけでもない。まさかの、おわりの会で、歌をうたうだけ。
 一年生のとき、何度も何度も担任教師と平行線の話し合いをつづけていたあの不毛な時間は一体なんだったんだ。

 子どものことばに耳を傾ける。宿題を無理強いしない。集団をコントロールしようとしない。そういったちいさなことの積み重ねがあって、先生との信頼が育まれ、娘にとって教室は居心地のよい場所になった。
 しかし、どんな理想的な場だとしても、人間が集団ですごしていると、思うようにいかない、自分の気持ちが通じない、すれ違いやかん違い、イヤなことは日々発生する。でも、そこにつまづくのではなく、それを帳消しにしてしまえる「たのしい時間」を見つけられた。
 それは、まわりから見たら些細なことかもしれないが、ずっと学校という空間に居心地の悪さを感じていた娘にとっては、ちいさからぬ第一歩だった。

欠席裁判と「できましたシール」

 山でも海でも、天候というものはほんの数時間でがらりと変わる。順風満帆だった二年生も束の間のこと、三年生にあがるとまた担任の先生が変わった。こんども女性の教師だったが、前年とはすこし様子が違った。

 保護者面談のとき、あたらしい先生は、タブレット端末に棒グラフを表示させて、テストの点数を並べながら、今後の指導について理路整然と説明した。小学教師というよりは、保険のセールスマンのような印象を受ける。
 合理的に分析して、一人ひとりのことを理解しているような口ぶりだが、娘がどんなことを好んでいるのか、学校で日々なにを感じているのか、ということにはあまり興味がない。宿題についても「無理にとはいわないけれど、段階的に習慣づけないといけません」という。表現こそ柔らかいが、基本的な姿勢は小学一年生のときの担任と似たものを感じる。

 ある日のこと、娘はおなじグループ活動をしている女子から「顔がうざい!」と面とむかって悪口をぶつけられた。自分はふつうにすごしていただけなのに、どうしてそんなことをいわれないといけないのか。娘が先生にそのことを訴えると、
 「悪口をいった人も、いわれた人もどちらも悪いから、おたがい謝りましょう」
 という喧嘩両成敗のような返答がかえってきた。
 二人はしぶしぶ「ごめんなさい」と頭を下げて、その場は丸くおさまったものの、結局、相手の女の子がどんな不満や不安をもっていたのかはわからない。当人の気持ちはおいてけぼりのまま、先生が幕を引くかたちになった。
 子ども同士でいさかいやいじめが起きたとき、どちらか一方を断罪するのではなく、両方の言い分を聞いて話し合う、というやりかたは解決法のひとつではある。だが、それはマニュアル通り一遍のクレーム対応で解決されるものではなく、おたがいが納得できるまでしんぼう強く対話して、いいところも悪いところもふくめて、腹を見せ合わなければ意味がない。

 悪口をいった子は、気持ちが消化できていないわけだから、その後もさして態度を変えることはなかった。娘にとっては、自分は傷つけられた側なのに味方をしてくれなかった先生に対して強い不信感を抱くようになった。
 「あの先生、なにいってもだめだよ」
 日を追うごとに娘の口からあきらめのことばがでる。学校から帰宅すると、ランドセルも置かないで玄関先で静かに泣いている、ということがたびたび起きるようにもなった。

 そんなとき、ある事件がおきた。

 クラスにAくんという男の子がいた。彼は勉強についていくのが難しくて、集中も散漫になりがち。たびたび授業の進行を阻むので、つねに副担任が横につく。やりたくないことはやらないし、同級生への乱暴やいたずらもあり、先生はほとほと手を焼いていたようだ。

 ある日、Aくんが副担任に連れられて教室を出ていった。この時間は彼だけ別室で音楽のリコーダーの練習をすると説明があった。
 「このところ、Aくんがみんなに迷惑をかけているのは知っていますね。この時間はAくん抜きで、みんなで話し合いましょう」
 そういう呼びかけのもと、先生がホワイトボードにマーカーをすべらせ、子どもたちに尋ねる。
 「まず、Aくんの悪いところ、みんなが迷惑しているところをあげていきましょう」
 ふだんから不満をもっている子たちを中心に手があがり、つぎつぎとAくんのダメなところが列挙される。
「すぐぶったりする」「忘れものをする」「宿題をやってこない」「先生のいうことを聞かない」「遅刻する」「授業にちゃんと参加しない」……などなどなど、ホワイトボードはAくんのダメなところリストで埋めつくされる。先生はつづける。
 「どんなにみんなが嫌な思いをしているか、よくわかりました。では、どうしたら彼の悪いところをなおしてあげられるでしょうか」
 しばしの沈黙の後、だれかがいった。
 「シールをあげればいいとおもいます」
 「いいことをしたらシールをもらえたら、Aくんも悪いことしなくなる」
 「シールよりメダルとか賞状もらえたらいいかも」
 娘は目の前でくりひろげられる悪夢のような状況にぼうぜんとしていた。なんで、ここにいないAくんのことを、みんなでこんなふうにいったり、決めたりしてしまうんだろう。
 「きっとAくんにもイヤなことがあるんだよ。どうしたの? って、もっとやさしく聞いたらいいんじゃないかな」
 こころのなかにそう思い浮かんだが、喉がつまって声にならなかった。にぎやかに盛り上がる教室のなか、そのような提案をする子は皆無だった。

 ほかのアイデアをいった子もいたようだが、先生は意見をうまいこと取捨選択して解決策をまとめた。
 「では、Aくんのために"できましたシール"をつくりましょう」
 翌日から、彼の机には一枚の紙がはりつけられた。それは「乱暴をしなかった」「忘れ物をしなかった」「遅刻しなかった」など、「~してはいけない」ことが10項目以上並んでいる表で、Aくんの毎日の行動をクラス全員でチェックするためのものだった。
 たとえば、その日に「忘れ物をしなかった」ら、その項目にシールを貼る。すべての項目にシールが貼られると、名刺サイズくらいの「できました賞状」が渡される。またほかの日に全項目をクリアできると、前よりすこしだけ大きな賞状を渡される。そうして、すこしずつ賞状を大きくして、一学期が終わるころには、Aくんはポストカードサイズほどの賞状をもらえるようになった。
 よくできました、と誉め、ぱちぱちと拍手するクラスメイトと先生。
 遠目でみると和気あいあいとした風景だが、娘はえもいえぬ気持ち悪さと恐ろしさを感じていた。
 「もしかすると、わたしが学校を休んでいる間に、今度はわたしの悪いところをみんなでいいあって、"できましたシール"がつくられるかもしれない。つぎのAくんはわたしかもしれない」

 勉強や素行を改善するために、子どもにシールをあげ、まるでご褒美や勲章のように競って集めさせる。そういう先生は、ぼくが子どもだった30年前にもいた。
 はじめのうちはモチベーションがぐんとあがったようにみえる。だが、それが常態化すると、子どもたちは知的好奇心からではなく、シールをもらうために学習をするようになる。スマホゲームの課金にハマる大人同様、気がついたらなにが楽しいのかわからなくなる。シールを集めることが目的になって、単調なルーティンに対しても無批判でいられる、我慢して従える人間をつくりだしてしまう。
 当事者ぬきの場でひとりの子をみんなで批判して、「Aくんは悪い子、みんなでよい子にしなくちゃ」という共通認識を集団のなかに植えつける。
 それはひとつ間違えば、ナチスやファシズムにも通じる恐ろしいやり方だと思う。

 ぼくと妻は学校に行き、「これはうちの子のことではないけれど……」と前置きをした上で、Aくんの欠席裁判とその後のやり方について、担任教師に問うた。同席した教頭は担任を擁護するような口ぶりで答えた。
 「じつはほかの保護者からも、乱暴なAくんをどうにかしてほしいと要望をいただいていました。子どもたちの間でも不満が高まっていて、彼の悪いところをいいあう場が必要だったんです」
 欠席裁判のアイデアは担任だけではなく、教頭と相談して決めたことだいう。このことについては、教頭もとくに問題はなかったと考えているようだった。
 担任は「自分のやり方に間違いはなかった」「子どもたちのためを思うとそうするしかなかった」とおなじことばを何度もくりかえした。

 ぼくはAくんがふびんに思えてしかたなかった。
 「きっと先生たちは子どものころ、優等生だったんでしょう。ぼくは自分がおちこぼれで学校でうまくいかなかったから、どうしてもAくんの気持ちになって考えてしまう。自分の知らないところで、みんながよってたかって悪口をいっている。それだけでも十分辛いことなのに、なぜそんな一方的なやり方で彼を矯正しようとしたんですか」

 保育士の妻は、保護者からのプレッシャーや、子どもたちの不満がすべて先生に注ぎ込まれてしまっていることに同情を寄せながらも、ことばをつづけた。
 「先生は子どもたちのためを思って、といわれたけれど、Aくん一人をどう変えるか、というやり方ではなく、みんながどうAくんと接することができるか、まわりがどう変われるか、という方向からも話はできたと思うんです。子どもを信じる、ってそういうことなんじゃないでしょうか」

 ほかの子のことなのに、こんなふうに詰め寄ったらモンスターペアレントだと思われてしまうのかもしれない。でも、いわずにはいられなかった。そんなふうに集団をまとめていくことが、はたして子どもにとっていいことなのか。娘をみていると、どうにも頷けなかったからだ。

 ぼくらの問いかけに、先生から返答らしい返答はなかった。彼女は「わたしだってがんばっているんです」といって、うつむいたまま、まっくらになったタブレット端末をじっと見つめていた。
 
 ――夏休みがおわり、二学期がはじまってすぐ、娘はふたたび学校に行かなくなった。
 そのとき、娘はもう「学校に行きたくない」とはいわなかった。「わたしは学校には行かない」といった。そのことばは力強く、迷いのないものになっていた。

〈つづく〉

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