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願いはかなう、の嘘。

かっちーん(# ゚Д゚)
とくるタイトルかもしれません。すみません。

ただ、僕、「願いはかなうよ」と言われると、いつもかっちーんとくるんです。ホントすみません(笑)

なぜかというと、「過程」をすっとばしているから、夢だけ見させる無責任な物言いに聞こえるんですよね…。いやホントすみません。

人の脳は、「ある」という認識はできても「ない」という認識はできない。
そう聞いたことがあります。

だから、「そんなことあるはずない!」と言っているときも、必ずそれが「ある」イメージを思い浮かべてから打ち消しています。
「僕は絶対そんなことしない!」と言うとき、そんなことしちゃってる自分を思い浮かべて打ち消す。だからいやーな気分になるんでしょうね。

「○○を思い浮かべないで」と言われたら、真っ先にその○○を思い浮かべてしまう、それが僕たちの脳の仕組みです。

裏を返せば、願わないことは実現できない。
だから、願えば実現できる、願いはかなう。

………と言う人がいます。
そこに僕はいつも、かっちーんときます。

あたかも、願えば誰かが叶えてくれるような言い方で、人に夢を見させる。
それでお祈りに精を出してしまう人がまた一人、また一人。

でも、ちがいます。

願いは、実現したいゴールをイメージすること。そのゴールが現実に「ある」と思えるまで精緻にイメージできれば、それは目標になり、そこからバックキャストし、スタート前に自分が持っているリソースと、得るべきリソースを洗い出して前に進むことができる。
そして目標を達成するから、「かなう」ことになる。

もちろん失敗することもある。僕の人生は失敗がデフォルトですから(笑)、そっちの方がだんぜん多いです。
だけど、「願う」ことから始めないと、何も始まらない。
願うとは、僕の強い意志です。
「僕は、そうなりたい、そうありたい」と強く思うこと。

すべてはそこから始まります。

だから正確には、

願いは、かなうこともあるし、かなわないこともある。
かなわないときは、何かが足りなかったから。
そして、そう言うことの方が多い。
だけど、かなえたい願いを願わなければ、何も始まらない。
だから願え、強く願え、どうなりたいか、どうありたいか、そのイメージを精緻に。
そこから始めて、努力し、努力を継続し、時に方向や戦略を修正して進めば、かなうことがある。

その時、「願いはかなう」と言える。

そういうことだと思います。

それでは、明日があなたにとって、僕にとって、今日より少しいい日になりますように…。

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