恋しさと切なさと……

【小説】

 

 篠原涼子の『恋しさと切なさと心強さと』がオリコン年間3位のダブルミリオンを記録した年に、南アフリカ共和国ではネルソン・マンデラが黒人初の大頭領に選ばれ、そこから3264キロ北方のルワンダでは100日間で100万人が虐殺された。
 1994年、いまから22年前の話だ――。
 この年の暮れに羽生結弦は産声をあげ、西野カナちゃんはまだ5歳のこまっしゃくれた女の子だった……たぶん。まさか後の世で自分がさだまさしのあの一斉を風靡したヒット曲『関白宣言』へのアンサーソングのような『トリセツ』を歌うことになろうとは夢にも思っていなかっただろう。

 その年、僕は15歳で高校一年生だった。オリコン3位の『恋しさと切なさと心強さと』よりも、6位の松任谷由実『Hello,my friend』を繰り返し聴いていて、ネルソン・マンデラがいかに偉業を成し遂げたかも、ルワンダの人類史上に残る悲劇についても、あまり深く考えることはなかった。いま思えば当時の自分に「バカヤロー!」とゲンコツの3発くらいは喰らわせてやりたいほどに情けないし、世界中に謝罪したい気持ちでいっぱいなのだけど、その当時はそうした世界情勢よりも『パルプ・フィクション』のジョン・トラボルタに夢中だったんだ。クラスの気のあう女の子と休み時間にモンキーダンスを踊っていた、気が狂ったように。その子はもちろんユマ・サーマンにはほど遠い顔立ちだったし、僕もトラボルタみたいな寝技が得意そうなイヤらしい中年オヤジテイストは微塵も持ち合わせてはいなかったけど。
 いずれにせよ、どこまでも未成熟でいつでも悶々とした、考えなしのどこにでもいる田舎のアホな高校生だったんだ。
 そしてこの年、僕は初めて〈せつなさ〉という感情を知った。しかも、足腰が立たないくらいに強烈で、横暴で、初雪のように甘い、〈せつなさ〉だ。

 〈せつなさ〉の対象は、月とヘップバーンだった。
 月と六ペンスではない……。
 そもそも15歳の田舎のアホな高校生に芸術家の苦悩なんてわかるはずがないんだ。だから月と六ペンスに触れるのは、これよりさらに15年以上先のこととなるが、まあ、それはいつか話そう。
 いまは、月とヘップバーンの話だ。
 なぜ、月とヘップバーンかというと、この年から数年前に、東京のスノッブなレコード店が『ティファニーで朝食を』のサントラCDをリリースしたんだ。そこにはオードリーの歌唱版の「ムーン・リバー」が収録されていた。それまでオードリー歌唱版のCDは発売されていなかったから、一部の熱狂的なファンに支えられて旧作映画のサントラとしてはかなり売れたらしいんだ。でも、そんな事情を知ったのはずいぶんと後のことで、ここで言いたいのは1994年の夏、その歌声が、僕の部屋のラジオから流れてきたということなんだ。

 僕はアホな15歳の高校一年生ながら、その頃彼女らしき子がいて(モンキーダンスの子ではない)、その日は盆の入りで僕らの街は夏祭りだったんだ。
 彼女は『北の国から』で凉子先生を演ってた頃の原田美枝子に似ていて、いわゆる〈男好きのする〉タイプの、強力な吸引力で男を引き寄せる英国製掃除機みたいな美人だった。彼女に言い寄る男はたくさんいて、ホテル街で大人の男と歩いていたとか、悪い噂も少なくなかった。真実かどうかは別にして。だから、そんな彼女が何故僕みたいな凡庸な男とつきあってくれたのかは当時も今も謎のままである。彼女の友人から聞いたところでは、僕の笑ったときのだらしない口許が「彼女が可愛がっていた亡き愛犬に似ていた」からとか、同窓会で再会した当時の担任の言葉を借りれば、「ああ、あれは、あれだ。軌跡だ」とか、その謎の深淵に迫る証言を法廷で理路整然と語れるような証人もなく、唯一、正しい答えを有する本人を証言台に立たせる機会はなかったんだ。だから、謎は謎のまま、いつか僕が骨となり棺桶に入り、永遠の眠りについても謎のままなのだ。

 いや、待てよ。いまは夏祭りの話だ。
 その日、彼女は浴衣を着ていて、僕らは提灯が飾られた混みあった大通りを歩いた。風船釣りをして、たこ焼を食べ、ラムネを飲んだ。すれ違うクラスメイトに冷やかされ、学校の先生の監視を避け、裏通りを歩き児童公園の桜の木の陰で初めてキスをした。彼女が僕の前につきあっていた男がいたことは知っていたから、初めてじゃないんだろうなとは思ったけど、僕にとってはそれが初めてのことで、心臓が口から飛び出すかと思うほどにバクバクした。僕はその先に進みたくて手を不器用にごそごそと動かしたけど、「浴衣が乱れちゃうから」と止められた。
 その後、家族が誰もいない僕の家に彼女を誘った。その日、両親と姉は父の実家へと帰郷し、「友達と約束したから」と僕はひとりで家に残ったんだ。もちろん、彼女とふたりきりで過ごしたかったからだ。
 彼女は戸惑いもせず、僕の部屋まで来てくれた。僕は「少しだけ飲む?」とキッチンの冷蔵庫から缶ビールを持ってきて、グラスに注いだ。彼女はグラスの泡をしばらく見つめていたけど、手を伸ばすことはなかった。僕は気まずさにラジオをつけた。蒸し暑い夜だった。頭から汗が流れた。彼女の白い首にも汗がひと筋流れた。僕の唾を飲む音がやたら大きく響いた気がした。DJの他愛もない話と味気ない流行りの曲が流れた。そして、唐突に、外から花火のドーンという音が聞こえた。

「ねえ、ベランダに出て、花火を見ようよ」
 彼女が言って僕らはベランダの手すりにつかまって空を見あげた。色とりどりの花が夜空に咲いた。こんなにも花火をきれいだと感じたのは初めてだった。彼女を見るとうれしそうな顔で空を見ている。僕は彼女に手を伸ばして髪を撫で、「好きだよ」と言って顔を近づけた。彼女も僕に向き直り、目をつむって顎を気持ち上にあげた。
 僕らはもう一度キスをした。彼女の唇はさっきよりも少しだけ能動的で、火照った身体をぴったりと寄せあい、とても親密な空気が二人を包んだ。
 僕の右手は僕の意志とは別に、やはりその先を求め、浴衣の胸元の合わせあたりでしばらくうろうろしていた。そしておもむろにスッと浴衣のなかにすべりこんだ。やわらかな白い肌をチラと目が掠め、僕の全神経は右手に集中した。彼女に嫌がる素振りはなかった。僕の右手は大胆にも彼女の下着のなかを求め、胸の膨らみへと到達した。その柔らかさを掌に包むと、僕の脳内に幸福な物質が拡散された。思いのほか小さな突起に触れ、僕はそれをやさしく弄んだ。彼女は僕の右手にそれを預け、ときおり敏感な反応をみせた。僕はその行為に没頭していた。だから彼女が「痛っ」と言ったときに何を言っているのかすぐにはわからなかった。「そっとして」と彼女は言った。僕はその膨らみをこの目で確かめたいと思い、浴衣の合わせを開こうとした。
「ダメ」と彼女は急に目が覚めたように僕を見た。
 そして「自分で着られないから」と言って、ベランダから部屋へと戻り、泣き出しそうな顔をしながら浴衣を直した。彼女はいつもの自信に満ちた表情ではなく、急に幼くなってしまったように見えた。僕は、ひどく悪いことをしてしまったんじゃないかと罪悪感に苛まれ、彼女に言葉をかけることができなかった。でも、浴衣をきちんと整えて、ベッドに姿勢良く座った彼女はこう言った。

「ごめんね。決して嫌じゃなかったの。藤沢くんとこうなったことはとてもうれしいことなの。でも、急がないでほしいの」

 彼女は、泡の消えたビールの注がれたコップを見ていた。僕も窓の桟に腰を掛けてそれを見ていた。泡の消えたビールは祭のあとのように淋しく映った。

 DJが次の曲を紹介し、ラジオからはアコースティックギターの音が流れ出し、続いて掠れたような女性の歌声が後を追った。

Moon River, wider than a mile
I'm crossing you in style some day

「この曲、好き」と彼女は言った。

Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way 

「何の曲だろう」僕は尋ねる。

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see

「オードリー・ヘップバーンの映画だと思う。雨のなかで猫を挟んで抱き合うの。素敵な映画だよ」

We're after the same rainbow's end
Waiting round the bend
My huckleberry friend

「へえ、知らないな。今度、観てみるよ」

Moon river and me 

 

 彼女の表情に明るさが戻る。僕は、彼女の横へ行き、浴衣が乱れないように気をつけながらもう一度そっと抱きしめた。

 それから先の夏休みの間、僕らは一度も顔を会わさなかった。そして、二学期になると、彼女は僕との関係を一人で清算していた。ふつうのクラスメイトに戻っていたのだ。僕は戸惑ったけれど、何かを間違えたのだと悟った。その男を引きつける見た目ほどには、彼女は実際に擦れていなかったし、あの夜に、僕との距離感に微妙なズレを感じてしまったのだ、と思った。そして、高校を卒業して以来、彼女とは会っていない。

  

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 ねえ、きみ。あれから22年の月日が流れたんだ。僕は37歳になり、きみももうすぐ37歳になる。でも不思議なことに僕は、外見こそ当時のトラボルタのようになったかもしれないけど、中身は何も変わっていないんだ。あの蒸し暑い夏の夜、実家の僕の部屋のベランダで抱きあったままの、どこまでも未成熟な15歳のままなんだ。きみはSNSをやらないみたいだから消息もわからないけど、きっと幸せな結婚をして、きみによく似たかわいい女の子がいつだってきみの右足にまとわりついているのだろう。
 きみの幸せをいまでも僕は祈り続けているよ。「ムーン・リバー」のオードリー・ヘップバーンの歌声を聴くたびに、せつない気持ちで一杯になりながら。

 その後、僕は右足の悲しさを引き摺って歩いたり、夕暮れ時の淋しさに打ちのめされたりするわけだけど、どんな感情よりも胸を締めつけられるのは、このときの<恋しさ>と<せつなさ>なんだ。でも、篠原涼子の曲自体にはまったく思い入れはないけどね。

  

※引用:「ムーン・リバー」歌詞 作詞ジョニー・マーサー 

リンク:YouTube「ムーン・リバー」

 

tamito

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#小説 #夏祭り #ムーンリバー

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