夕暮れ時はさびしそう

【小説】

 

 ようやく右足の悲しみが薄れてきたと思ったら、今度は〈夕暮れ時はさびしそう〉病を患った。

 いちいち説明をする気はないよ。ご存じのように1974年にオリコン11位にランクインしたN.S.Pのヒット曲。しみったれた歌なのに単純なコード進行の繰り返しで妙に頭に残るんだ。そして、夕暮れどきになると、人をさびしい気持ちにさせる。
 なぜそんな昔の歌に取り憑かれたかって? それはもちろん聴いてしまったからだよ。iTunesで何かないかなって探していたら、勝手にお勧めしてきたんだ。前に吉田拓郎の〈マークⅡ〉を購入した流れだと思うんだけど、あまりに短絡的だよね。で、ポチっと。

 それ以来、夕暮れどきになるとさびしくなるんだ。悲しみの場合は血が大量に流れだすような虚脱感なんだけど、さびしさはギュッと心臓を押しつぶされるような苦しさなんだ。そんなさびしさが17時頃に始まって19時頃に終わる。毎日、毎日。だからその時間になると一度仕事を中断してワンカラに行くんだ。そして録音ブースみたいな狭い部屋でヘッドフォンをして〈ゴーストバスターズ〉を歌い続ける。二時間たっぷりね。この曲さえあればどんなさびしさも怖くない。もし、無人島に一曲だけ持っていっていいと言われたら、迷わずこれを選ぶね。あ、でも映画なら〈サボテンブラザーズ〉かな……。まあ、その話はまた別の機会に。

 そんなふうに毎日さびしさをごまかしていたのだけど、ある日ワンカラが満席だったんだ。だからほかのカラオケ屋さんにいったらやっぱり満室で、まるで1990年代に戻ったみたいに街中の人が歌うことを求めていたんだ。もしかして〈夕暮れ時はさびしそう〉病がパンデミックしたのかと疑ったよ。
 それで、さびしさを紛らすためにできるだけにぎやかなところへ行こうと近くのデパートに飛び込んだんだ。それが17時25分。もう、じわじわと心臓が圧迫されはじめていた。来るぞ、来るぞ、さびしさが来るぞ、と恐怖にかられてエスカレーターを上へ上へと駆けあがった。最上階の8階まであがったら、もう胸が苦しくて苦しくてしかたなくなったんだ。だから、新鮮な空気を求めて屋上への階段をへろへろになりながら上がった。そして、ドアを開けると――。

 そこには真っ赤な夕陽が待ち受けていたんだ。

 まるで地上に在るすべての立体物がマゼンタのグラデーションで覆われてしまったように、光も影も、青も黄も黒も、すべてが赤く染められていたんだ。僕はもうさびしくてさびしくて涙が出そうだった。
 そこへ、一羽のカラスが舞い降りた。当然カラスも赤いと思うよね。でも違った。カラスだけが黒かったんだ。しかも真っ赤な世界にそこだけカラスの形に切り抜かれたような、まるで影だけが存在しているような漆黒の闇。それがトンッ、トンッて跳ねながら近づいてきて、僕の目の前で止まった。

「苦しいのかい?」

 闇が声をかけてきた。

「さびしさってのは、苦しいよな」

 いや、ないない。これは何かの間違いだからスルーしようと踵を返したんだけど、声が背中を突き刺した。

「だったら楽にしてやるぜ」

 え、僕はつい振り返った。

「楽に、なるの?」

「ああ、なるさ。あんたみたいにさびしさに苦しんでるやつを何人も楽にしてやったよ」

「どうしたらこのさびしさがなくなるの? もうこんなに苦しいのは嫌なんだ。楽にしてくれよ」

 自分でも不思議なくらい素直に、カラスの形をした闇にほんとうのきもちを吐露した。

「じゃあ、目を瞑って、一万数えな」

「え、一万?」

「そう、一万だ」

「ふつう十とか、多くて百だよね?」

「面倒なやつだなぁ。じゃあ、この話はなしだ」

 バタバタと羽ばたく闇を慌てて止めた。

「数えるよ一万数えるよ!」

 そして僕は目を瞑り数え始めた。
いち、に、さん、し、ご、ろく…じゅうご…よんじゅうに…ひゃくろく……。

 ようやく一万を数え目を開けると、すでに日はとっぷりと暮れていて、そこにカラスの形をした闇はいなかった。腕時計を見ると20時ちょうどだった。後ろでドアの開く音がして振り返ると、警備員が懐中電灯を手にして立っていた。そうだ、この屋上は20時で閉まるんだ。

 翌日、16時30分頃から僕はソワソワしていた。やっぱりワンカラに行って〈ゴーストバスターズ〉をスタンバっておくべきだろうか。結局、たった30分の間に僕はデスクとトイレを5往復して、かろうじてワンカラに行くのを回避した。そして魔の時刻がやってきた。
 PCに向かいながら頭のなかで〈ゴーストバスターズ〉を歌い、祈った。来るな、来るなよ、来てくれるな……。10分経ち、20分経ってもさびしさはやってこなかった。大丈夫だ。カラスの言うとおり、ほんとうにさびしさがなくなった。僕はホッと胸を撫で下ろした…んだけど、何か変な感じがした。胸のなかががらんどうになったような、真っ白になったような、とにかく変な感じなんだ。
 翌日もそのまた翌日も変な感じは続いた。さびしくはない。けれど何かが欠けてしまったような喪失感が胸に広がった。

 想像してみてほしい。さびしさという感情がまったくなくなってしまった自分を。確かにそれによって苦しみは減るけれど、なんだか感情を持たないロボットになったような気持ちなんだ。
 そんな変な感じを持ちながら数日を過ごしていたら、今度はさびしさを感じたくてしかたなくなってしまったんだ。それから、毎日、夕方になるとあのデパートの屋上にいってはカラスを探している。僕のさびしさを返してもらうために。

 今日も日が暮れる。けど、夕焼け小焼けの歌すらいまの僕をさびしい気持ちにさせることはない。ああ、さびしくなりたい。胸が締めつけられるようなさびしさを味わいたい……。

 この話の教訓は、人は人らしく感情豊かでいよう!ではない。漆黒の闇のようなカラスに声をかけられたら、絶対に答えてはいけないということだ。そして〈ゴーストバスターズ〉はいつでもきみを救ってくれるということ。
 あ、それにN.S.Pの〈夕暮れ時はさびしそう〉を聴いてはいけない。夕暮れ時になると、むやみやたらとさびしくなってしまうからね。だからYouTubeのリンクは貼らないよ。ほんとうにしみったれた歌なんだ。だから絶対に検索しないようにね。

追記、今度は続きません。

 

tamito

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