贖罪 街

【小説】

 

「いつまで同じことを考え続けているんだよ」
 もうひとりの僕が思考に割り込む。

 僕はバーのカウンターでひとり飲んでいる。今日は店が混んでいてマスターと話をする余裕がない。グラスの氷を指でかき混ぜながら考えるともなく思考していたことにふと気づく。

「どの曲がり角で道を間違えたのだろう」
 もうひとりの僕に問う。
「間違えてやしないさ。それに振り返ってもすでに道は見えない」
「きみは道を間違えたと思ったことはないか?」
「んん、ほとんどないね。あるとしたら死んでしまったことくらいかな」
「あのとき、きみは彼女の身代わりになって死んだ。僕はなぜそれが僕ではなかったのだろうとくりかえし考えるよ」
「たまたま僕がそこにいた。それだけのことさ。きみの意思とはなんら関係がない」
「きみはなぜ自分の命を犠牲にしてまで彼女を助けたんだ」
「さあね、覚えてないよ。体が勝手に動いただけだろ。それに死ぬ気なんてさらさらなかったし」
「でも、きみは死んだし、そのことについて多少の後悔をしているわけだ」
「後悔とは少し違うんだ。後悔なんてしていない。ただ、なんていうか、僕がうまくできなかったことで結果的に彼女にもきみにも迷惑をかけた。それが嫌なだけなんだ」
「ひとつ、はっきりと聞いておきたい。きみは彼女のことが好きだったんだよな」
「……どうかな。生きていたころの感情はよくわからないんだ」

 ひと通り客をさばいたマスターが声をかける。

「また、それ」自分の頬を右手で下から上へと撫でる仕草をマスターがする。この前、指摘された〈僕〉の癖だ。

「そんなときはとても深いところに、まるで深海の底にでもいるように見えますね」
「深海の底……」

 僕は深海の底にいる自分をイメージしてみる。見あげても海面から射し込む光は届かず、鉱石や光を持つ魚のわずかな薄明かりのなか、膝を抱えて座る彼女が見える。僕は隣に行きたいのだけど近づくことができずに、遠巻きに見守っている。
「そばに行ってあげなよ」ともうひとりの僕が言う。

 チリンと扉が開く鈴の音がしてマスターが「いらっしゃいませ」と声をかける。賑やかな四人組が入ってくる。潮どきだ。

 会計を済ませて夜の街へと出る
 色とりどりの深海魚たちが通りをゆく
 夜の照明の下では色も落ち着いて見える
 僕もそのなかの一色として足並みを揃える
 こうして夜の雑踏を歩くとき、心はほどけてゆき世界と交わることができる気がする
 すべてのことが許され、そして許せる気がする
 見あげても光はここまで届かない
 月のない夜がもう200日も続いている
 月を乞うる気持ちが胸を満たす
 やまない雨が降り続いている

 

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