贖罪 償

【小説】

 

「ここに彼女がいるって聞いてきたんだ」
 僕は中腰に屈んで、鴨に話しかけた。

「よせやい!」
 鴨は右の羽をまるで手のように振って呆れた顔をする。
「あいさつもなしにいきなり本題かよ。それよりまずそこに座りなよ」
 僕は鴨に促されベンチに腰かける。
「そうそう、それでいい。それにしてもあんた酷い顔してるね、まるで死に人みたいだ」
 僕は顔に手をあててみる。
「さっきまで死に人に追われてたんだ」
「ああ、やつらは生き人を喰らうからな。エサは死んでなきゃいけないんだ。それをあいつらは生きたまま喰らう。だから世の中がおかしなことになっちまうんだ」
「ここはいったいどこなんだい?」
「変なことを聞くもんだね。ここはここだよ。ここ以外のどこでもない。それともここがここではないどこかだっていうつもりかい。いいかい、いつだってここはここだし今は今なんだ。そんなことより何か食べ物をもってないかい、この前のチキンサンドみたいなやつ。あれ、とってもうまかったんだよな」
 鴨は舌舐めずりしてうっとりとした表情を浮かべる。
「残念ながら今日は何も持っていないんだ」
 鴨はガーと吐き捨てるようにひと鳴きしてお尻の羽根をブルブルと振る。
「なんだい、食べ物もないのにオイラからなにかを聞きたいって言うのかい!」
「ごめんよ、今度会ったときには何かおいしいものをあげるからさ」
「今度?! 今度とお化けは出たためしがないって知らないのかよ! いいか、今度なんてものは糞の役にも立たないんだ。それともあんたはその〈今度〉ってやつでケツが拭けるっていうのかい? オイラたちはいつだって今日を生きているんだ。あんたもそうじゃないのかい?」
 今日を生きている…。
「そうか、あんたは今日を生きてやしなかったな。いつだって昨日ばかりを生きている。いつまでも昨日のあの子の心配ばかりして、あの子の今日を見ようとしない」
「そんなことないさ。僕は彼女の将来のしあわせをいつも考えていた」
「つまりは余計なお世話を焼いていたってことだね。いいかい、未来のことは誰にもわからないんだ。誰にだって常に今日があるだけなんだよ!」
 まるで禅問答のようだが、鴨の言うことには真理がある。
「それで、教えてほしいんだ。彼女はどこにいるのかな」
 鴨の黒目勝ちな瞳の色が俄に赤色に変わる。
「どうしても知りたいなら、あんたのその右手の指を二三本切り落とすんだな」
「え、どういうこと?」
「エサだよ、エサ。切り落とした指は死んでるから喰える。オイラ、腹がへっているんだよ。それともこれから一生彼女に会えなくてもいいのかい、そのくらいのことは大したことないだろ」
 無茶苦茶だ。僕は鴨に抗議した。
「食べ物がないからって、指をよこせってそりぁないだろ。食べ物は今度必ずあげるからさ」
 鴨は地面を均すように足踏みをして池を見る。
「わかっちゃないな。まず、さっきも言ったように今度はないんだ。今度会うまでにあんたはトラックに轢かれて死んでしまうかもしれない。もしくはオイラがボーガンで撃たれて池にプカプカと浮かんでいるかもしれないんだ。それともうひとつ、あんたは彼女を殺したって言うけど、だったらその殺人に見合うだけの償いをしたらどうなんだい。人ひとりの命の代償に指の一本や二本なんて軽いもんだろ」

 代償……。これは代償なのか。いまこのわけのわからない場所で鴨のふりをした何者かは、僕に代償を求めているということなのか。僕は右手を開いてじっと見つめる。ここで指を落とせば罪が消えるのか、彼女が救われるのか。
「さあ、そこに枝切り鋏があるから、それで指を落とすんだ」

 僕は左手を枝切り鋏にそっと伸ばした。

 

 

続きを読む

前回

マガジン

 

tamito

作品一覧

#小説 #贖罪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?