ナショナリストと民族主義

この母数が少数であろうが、多数であろうが、私にとっては同じにしか思えない。民族分化=民族独立運動が起これば起こるほど、必然的にそこには領土や資源を巡る、集団としての争いの種が生まれる。

民族の先住権を本当に認めるならば、私達各民族の先祖はすでに多くの先住者を殺害し、資源の略奪を繰り返して、今日に至っている。人は殺していないと言うなら、生き残っているのはいかなる民族であれ、本当は何もない土地に入ってきた、自然の奪略者、侵略者であろう。

それがわかっているから、私達は人類を特別視するために、多種多様な宗教を作って、倫理的正当性を保とうとしたわけだ。次に、私達は人類同士で集団としての争いを繰り返し、それぞれの集団にとっての倫理的正当性を保つために、また新たな神を使ったわけだ。

これらは、ほとんど事実の羅列である。(私はそう思っている)。

もちろん宗教は、人間の正当性を高めるために必要だった命を奪うという行為の連続で、己の命を守り、次の世代につなげるを繰り返している事実に気づいた先祖の贖罪意識)だけでなく、集団内のルールや、倫理規範の権威付けのためにも、必要だったろう。

リーダーが宗教を求める多くの理由が、ようは自分が勝手に考えたのではなく、神が私にそのようにおっしゃった神が選んだ神のお言葉聞いた。などなどの、絶対的存在に委託された、移譲された、あるいは自分を神格化することで、自分の考えを、その集団内の個々の思考から切り離された、上位の思考として、他者が従うように仕向けたわけだ。

各民族の自決権や先住権本当に認めるなら、結局はとっても閉鎖的で、自分本意な部族集団を、作り直すだけになる。

私達人類はいかなる民族であれ、そろそろ、脱民族を本気で考えるべきだ。国家という枠組みを残しながらも、目指すべき理想は、どの国(地域)で住んでも、人として普通に生きていけるとう、基本があって初めて、それぞれの国、地域の特色も保ちながら、平和的に共存できるだろう。

統合する神ではなく、人類の対話と叡智(おそらくAIも含めた)の結集こそが必要であって、武器を持って互いに「お前が攻めてくるから、俺は武器が必要だ」と、にらみ合っていては、武器がやがて人類を滅ぼすだろう。





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