対峙ではなく対話

 今の日本でも世界でも、様々な衝突に対して私が危惧しているのは、全てが対決であり、対峙であり、闘争なのだ。

対話によって解決するのが大事だと、いいながら、その対話でどちらが勝利するかというのが、出発点になっている限り、その対話によってもたらされた結果は、片方には敗北しかもたらさない。 経済戦争であれ、情報戦争であれ、軍事力であれ、対立が合った時、常に勝敗を考える

これが多分、間違っている。何かについての対立が合った時、その対立を解決するための対話が、対立の勝敗を決定するための対話に置き換わっている。最悪なのが、論破ブームだろう。この場合破られたのは、論であって、その人ではないはずだ。私達は、よりよい思考や解決策を求めて対話するのに、どちらかがどちらかをブチのめしたいという、醜い心理で対話をはじめてしまうし、そのような対決姿勢を好んでしまう。

あえて北朝鮮による日本国民への拉致事件について言う。まず、相手(北朝鮮)の責任を追求するのは完全にやめるべきだ。むしろ、解決策を本当に、北朝鮮という国家の現状を認識した上で、対話によって見つけるべきだ。日本にとって必要なのは、拉致された人々の帰還だ。 十数年前の私も、やはり間違っていた

なぜなら、そもそもの善悪をもとにした、日本側の様々な圧力は全く機能しなかった制裁という圧力を元にした対話も全く機能しなかった

だから必要なのは、本当の対話だ。善悪を問う必要は、もうない。実行者あるいは、指揮系統の当事者の罪を問う必要も、もうない。さばくことを期待するのはやめるべきだ。ただひたすら、共に納得できる、結果を手に入れるそのための対話だ。

日本政府よ。日本人(私達の同胞)の拉致事件を解決したいなら、ただただ素直に対話するべきだ。相手を心から理解するべく努め、相手が何を畏れ、何に不満を持ち、何に怯え、何に怒っているか。それらを、しっかり聞き取り、互いにとっての不安、不信を、少しでも取り除き、ともかく「拉致被害者を日本に帰す」これに集中すべきだ。

よりよい未来に近づくために、正義と悪の対決だという前提を、本当に捨てよう。



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