非自民という選択しかなくなった
日本の政治は、国民のために公平に機能しているのか、それを確認する手段の一つに過ぎない政治資金の透明化と、規制法案という、あまりに基本的で低レベルな原則すら、長きにわたり守ろうとせず、事が露見するまではみな、知っていたのに黙っていた自民党のいかなる現役政治家、国会議員にも、もはや内閣の一員として政権を担当する資格はない。
私は知らなかったなど、絶対に通用しない。通用するわけがない。もしも本当に知らないまま、党に所属していたのなら、事がわかった瞬間に、党の責任を問い、そんな政党に所属していた自分を恥じて、直ちに政党から離れているはずだ。
ところが実際は、そんな腐った党で己の基盤を作り、人脈を作り、今の政治家としての地位を築いてきたのだから、適当にスケープゴートを探し、責任を少数の個人レベルの問題に矮小化させている。
根本的に、大人として、腐っているし間違っている。何より恥じるべきなのは、本当はわかっていたのに、見て見ぬふりをし、時には自分も利用して、政治活動のためといいながら、ようは政治権力に溺れ私腹を肥やしたに過ぎない、恥ずべき個々の利権体質であろう?
イデオロギーに関係なく、自民党以外の、どのような政党が、どのような政権を作るのかなど、もはやわからないが、一つだけ確かなのは、少なくとも、いかなる自民党議員にも、次期政権の内閣の一員として参加する資格などないということだ。
単なる名目、よく言われる解党的出直しなどではなく、自由民主党こそ、一度、本当に解党し、すべての自民党議員は、次期国政選挙には反省のため出馬せず、己を見つめ直し、それでも政治家でありたいと言うなら、無所属として出直すべきであろう。
卑怯者であり、無責任であり、口だけ偉そうな腐った大人に過ぎない、自民党議員に、政治家として敬意を払う必要など、まったくない。岸田だろうが、高市だろうが、麻生だろうが、小泉だろうが、河野だろうが、石破だろうが、菅だろうが、敬称で呼ばれる価値など一人もない、呼ぶべきでさえない、本当に、ひたすらだめな大人たちなのだ。
全ての自民党議員は、政治家としての基本的な倫理さえ守れない、犯罪者グループの一員にすぎないのだから。
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